平成の天皇と皇后 退位「玉音放送」の是非 「令和」新時代 4月5日 歴史的既視感といえるかもしれない。予告された時刻に発せられた「玉音」が、国民の意識を一つの方向へと動かした。 2016年(平成28年)8月8日午後3時、天皇陛下の「象徴としてのお務めについてのおことば」と題したビデオメッセージが各テレビ局で一斉に放送された。11分のお言葉で退位の意向が示唆されていた。放送は3日前に宮内庁が告知し、時間も指定されていた。その時刻に多くの国民がテレビ画面に見入った。 平成の天皇と皇后 退位「玉音放送」の是非
平成の天皇と皇后 見捨てられた同胞に光 「令和」新時代 3月29日 残留孤児――。まず連想するのは、終戦時に中国大陸で親と生き別れた日本人の子どもたちだ。しかし、日本の戦争による「残留」という名の悲劇は中国だけで起きたわけではない。 フィリピン、ベトナムで、日本人と現地女性との間に生まれた日系2世は筆舌に尽くせぬ苦難を味わってきた。戦後の日本人の視野に彼らは入っておらず、「歴史の孤児」ともいえる。 天皇、皇后両陛下は2016(平成28)年にフィリピン、翌17(同 平成の天皇と皇后 見捨てられた同胞に光
平成の天皇と皇后 「いちばん長い日」の公開 「令和」新時代 3月22日 「それは秋も深まる昭和三十七年十一月のことであった。私がたどった道はいくつかの丘をめぐるように造られ、落ち葉を踏みつつ進んだ。(略)防空壕(ごう)の入口が雑草に埋もれて眠っていた」 昭和天皇による終戦の「聖断」のときを描いた有名な絵画「最後の御前会議」の画家、白川一郎は、日本の運命を決めた歴史的な場である皇居・吹上御苑内の地下壕「御文庫付属室」を見学したときのことを月刊誌に書いている。 リアルな 平成の天皇と皇后 「いちばん長い日」の公開
平成の天皇と皇后 忘れられた戦場へ 3月15日 「ペリリューはまだ落ちぬのか」 1944年10月半ばを過ぎたころから、大本営ではこれが毎日のあいさつになっていた。パラオのペリリュー島の日本軍守備隊は約1万人。攻める米軍の総兵力は約5万人。「3日で片が付く」といわれていたが、日本軍は9月中旬から11月下旬まで2カ月半持ちこたえて玉砕した。昭和天皇から異例の11回もの「御嘉賞」の言葉が下された。 数少ない生還者の元日本兵、土田喜代一さん(2018 平成の天皇と皇后 忘れられた戦場へ
平成の天皇と皇后 象徴らしい葬儀改革 「令和」新時代 3月8日 「天にあっては比翼の鳥となり」と唐の詩人・白楽天は玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を「長恨歌」で歌った。比翼の鳥は一目一翼の伝説上の鳥で、雄と雌が助け合って飛ぶ。ここから相思相愛の男女が共に眠る墓を比翼塚という。 平成が半ばにさしかかったころ、天皇陛下は将来の自身の葬儀と陵について、前例踏襲ではなく、時代に合った形に見直した方がよいのではないか、と宮内庁幹部に提案された。 近代の天皇の葬儀は、万世一系の視 平成の天皇と皇后 象徴らしい葬儀改革
半藤一利氏らが語る「平成の天皇と皇后」 「令和」新時代 2月24日 天皇、皇后両陛下の「旅」もあと2カ月余りで終わりを迎える。本紙では昨年4月から朝刊社会面で長期連載「平成の天皇と皇后 30年の歩み」を掲載。平成の様々な出来事から「人間・明仁天皇、美智子皇后」の姿を浮かび上がらせることを狙いとしてきた。今回は特別編として、元侍従長の渡辺允、作家の半藤一利、ノンフィクション作家の保阪正康の3氏に平成の天皇と皇后を語ってもらった。 =聞き手は編集委員 井上亮 ■平成の精 半藤一利氏らが語る「平成の天皇と皇后」
平成の天皇と皇后 女性宮家 進まぬ議論 2月15日 天皇家の長女、黒田清子さんが学習院女子部に在学中の15歳の頃。学芸会で、映画「ローマの休日」を翻案した「レディー・アンを捜して」という劇の脚本を執筆した。 〈紀宮さま〉も外国風にいえば王女である。オードリー・ヘップバーン演じる欧州某国の王女、アンの恋と冒険の物語に自身を重ねつつ、戯曲を紡いだのだろうか。 紀宮さまの結婚による皇籍離脱の直後だった。2005年11月、小泉純一郎首相が設置した「皇室典 平成の天皇と皇后 女性宮家 進まぬ議論
平成の天皇と皇后 時期が奏功した心臓手術 2月8日 異変は2010(平成22)年9月中旬、静養中の神奈川県・葉山で起きた。朝、天皇陛下は御用邸前の海で和船をこいだあと、立っていられないほどの胸の苦しさを訴えられた。 翌11年2月11日、陛下は東大病院(東京・文京)で心臓の冠動脈の造影検査を受けられた。その結果、冠動脈全体に一定程度の動脈硬化が認められ、部分的に血管が狭くなっていた。 3つの治療法が考えられた。▽薬物療法▽ステントという金網状の筒を 平成の天皇と皇后 時期が奏功した心臓手術
平成の天皇と皇后 災害の記憶、消すことなく 「令和」新時代 2月1日 天災について多くの至言を残した物理学者の寺田寅彦は、日本の国土は深き慈愛でわれわれを保育する慈母であると同時に、しばしば「刑罰のムチ」を振るう厳父だと言った。 三陸沖は世界屈指の良漁場で、豊かな海の幸を与えてくれる母なる海だった。しかし、眼下には厳父のムチで見る影もなくなった惨状が広がっていた。 「ショックだった。海岸沿いは根こそぎ住宅が消えている情景が延々と続いていた」と、元侍従長の川島裕さん 平成の天皇と皇后 災害の記憶、消すことなく
平成の天皇と皇后 苦難のときのビデオ放送 「令和」新時代 1月25日 災害時の流言飛語がどれほどの悲劇を生むか。関東大震災での朝鮮人虐殺は痛恨の歴史だ。平成は大災害の多い時代だったが、人々を狂気に走らせるような事態は起きなかった。 しかし、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災のあまりにも巨大な災厄は、平成の災害時に培われた非常時での冷静さ、助け合いの心などを吹き飛ばしかねなかった。 福島の原発事故に関して、ネットでは不安をあおる根拠不確かな情報があふれて 平成の天皇と皇后 苦難のときのビデオ放送