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辻原登「陥穽 陸奥宗光の青春」
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トピック一覧

朝刊連載小説・辻原登「陥穽 陸奥宗光の青春」(小杉小二郎 画)のバックナンバーをお読みいただけます。

辻原登「陥穽」(28)[有料会員限定]

3/29

日の出と共に発(た)てば、八(や)ツ(午後二時頃)までには戻って来られるだろう。尊了師に少しばかり引き止められるかもしれないが、と岡は言った。初めて登るとは言っても「町石道(ちょういしみち)」を…続き

辻原登「陥穽」(27)[有料会員限定]

3/28

「ひと雨来るかと思うたが……」
岡左仲は夕焼け空を見上げて、残念そうに言った。小二郎は頷き、雲がすっかり吹き払われて優美な稜線(りょうせん)を見せている雨引山…続き

辻原登「陥穽」(26)[有料会員限定]

3/27

剣術道場には、地士(じし)や豪農、富農の子弟たちも通っていた。
小二郎は、道場に冷ややかな一瞥(いちべつ)を投げ掛けただけで境内を横切り、社務所に酒を届け終えると、紀ノ川の土手道伝いに一散に家路に…続き

辻原登「陥穽」(25)[有料会員限定]

3/26

「お母さま、あのお船は和歌山からやって来て、筏流しは和歌山へ向かっているのですね。私たちもあの筏に乗って、和歌山へ帰れないかしら? ……初穂、水際まで降りて行かないで」…続き

辻原登「陥穽」(24)[有料会員限定]

3/25

ようやく入郷での生活にも馴染んで、四カ月余りが経った。この日も小二郎と母と妹たちは、朝早く田圃(たんぼ)の畦(あぜ)の草刈りに出た。今年は空(から)梅雨(つゆ)で、早朝から青空が広がる。…続き

辻原登「陥穽」(23)[有料会員限定]

3/24

東家(とうげ)村の一色春信(いっしきはるのぶ)は、母子をあたたかく迎えた。
陸奥の父、伊達宗広は本居大平(もとおりおおひら)の…続き

辻原登「陥穽」(22)[有料会員限定]

3/23

老人は温かい口調で言った。
「今夜は月も出そうにない。提灯(ちょうちん)をお持ちなさい。二丁ほど行くと別路(わかれみち)がある。右手が本街道だが、…続き

辻原登「陥穽」(21)[有料会員限定]

3/22

「ここで放免だ。どこへなりと行くがよい。ただし、この一里松より一尺たりとも戻ってはならぬ」
と護送の役人は言って、立ち去った。…続き

辻原登「陥穽」(20)[有料会員限定]

3/21

射目(いめ)たつる鹿(しし)がせ山を坂鳥(さかどり)のあみにかかりてこえもゆくかな
宗広は右の歌も詠んでいて、射目は、獲物をねらって、…続き

辻原登「陥穽」(19)[有料会員限定]

3/20

治宝(はるとみ)隠退のあと、第十一代藩主には、第十一代将軍家斉(いえなり)の七男で、治宝の養子斉順(なりゆき)が就いたが、彼は一度も和歌山に赴任しないまま病没したため、…続き

辻原登「陥穽」(18)[有料会員限定]

3/19

伊達宗広は、金融行政とは別に、「御仕入方」総支配として、紀ノ川沿岸で木綿を栽培する貧窮農民を救うため、「八丈織り」と名付けた縞地(しまじ)を新たに工夫して織らせ、販路を拡大するため自ら京大坂などに…続き

辻原登「陥穽」(17)[有料会員限定]

3/18

紀州藩が最も活気に満ち、精彩を放っていたのは、第十代藩主徳川治宝(はるとみ)の時である。その治政は、彼の藩主在任期間の三十五年間のみでなく、隠退後も、風光明媚(めいび)な和歌の浦に近い西浜に構えた…続き

辻原登「陥穽」(16)[有料会員限定]

3/17

難色を示す役人に向かって由良は、
「囚徒とはいえ、国事犯、しかも前元老院副議長を護送中に死なせたとあっては、貴方方の責任は重大で、制裁は免れまい」…続き

辻原登「陥穽」(15)[有料会員限定]

3/16

桑折(こおり)で、仙台へ向かう奥州街道に別れを告げ、羽州(うしゅう)街道(七(しち)ケ宿(しゅく)街道)を進む。県境を越えて、上山(かみのやま)まで幾つもの峠道が続く。かつては囚人護送で、…続き

辻原登「陥穽」(14)[有料会員限定]

3/15

那須岳の山麓に広がるナラやクヌギの深い森の中を行く。葉群はすでに色付き始めている。草鞋(わらじ)は、一日に一足はきつぶす。陸奥の衰弱ぶりは激しく、三浦が肩を貸さなければ前に進めなくなった。…続き

辻原登「陥穽」(13)[有料会員限定]

3/14

護送隊は千住大橋を渡った。ここからが日光街道で、荒川が眼下を流れる。およそ百九十年前、芭蕉は「奥羽長途の行脚(あんぎゃ)」を思い立ち、深川から隅田川を船で溯り、千住で陸(おか)に上がった。荒川には、…続き

辻原登「陥穽」(12)[有料会員限定]

3/12

第二陣は予定通り午前十一時に出発した。林有造もまた千住橋のたもとで、駆け付けた母親との面談を果たした。
「千住駅ニ於(おい)テ尊母ニ途中ニ面会ス…続き

辻原登「陥穽」(11)[有料会員限定]

3/11

陸奥は、天皇の巡幸については何も知らないでいた。
八月三十日早朝、天皇一行は皇居を出発した。鳳輦(ほうれん)に乗った天皇に供奉(ぐぶ)するのは、右大臣岩倉具視(ともみ)、…続き

辻原登「陥穽」(10)[有料会員限定]

3/10

三浦介雄(すけお)は、今回の裁判に紛れ込んだ異分子とでもいうべき存在だった。彼は立志社のメンバーではない。彼の容疑は、西南戦争の際、薩摩と土佐の間を往き来して、西郷の「私学校」と土佐古勤王党の提携を…続き

辻原登「陥穽」(9)[有料会員限定]

3/9

明治十一年八月二十一日、陸奥への判決が言い渡され、立志社系「政府転覆計画」の逮捕者全員(二十四名)の裁判が終結した。死罪に処せられた者はなく、主謀者格の大江卓、林有造、岩神昂(いわかみのぼる)、…続き

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