2/20
明治二十九年二月、菅虎雄から熊本の第五高等学校に赴任して欲しいという手紙が届いた。
菅は帝国大学の二年先輩で、ドイツ文学を専攻していた。…続き
2/19
その夜、夏目家の二人が引き揚げた後、今は鏡子の一家の住いになっている書記官長官舎の一室で、母のカツが鏡子に言った。
「あの人でおまえはよかったのかいね?」…続き
2/18
明治二十八年十二月二十六日、金之助は東京にむかう汽車の中にいた。
程なく日が暮れる。金之助は上着のポケットから一枚の写真を出して眺めた。車中でこの写真を見るのは、これで三度目だった。…続き
2/17
明治二十八年十月三十日、子規は東京へむかう汽車の窓から、天を突く富士山を仰いだ。
確か、友が、この山をよく見ておけと送別の折、言ってくれた気がした。…続き
2/16
子規は途中、神戸の病院で担当医に身体を診せ、旅に差障りナシ、という診断を貰い、それを故郷の母と大原家に手紙で報(しら)せた。
診断の結果に子規はたいそう喜び、…続き
2/15
愚陀仏(ぐだぶつ)庵での子規との日々も、四十日が過ぎた頃、子規が東京に行くと言い出した。
母の八重も周囲も子規の上京に反対だった。…続き
2/14
連載小説「ミチクサ先生」は作者、伊集院静氏の病気療養のため、2月20日掲載分を…続き
2/14
先に湯船を出た子規は、金之助が湯船で泳いでるのを見て、苦笑した。コラコラ、秀才君、立札に、ここで泳ぐべからずと書いてあるぞ、と言いたかったが、金之助の好きにさせておいた。…続き
2/13
道後の湯屋で金之助は子規の背中を流そうと背後に回った。
その時、金之助は思わず息を呑(の)んだ。
痩せ衰えた子規の背中は、骨と皮ばかりで見るも無惨(むざん)だった。…続き
2/12
皆と松山の街へ吟行へも出かけた。
吟行は、散策をしたり、時には数泊の旅へ出かけて、皆が句作をすることである。…続き
2/11
金之助の暮らしは、それまでと一変した。
子規を訪ねて来る人の多さに驚いた。
金之助は普段、朝八時から昼二時まで授業をすれば、…続き
2/9
「よう秀才先生、小理屈ばかりの伊予者が只今(ただいま)帰って来たぞな」
金之助は玄関に立った子規を見て、一瞬、鼻の奥が熱くなっ…続き
2/8
これまで経験したことのない喀血(かっけつ)の量に、さすがの子規も船室でじっと横臥(おうが)し続けた。
下関から瀬戸内海に入り、…続き
2/7
日本の清国への勝利は列強国を驚かせた。
下関の講和会議で日本は賠償金(二億テール)と遼東半島、台湾の日本領化を得た。…続き
2/6
「こりゃいい。ここなら気持ち良く過ごせます」
金之助は二階の窓から外景を眺め嬉(うれ)しそうに言った。
「夏目さんが松山に来たら…続き
2/5
金之助は授業が終了すると、顔色ひとつ変えずに教室を出て行った。
ガヤガヤと音を立てて生徒たちが一人の生徒の下に集まった。
級長の真鍋嘉一郎だ。金之助に間違いを指摘しようとしたクラス一の秀才である。…続き
2/4
金之助の松山での最初の授業がはじまった。
担当するのは四、五年生である。
授業をするのは、すでに東京の師範学校、東京専門学校で三…続き
2/3
翌日、金之助は学校へむかった。
宿屋の主人が人力車を用意しましょうか、と聞いたが、私はただの中学校の教師だよ、と断った。…続き
2/2
金之助は青い背広に中折れ帽を被り、右手にこうもり傘、左手に鞄(かばん)を手に桟橋に降り立った。皆が見慣れぬ服装に目をむけ、何より口髭(ひげ)の貫録(かんろく)に思わず会釈する。…続き
2/1
明治二十八年四月七日、上野の山の桜が満開の朝、夏目金之助を乗せた汽車が新橋駅を出発した。
むかう先は四国、松山である。…続き
コラム