八月二十一日、『八犬伝』九輯(しゅう)巻之五十三を稿了(こうりょう)した。八犬士の後日譚(ごじつたん)を語り、「回外剰筆(かいがいじょうひつ)」で作者の心境を述べた。…続き
敵方は関東管領(かんれい)である扇谷定正(おうぎがやつさだまさ)、山内顕定(やまのうちあきさだ)の連合軍、足利公方成氏(あしかがくぼうしげうじ)を味方につけ兵数数万だ。…続き
漢字雅言(からもじがげん)、仮名遣い、てにをはも心得ぬ者に一字ごと一句ごとに教えねばならぬ苦労たるや、覚悟を絶した。代写が一枚に満つと読み返させ、…続き
丁子屋は馬琴の眼の不如意を察して口授(くじゅ)代写を勧め、筆耕者を連れてきたことがある。
ぶっつけ書きが長年の慣い、ひとたび口を開けば泳ぐ魚のごとく…続き
馬琴は滝沢太郎を十七歳と申し立てて勤めの願いを上げた。珍しくない方法で、齢(よわい)の詐称など可愛(かわい)いものだ。なにしろ株の売買が黙認されている。…続き
七月八日、清右衛門の病状が急転し、息を引き取った。ひと月も寝込まぬうちの、呆気(あっけ)ない死だ。
「三年の間に、実子養子の二人を喪(うしな)うとは」…続き