2021年06月12日
12日 2:00
明治42(1909)年、藤本ビルブローカー銀行は大日本製糖(日糖)関係の債権者に、支払いの猶予を願わざるを得ない状態となった…続き
2021年05月29日
29日 2:00
弁護士から実業界に転じた立川勇次郎は、友人と共同出資でリスクの大きい鉱山業に手を染める。明治22(1889)年、27歳のこと…続き
2021年05月15日
15日 2:00
2代目塚本定右衛門は生涯において2度大きなリスクにチャレンジ、身代を膨らました。手堅い商いを身上にする近江商人たる塚本だが、…続き
2021年04月24日
24日 2:00
大阪の株の街、北浜が一番にぎわった大正時代のこと、一風変わった相場師がいた。生涯「買い」しか知らないというから、万年ブル(雄…続き
2021年04月10日
10日 2:00
三井物産の大立者・藤瀬政次郎が大きく羽ばたくのは日露戦争の頃だ。藤瀬はシンガポール支店長、香港支店長をこなし、本店参事として…続き
2021年03月20日
20日 2:00
糸へん相場の震源地、大阪三品取引所がにぎわった大正時代のことである。世の中には3種類の人間がいるといわれた。お金をこしらえる…続き
2021年03月06日
6日 2:00
酒田は相場の神様「本間宗久」のふるさと。酒田商業会議所の第5代頭取を務めた荒木幸吉は、「酒田商業発達史」と題する講演録の中で…続き
2021年02月20日
20日 2:00
明治42年(1909年)操業してまだ日の浅い藤本銀行は破綻にひんした。有力取引先である大日本製糖の不正経理や経営者間の暗闘が…続き
2021年02月06日
6日 2:00
大商、玉塚、山叶の中堅証券3社が合併、新日本証券が誕生するのが昭和42年(1967年)のこと。そして10年たち、3700人の…続き
2021年01月23日
23日 2:00
西川伝右衛門は近江商人のふるさと近江国南津田村に生まれ、寛永年間(1624-1645年)に大活躍した。行商から身を起こし次第…続き
2021年01月09日
9日 2:00
昭和9年(1934年)12月25日付国民新聞は「昭和9年に踊った人々」と、題する企画で大手砂糖商福谷商店の3代目社長、福谷栄…続き
2020年12月26日
26日 2:00
安川彦夫は大阪の堂島米穀取引所が最も盛んだった大正時代、その市場運営のかなめ石として奮闘した。米穀取引所はそれ自体が投機的で…続き
2020年12月12日
12日 2:00
「相場の神様」本間宗久のふるさと酒田を代表する相場師に長谷部豊吉がいる。長谷部が大当たりをとるのは大正年間のこと。大正3年(…続き
2020年11月21日
21日 2:00
大相場師、油屋喜兵衛の名がはるかかなたに遠ざかっていく。慶応年間から明治12年(1879年)、13年(1880年)ころにかけ…続き
2020年11月07日
7日 2:00
徳島は昔から染料の藍で栄えた。阿波商人たちは藍の取引で、名うての大阪商人と丁々発止とやり合っても引けを取らなかった。そして多…続き
2020年10月17日
17日 2:00
大正から昭和の初めにかけて米相場が大賑わいをみせた。その頃の米穀市場はスペキュレーションの花と称された。主役はヤマタネこと山…続き
2020年10月03日
3日 2:00
東京証券取引所の理事を務める一方、エッセイストで経済学博士という異能の人、小山正之助の「兜町放談」に栗原善太郎のことが出てく…続き
2020年09月19日
19日 2:00
明治を代表する相場記者、野城久吉が中太について書いている。
「中太は米一点張りの相場師で、例の買い好きで押し通した。確か、明治…続き
2020年09月05日
5日 2:00
第2次大戦後の株式市場は先物取引が禁止されたため戦前からの相場師は手も足も出なくなった。三日天下の一夜乞食にもならない代わり…続き
2020年08月22日
22日 2:00
仲買人(相場師)には2つのタイプがある。売りを得意とするタイプ(売り屋)と、買いを得意とするタイプ(買い屋)がある。最初売り…続き
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