村井邦彦（作曲家）

民主主義とジャズは終戦後に進駐軍が初めて持ち込んだと思っている若い人もいるようだが、もちろんそうではない。民主主義もジャズも戦前から日本にあり、現代まで脈々と受け継がれている。 大正初期に生まれた父の村井正雄は大正デモクラシーの残り香を青春期にたっぷりと味わったモダンな人で、僕は大きな影響を受けた。 父は日本大学工学部で最先端の航空工学を学び、海軍機関学校を出て技術将校として飛行機の電子部門を担

僕は東京大空襲の6日前、1945年3月4日に信濃町の産院で生まれた。語呂合わせで「三四郎」と名づける案もあったが、夏目漱石の「三四郎」のヒロインが母と同じ美禰子（みねこ）だから、それではまずかろうということで「邦彦」になったらしい。 信州の伊那谷に疎開し、戦後は足立区北千住にあった村井の家で暮らし始めた。それまでは祖母の村井とわと婿の武雄が住んでいたが、2人は母方の祖父山本光雄の所有する大貫海岸

北千住の家から上野の寛永寺幼稚園に通った。戦後間もないころだから上野には多くの戦災孤児がいて、園児をだまして弁当を巻き上げる事件が多発していた。 なぜか僕は一度も取られなかった。「あなたは食い意地が張っていて、弁当箱を抱えて放さなかったのよ」と後に母から聞かされた。 園長はお坊さんだった。お釈迦様の誕生日に甘茶を飲んだ記憶もあるが、我が家はキリスト教のプロテスタントだ。僕も中学に入る頃に洗礼を受

僕は1952年、私立男子校の暁星小学校に2年生から編入した。北千住から国鉄を乗り継いで飯田橋で降り、母に手を引かれて面接を受けに行った。その後、高校まで暁星に通うことになる。 暁星はカトリックの修道会「マリア会」が1888年に創立した。マリア会はフランスのボルドーで生まれ、アルザス地方で発展した歴史がある。1870年の普仏戦争でアルザスがドイツに割譲されたため、新天地を求めて米国や日本などに渡っ

波野君が亡くなって1年余りになるが、まだショックから立ち直れずにいる。歌舞伎の古典を継承し、後世に残すことに命をかけた名優を「波野君」と本名で呼ぶのは、僕を含め学生時代からの友人ぐらいかもしれない。 二代目中村吉右衛門の波野久信君は暁星の同級生で、小学2年から編入した経緯も同じだった。迎えにきた「ばあや」と呼ばれる人と校庭を歩く後ろ姿を何度も見た。三味線や踊りのけいこに行ったり、歌舞伎座に出演し

戦後、幼い頃からSPレコードでジャズを聴いていた。当時の主流はスイングジャズで、あこがれはベニー・グッドマン。花形楽器はクラリネットだった。 やがてモダンジャズの時代が訪れ、チャーリー・パーカーやポール・デスモンドのようなアルトサックス奏者が僕のアイドルになった。 暁星高校の1年生になったある日、ジャズ誌「スイングジャーナル」を読んでいたら「ジャズ演奏　生徒募集」の広告が目に飛び込んできた。

慶応義塾大学のジャズオーケストラ、ライト・ミュージック・ソサイェティは17人編成。レギュラーメンバーになるには実力と運が必要だ。 ピアノは後に「ルパン三世」の音楽で有名になる4年生の大野雄二さんがレギュラーだったが、すでにプロとして活躍していたから大忙しで、来られない時は僕が代わりに弾くようになった。 大野さんはたまに練習に顔を出し、ジャズのコード（和音）を伝授してくれた。実際にコードを弾いてみ

子どもの頃からジャズのレコードを愛聴し、書店に並ぶ少年文庫を読み尽くして……。そんな話ばかり書いてきたが、僕は決してインドア派ではなく、むしろ自然と触れ合うのが好きだった。 小学校時代は毎年、大貫海岸（千葉県富津市）にある祖母の家で夏休みを過ごした。毎日よく泳ぎ、カニと戯れ、地引き網漁を手伝ってはご褒美にアジをもらった。そのアジの身をサッとむいて、海水で洗って食べるのだ。 中学生になると毎夏、長

六本木近くの飯倉片町にあるイタリア料理店「キャンティ」は文化人が集ったサロンとして知られている。 僕は高校1年から60年余りこの店に通ってきた。最初に連れていってくれたのは一緒にジャズを習った山田和三郎だった。 東京の街がどんどん変わっていく中で、創業時の建物と内装を頑固に守り続けてきたキャンティは、僕にとって心のふるさとだ。 キャンティは川添浩史さんと梶子（かじこ）さん夫妻が1960年に創業し

大学4年になった1966年、同級生の就職がどんどん決まっていく中で、僕は漠然と「会社員にはなりたくないな」と思いながら、特に就職活動はしていなかった。とはいえピアノで身を立てるのは無理だと悟っていた。例えば先輩の大野雄二さんにはとてもかなわない。 そんな折、ある先輩から「ラジオに出てみないか」と勧められ、俳優の石坂浩二、作詞家の安井かずみと3人で3カ月だけTBSラジオで番組をやった。2人の有名人