野党の党首選 政治 9月4日 野党の党首選挙は55年体制が終わり、政権交代が実現してから、その性格が変わった。特に野党第1党のトップは、小選挙区制の下では、衆院選の結果次第で政権を担う可能性がある。党首の魅力は、議員個々人の当落にも直結するからだ。 小選挙区選挙が間近に迫った1995年、細川護熙政権の与党を母体とした新進党では、自民党総裁選がある9月に党首選挙をぶつけ、埋没を避けようとの動きがあった。今回 野党の党首選
日米貿易不均衡 中国台頭で一時下火に コラム(経済・政治) 政治 7月5日 戦後、日本が経済復興をとげると米国との間で貿易摩擦が頻発した。最初は繊維をめぐる摩擦で、佐藤栄作首相とニクソン大統領の間で交渉が重ねられた。日本側の担当閣僚である通産相はこの間に大平正芳氏から宮沢喜一氏に交代しても決着せず、佐藤内閣の末期に田中角栄通産相が登場してようやく終わった。沖縄返還問題が絡んだ交渉は「糸で縄を買う」などと呼ばれた。 80年代以降は牛肉・オレンジや自動車、電気通信 日米貿易不均衡 中国台頭で一時下火に
自民党の政策通議員 専門性高め頭角 コラム(経済・政治) 政治 7月3日 自民党の政調会は55年体制下で永久与党の状態が続くと、政策立案機能を高めていった。その過程で農林、社会保障など各省庁ごとの専門分野に特化した議員が頭角をあらわし、その道のプロ議員は「族議員」と呼ばれた。田中角栄元首相は草分け的な存在で、建設や郵政など複数の分野で強い影響力を誇った。最大派閥であらゆる分野の族議員がそろった田中派―竹下派は「総合病院」とも呼ばれた。他の派閥でも様々な分野に強い 自民党の政策通議員 専門性高め頭角
参院自民党 90年代から力増す 政治 5月29日 参院自民党は1990年代、与野党が逆転したがゆえに一気に力を増した。予算と条約を除く法案は、参院で否決されてしまえば成立しない。その効果に参院自民党自身が最初に目覚めたのは93年の政治改革だった。非自民連立政権が提出した政治改革法案を参院自民党と社会党の造反組が中心になって否決した。自民党は「党四役」に参院幹事長を加えて党五役とした。村上正邦氏や青木幹雄氏が参院執行部を率い、派閥よりも強 参院自民党 90年代から力増す
不信任決議案 閣僚は60年間で1件のみ 政治 5月21日 野党が政権を倒す切り札となるのが不信任決議案だ。内閣不信任案が可決されれば、内閣は総辞職か衆院解散・総選挙を迫られる。閣僚には法的拘束力がないが、辞任せざるを得ない。 とはいえ閣僚不信任案の可決は1952年、池田勇人通産相を対象とした決議が最後。60年以上も可決例がない。 内閣不信任決議案は戦後58件提出され、4件が可決されている。いずれのときも総辞職ではなく、衆院解散を時の首相は選んでいる。最 不信任決議案 閣僚は60年間で1件のみ
総務会長 序列2位、党務に精通 政治 5月16日 自民党で幹事長に次ぐナンバー2の位置づけは政調会長ではなく、総務会長だ。かつては河野一郎氏や鈴木善幸氏ら党人派の大物が名を連ねてきた。政策決定で最後の関門となるだけに官僚出身者ではなく、党務に精通した議員が望ましいとの暗黙の了解があった。外交や法案などで意見が二分する問題では数日間、数十時間を費やし、反対論者は最後に退席する伝統もあった。政治改革では反対派が退席せず、紛糾した。 制 総務会長 序列2位、党務に精通
中東と日本 対米・資源で揺れる 政治 5月15日 日本の中東外交は、エネルギー確保の必要性と対米関係のはざまで揺れてきた。 初めて日本が決断を迫られたのが1973年の第4次中東戦争だ。当時の田中角栄首相は米国から親イスラエルの外交を求められた。田中氏は石油危機への対応から米国の要請に応じず、アラブ諸国と独自の資源外交を展開した。 イラン・イラク戦争では米国など国際社会はイラクについた。日本は中立を保ち、当時の安倍晋太郎外相が双方に精力的に和平を 中東と日本 対米・資源で揺れる
首脳電話協議 盗聴防ぎ意見交換 政治 5月11日 安倍晋三首相の首脳電話協議が相次いでいる。4月29日に韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領、今月4日に中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席、10日にトランプ米大統領と話した。北朝鮮情勢の動きに合わせ、首脳同士ですぐに情報を交換し、認識を擦り合わせる狙いがある。 電話協議は首相官邸や公邸の部屋に特別な電話を設置。マイクとスピーカーが付いていて、首相や通訳はマイクに向かって語る。外務省幹部によると 首脳電話協議 盗聴防ぎ意見交換
無派閥 80人、党の第2勢力 政治 5月4日 自民党で派閥に属さない議員は現在、約80人。党内の2割弱を占める。最大派閥の細田派に次ぐ「第2派閥」で、野田聖子総務相もそのひとりだ。 衆院の選挙制度が1選挙区で複数が当選する中選挙区だったころ、無派閥議員は1割に満たない時期もあった。3~5人の自民党候補が当選するとき、派閥の支援がなくては他の自民党候補や野党との戦いに勝てなかったからだ。当時、無派閥を選んだ議員には入りたい派閥に既に同じ選挙区 無派閥 80人、党の第2勢力
合併派閥 薄れる人脈・理念 自民党総裁選 政治 5月3日 河野外相が所属する麻生派「志公会(しこうかい)」は、三木派の流れをくむ山東派などと合併して59人を擁し、自民党の第2派閥となった。 かつて派閥は領袖を総理・総裁に押し上げる目的で集まった。民間企業のように派閥と派閥が対等合併する方式が取られたのは1999年の「志帥会」が本格的な始まりとなる。 中曽根―渡辺派から村上正邦氏を中心とするグループが、安倍―三塚派から亀井静香氏を代表とする一派が合 合併派閥 薄れる人脈・理念