安部龍太郎「ふりさけ見れば」(376) 8月15日 聖武上皇には深い諦念がある。ご在位中に痘瘡(もがさ)の大流行という災禍にみまわれ、地震や干魃(かんばつ)による被害も相次いだ。 このため国民の朝廷に対する信頼が大きく揺らぎ、 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(376)
安部龍太郎「ふりさけ見れば」(375) 8月14日 「由利、わしは唐で石皓然という大商人の娘と結婚していた。そのことは話したと思うが」 「春燕さんという方でしょう」 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(375)
安部龍太郎「ふりさけ見れば」(374) 8月13日 真備たちの宿所は荒池のほとりの宿坊と定められていた。十五年前、遺新羅使をつとめた者たちが宿所とし、痘瘡(もがさ)(天然痘)流行の原因となった因縁の場所である。すでに宿坊そのものが建て替えられていたが、 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(374)
安部龍太郎「ふりさけ見れば」(373) 8月12日 前述した通り、聖武天皇は恭仁宮(くにのみや)を本拠地と定め、紫香楽(しがらき)宮に大仏を建立して仏教中心の国造りをしようとなされた。 この地に長安、洛陽にならって二都を並立させ、 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(373)
安部龍太郎「ふりさけ見れば」(372) 8月11日 「い、位牌は安置しておりませんが、供養の読経はいたしております」 住職代理が苦しい言い訳をした。 藤原一門の息のかかった住職は、 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(372)
安部龍太郎「ふりさけ見れば」(371) 8月10日 春燕から鑑真(がんじん)上人を招聘するために尽力するという確約を得た真備は、中臣音麻呂を使者として奈良の都につかわすことにした。 「まず娘の由利を訪ね、この書状を帝と上皇さまに渡すように頼んでくれ」 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(371)
安部龍太郎「ふりさけ見れば」(370) 8月9日 「真備は強いから大丈夫。回生すると信じていなければ、あんなことはしないわ」 その証拠にこんなに元気になったじゃないと、 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(370)
安部龍太郎「ふりさけ見れば」(369) 8月7日 波しぶきでぬれた髪が額にはりついている、美しくも恐ろしげな大ぶりの顔は、天竺(てんじく)(インド)の破壊神であるシヴァの像に似ていた。 「私はそんなあなたでも構わない。 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(369)
安部龍太郎「ふりさけ見れば」(368) 8月6日 すでにあたりは暮れかけているが、砂には昼間の熱のなごりが残っていた。 「もうすぐ日が暮れるわ。北辰(北極星)が出るのはあのあたり」 春燕が北の空を指さした。夜の航海は星が頼りである。 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(368)
安部龍太郎「ふりさけ見れば」(367) 8月5日 「覚えているとも、わしの出発を見送りに、お前は蘇州まで来てくれた」 そして望海楼という指折りの旅館の最上の部屋に泊り、真備を呼びつけたのである。窓に瑠璃を張った海を見下ろせる部屋で、 安部龍太郎「ふりさけ見れば」(367)