政治や経済、文化、スポーツなどの領域で大きな業績を残した人物が自らの半生を語ります。日本経済新聞朝刊の最終面で1956年から続く名物コラムです。
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父の太郎は3月に他界したが、海部俊樹内閣で湾岸戦争のときに外相を務めていたのを記憶している方も多いだろう。医師としての印象も…続き
6月4日
4日 2:00
幼少期の時代背景を知って頂くうえでも、いましばらく祖父母の話にお付き合い願いたい。祖母は1960年、池田勇人内閣の厚相として…続き
6月3日
3日 2:00
家族の多くが政治とかかわりを持つ発端となった祖父、中山福蔵は小柄で静かなおじいさんだった。人間も大自然の一部であると自覚して…続き
6月2日

本人提供
2日 2:00
政治一家だった。戦後の復興が本格化し始めた1950年5月11日、私は祖父の中山福蔵が現在の大阪市生野区に建てた洋館で生まれた…続き
6月1日
1日 2:00
1年ほど前の2022年6月5日、シカゴで開かれた米臨床腫瘍学会(ASCO)の会場はスタンディング・オベーションに包まれた。第…続き
5月31日
31日 2:00
作曲とは五線紙に音符を置いていくことではない、と僕はかねて考えている。頭の裡(うち)で作曲をして、それを「写譜」するのが、書…続き
5月30日
30日 2:00
新型コロナウイルス禍で、生活が大きく変わってしまった人は少なくない。僕もその一人だ。
芸術監督を務める姫路市の文化国際交流財団…続き
5月29日
29日 2:00
家族の話が、まだだった。
1915年(大正4年)生まれの父・栄が他界したのは2001年。86歳だった。府立六中つまり後年の都立…続き
5月28日
28日 2:00
フランスの哲学者アンリ・ベルクソン(1859〜1941年)は「笑い」を著した。示唆に満ちているが、洒落(しゃれ)大好きの僕は…続き
5月27日
27日 2:00
オペラを11作書いてきたことを前回お話ししたが、実はこの数でいいのか、自信がない。オペラに対する僕の持論ゆえだ。オペラは演劇…続き
5月26日
26日 2:00
映画や演劇、放送のドラマ等のための音楽を、かつて「劇伴」と呼んだ。劇の伴奏という意味だ。イヤな言葉である。「伴奏」ではないの…続き
5月25日
25日 2:00
読書にも子ども時代から親しんできた。本がたくさんあることを中国の故事成語で「汗牛充棟」というが、まさにそんな家だった。病弱で…続き
5月24日

共同
24日 2:00
映画は、理論家肌の篠田正浩、独特の美学を持つ実相寺昭雄監督、職人的仕事師と言っていい舛田利雄や伊藤俊也監督、少し下の世代の鬼…続き
5月23日
23日 2:00
黒澤明監督とは、4本の仕事をした。1978年「影武者」の音楽の依頼が突然舞い込む。僕は35歳だ。武満徹さんの推薦らしかったが…続き
5月22日
22日 2:00
映画の仕事も、たくさんしてきた。その履歴の核は、3人の監督だ。今村昌平、黒澤明、篠田正浩の諸氏。まず、今村監督の話から始めよ…続き
5月21日
21日 2:00
大学の部活が演劇部だったくらい元来芝居好きだったわけだが、すると不思議なもので、その仕事にたくさん携わることになった。お話し…続き
5月20日
20日 2:00
若いころから、僕は演奏家に恵まれてきたと、つくづく思う。前記の鷲見(すみ)康郎君だけではない。同級のピアノ専攻に高橋アキさん…続き
5月19日
19日 2:00
武満さんの「何ほどのこともなく作曲していたい」という言葉が大好きだった。というより、日ごろ僕が思っていることを言ってくれた、…続き
5月18日
18日 2:00
武満さんが言う。「僕、冷房も扇風機も嫌いなんだ。ごめんね」。持った鉛筆が汗ですべる暑さ。ふと見ると、グランドピアノの下に電気…続き
5月17日
17日 2:00
恩師に教えられた数々のことについてお話ししてきたが、作曲家としての自分の歩みを振り返ったとき、脳裏に浮かぶのは師匠だけではな…続き
その他