宮城谷昌光「諸葛亮」(115) 5月26日 だが岱(たい)は、その声がきこえなかったふりをして、斉方(せいほう)を誘い、山中を歩きはじめ、水の所在をしらべた。 帰宅した諸葛亮(しょかつりょう)は、ふたりを自室に招きいれた。 宮城谷昌光「諸葛亮」(115)
宮城谷昌光「諸葛亮」(114) 5月25日 諸葛亮(しょかつりょう)の決意が堅いと知った僕佐(ぼくさ)は、おどろきをおさえた口調で、 「わかりました。山中へお移りになることを止めはしませんが、 宮城谷昌光「諸葛亮」(114)
宮城谷昌光「諸葛亮」(113) 5月24日 首をあげた諸葛亮(しょかつりょう)は、前方をみつめたまま、 「僕佐(ぼくさ)、話がある」 と、いい、帰宅するとすぐに奥にはいり、ふたりだけになった。 宮城谷昌光「諸葛亮」(113)
宮城谷昌光「諸葛亮」(112) 5月23日 この日から、諸葛亮(しょかつりょう)は目つきと顔つきを変えた。 教場には欠かさず通い、読書にも万巻の書物を読破してみせるといわんばかりの意欲をみせた。 宮城谷昌光「諸葛亮」(112)
宮城谷昌光「諸葛亮」(111) 5月21日 龐統(ほうとう)は、一見、容姿に冴(さ)えがなく、平凡にみえるが、じつは体貌(たいぼう)からにぶい光が放たれているような感じを諸葛亮(しょかつりょう)はうけた。 宮城谷昌光「諸葛亮」(111)
宮城谷昌光「諸葛亮」(110) 5月20日 仲秋となり、穀物の収穫期となったので、諸葛亮(しょかつりょう)は鎌(かま)をもって中洲(なかす)に渡った。 龐徳公(ほうとくこう)家では、子の山民(さんみん)が中洲を去って 宮城谷昌光「諸葛亮」(110)
宮城谷昌光「諸葛亮」(109) 5月19日 これは叔父(おじ)だけではなく僕佐(ぼくさ)の覚悟でもあろう。 叔父の家人はそろって荊(けい)州に愛着をもち、襄陽(じょうよう)を第二の故郷とおもうようになっている。 宮城谷昌光「諸葛亮」(109)
宮城谷昌光「諸葛亮」(108) 5月18日 遠くない将来、この荊(けい)州は戦場となる。 荊州を侵(おか)す者は、かならず曹操(そうそう)である。 この予想を、諸葛亮(しょかつりょう)は脳裡(のうり)から消すことができない。 宮城谷昌光「諸葛亮」(108)
宮城谷昌光「諸葛亮」(107) 5月17日 諸葛亮(しょかつりょう)が官界にあこがれているのであれば、たしかに叔父(おじ)のいう通り、黄承彦(こうしょうげん)に昵近(じっきん)したほうが得(とく)であろう。だが、かれには、 宮城谷昌光「諸葛亮」(107)
宮城谷昌光「諸葛亮」(106) 5月16日 この諸葛玄(しょかつげん)の問いに、黄承彦(こうしょうげん)はすぐに答えず、ひと呼吸を置いた。 諸葛亮(りょう)は息を凝(こ)らした。 宮城谷昌光「諸葛亮」(106)