堤猶二氏(5) 教養課程の2年は苦労 コラム 5月27日 留学生活を送った1960年代初め、米国は良き時代で日本から来た留学生に優しかった。 授業で苦労したのは最初の2年間の教養課程。特に米国の歴史などは英語の壁に加えて基礎知識に欠け、たとえば南北戦争の論文では記述内容と英語の表現力で大きなハンディがありました。そこで試験対策に優秀な女子学生のノートを借りたのですが、メモの内容が難しくてさっぱり分からない。ルームメイトに聞くと「美人で着飾った女の子に頼 堤猶二氏(5) 教養課程の2年は苦労
堤猶二氏(4) 米留学、仲間と今も交流 コラム 5月26日 麻布中学・高校を卒業後、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に進学する。 東京・高樹町の家で暮らした私たち3人兄弟は中学・高校はいずれも麻布に通いました。自由な校風に感化されたのか、窮屈な日本を飛び出したい気持ちが湧いてきて当時の日本人の憧れの地だった米国への留学を考えるようになりました。 一方で、高校卒業を控えた頃に西武百貨店のロサンゼルス出店計画が本格化し、留学を言い出しやすいきっ 堤猶二氏(4) 米留学、仲間と今も交流
堤猶二氏(3) 複雑な大家族の末っ子 コラム 5月25日 父・康次郎は政治家としては朝鮮戦争が始まった翌年の1951年まで公職追放の身だったが、ビジネスは着々と広げていた。 父には4人の女性との間に生まれた5男2女がいました。西武鉄道社長を長く務めた小島正治郎に嫁いだ長女・淑子(生年は1909年)を筆頭に、近江鉄道社長だった長男・清(13年)、セゾングループを創業した次男・清二(27年)、西武百貨店パリ駐在部長だった次女・邦子(28年)、父の資産を引き 堤猶二氏(3) 複雑な大家族の末っ子
堤猶二氏(2) 柔道で鍛えた忍耐力 コラム 5月24日 出生は1942年(昭和17年)2月26日。太平洋戦争開戦から2カ月余り、国中が戦勝ムードに沸き立っていた。 西武グループ創業者の堤康次郎と内縁関係にあった石塚恒子の間に生まれた末っ子で、義明と康弘の2人の兄がいました。出生時、母と私たち兄弟は東京・大崎で暮らしていたと聞きましたが、私が物心つく前に南麻布の父の本宅へ引っ越しました。戦局が次第に悪化し、父は身内を集めて一緒にいた方が良いと考えたので 堤猶二氏(2) 柔道で鍛えた忍耐力
堤猶二氏(1) 横浜の未来に懸ける コラム 5月23日 2019年、横浜グランドインターコンチネンタルホテルの堤猶二会長(81)はみなとみらい21地区(横浜市)で2つ目のホテルの開業を機に引退を考えていた。だが翌年に新型コロナウイルスが流行し、それどころではなくなった。 西武グループ創業家に生まれ、ホテルマンとして半世紀。振り返れば困難を克服する戦いの連続でした。 海に浮かぶヨットの帆の形をした建物のヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル。隣接 堤猶二氏(1) 横浜の未来に懸ける
石川則男氏(21) ハングリー精神が原点 コラム 5月12日 ボリュームゾーンでのシェア獲得が欠かせず。 日本のものづくりはなぜ競争力を失ったのか。中国や韓国などで新興メーカーが台頭し、価格競争に負けたのは理由のひとつです。ただ言葉を選ばずに言うと、日本は最初から負け戦を仕掛けてしまったようにも感じます。 日本はかつて家電などで存在感を放ちました。技術力に自信のある会社は多くの開発資源を投入し、高付加価値をアピールしました。その結果、性能は一級でも日本でし 石川則男氏(21) ハングリー精神が原点
石川則男氏(20) コロナ禍でも傷浅く コラム 5月11日 2020年、新型コロナウイルスが世界を襲った。 好業績だった18年11月期とは一転、米中貿易摩擦をきっかけに、19年に入ると生産財の需要は急激に冷え込んでいきました。OSGは欠品問題もあって、受注環境は一気に悪化していました。 そんななか、コロナ禍が世界で襲い始めました。営業や生産活動で社会的な制限がかかる未曽有の事態です。新城工場(愛知県新城市)に新たな生産棟「NEO(ネオ)新城」を建設するな 石川則男氏(20) コロナ禍でも傷浅く
石川則男氏(19) 14年ぶりの社長交代 コラム 5月10日 社長就任から10年以上が過ぎ、後進に道を譲ることを考える。 2020年11月期までの4カ年中期経営計画までが私の任期だとかなり前から決めていました。後継者について大沢輝秀氏からは「必ずしも創業家から選ぶ必要はない」「息子3人は甲乙つけがたい。しかし決めるのは俺でなくお前だ」と言われていました。 18年に入り、指名委員会と意見交換を始めました。ガバナンス改革に踏み切った時点では執行側の取締役は私だ 石川則男氏(19) 14年ぶりの社長交代
石川則男氏(18) 新棟で世界断トツに道筋 コラム 5月9日 受注の急増で欠品が増え、シェアを落とす。 2017年初め、20年11月期までの4カ年中期経営計画を策定しました。連結売上高を1500億円、営業利益を300億円と16年11月期よりそれぞれ42%増、65%増とかなり高い目標を掲げました。 17年は機械部品市場に異変が起きていました。好調な半導体産業に加え、アジアを中心に自動化への設備投資需要が高まり、一部の機械部品は納期が2年まで延びていました。当 石川則男氏(18) 新棟で世界断トツに道筋
石川則男氏(17) カリスマ去り経営改革 コラム 5月9日 中国・上海子会社の労働争議で悩む。 忘れられない騒動があります。2015年ごろから中国子会社、上海OSGの経営が混乱し始めました。上海OSGは01年に創立し、従業員は140人超で、中国全土に営業所があり、売上高は100億円に迫る規模でした。 きっかけは人事異動に不満を持った現地幹部が、日本人幹部を担いで勢力争いを始めたことです。日本人が何も言わないことに意を得た一部の幹部が暴走し、多くの代理店か 石川則男氏(17) カリスマ去り経営改革