年28兆円の管理社会
移動や異論封殺、失敗許さぬ「理想郷」

大中国の時代
次なる危機③

6月、中国中部の河南省。地元当局が新型コロナウイルスの感染対策アプリを不正に使い、1300人以上もの移動を封じていたことが判明する。山東省在住の楊さんもその一人だ。

夜行列車で6月13日朝、河南入りした楊さんは目を疑った。目的地の鄭州駅が近づいたとたん、スマホの「健康コード」が赤く点灯したからだ。

中国では当局が市民の位置情報を追跡している。陽性者との接触が疑われるとアプリが赤色に変わり、厳しい行動制限を受ける。

感染者に近づいた覚えはない楊さんだが、駅に着いてさらに驚いた。「あなたは河南を離れなくてはならない」。当局職員に連行されたのだ。

楊さんが河南省を訪れたのは、地元銀行に預けた23万元(約500万円)を下ろすためだった。4月以降、現地では複数の銀行が預金引き出しを拒否し、抗議が殺到していた。デモの広がりは減点になる。そう恐れた当局がコロナ対策を口実に、不都合の隠蔽に走った。





厳しい社会統制でウイルスを封じ込める「ゼロコロナ」政策は世界に衝撃を与えた。「一切の感染を許さない」。習近平(シー・ジンピン)政権の方針を受け、上からの抑えつけも各地で一線を越えていく。

4月14日、中国のSNS(交流サイト)上で都市封鎖中の上海を映した動画が出回った。「警察は出て行け」。マンション住民が退去勧告に抗議すると、白い防護服姿の警察官が一斉に拘束に動き、悲鳴が上がる。

上海が3月末に踏み切った都市封鎖は2500万人の外出を例外なく禁じ、一部の人は住まいを無理やり追い出された。SNSでは食料を断たれて困窮する市民の姿、警察の暴力的な対応が相次いで実況中継され、当局が削除対応に追われた。

5月中旬、封鎖が続く中国上海市で、食料配給に使われたとみられるケースが大量に捨てられ、通れなくなった歩道=共同

それでも習指導部は揺るがなかった。「わが国の防疫方針を疑い、否定する言動とは断固として闘う」。5月にはこう宣言し、さらなるネット統制の強化を始めた。

動き出した強権はなかなか自ら止まれない。

「半年間で発症者は1億1200万人に増え、160万人が死亡する」。科学誌ネイチャーメディシン掲載の米中共同研究によると、中国がゼロコロナを緩和すれば壊滅的な打撃を受けたという。普及する中国製ワクチンの効果が低いためだ。

習政権にとってはメンツと威信がかかる。欧米産ワクチンには頼れず、防疫政策を修正できない。

一切の例外を許さない。習氏は12年に共産党トップに就くと、反腐敗運動で「ゼロ・トレランス(不寛容)」政策を打ち出した。いまや完璧をめざす動きはすべてに及ぶ。

「21年の検挙率は空き巣など侵入窃盗で96%、地下鉄のスリは100%に達した」。上海市公安局は実績を誇る。

21年までに全ての住宅地と商業ビルに街頭カメラを置き、監視の目を広げた。20年の強盗事件は72件。ピークの00年から98%減と「ゼロ」が現実味を帯びてきた。

テクノロジーによって無犯罪の社会という理想が近づく。しかしその代価も決して小さくない。

中国が国内の治安維持や言論統制などに使う「公共安全費」は20年に28兆円にのぼり、10年間で2倍超に増えた。米国を急速に追い上げる国防費を7%も上回る。

それだけではない。ゆがみ始めた締め付けにマグマもたまる。

かつて「民主の村」と呼ばれた広東省烏坎村、今は監視カメラが目立つ

「転倒兄さん」。6月下旬以降、警察をからかう隠語が中国SNSで流行する。発端は東北部の遼寧省丹東で起きた事件だった。

40代の女性とその父親が病院へ向かっていたが、健康コードが理由で警察に呼び止められる。「今の撮ったか」。押し問答になり、倒れた振りをした警官の動画が嘲笑とともに拡散した。ゼロコロナで当局不信は深まり、ネットには新たな不満が次々と根を張っていく。

社会の活力や技術革新を生み出すのは、多様な意見のぶつかり合いがあってこそだ。あらゆる異論と反論を封じ込め、すべてを統べようとするほど、世界との距離も広がる。その反作用はいつか必ず大中国の足かせとなる。



香港の愛国統治、標的は世論調査 民意に目を閉ざす

4月、香港の民主主義を支えてきた人物がまた1人、当地を去った。香港理工大学前准教授の鍾剣華氏は英国に向かう機上で、フェイスブックに「いまの香港には誠実な言葉が許される余地はなく、あるのはウソだけだ」と投稿した。

鍾氏は勤めていた世論調査機関・香港民意研究所(民研)に絡み、警察から3回呼び出しを受け「香港はもはや脅威を感じずに暮らせる場所ではなくなった」と漏らした。

香港大学の研究室を母体に発足した民研は、多くの香港研究者が参照する信頼性の高い調査を手掛け、ときに中国に不都合な民意を映し出してきた。香港国家安全維持法(国安法)施行後、民主派メディアや労働組合などが次々と解散に追い込まれた香港で、次の標的とささやかれる。

中国共産党に批判的な香港紙・蘋果日報(アップル・デイリー)は廃刊に追い込まれた=ロイター

民研が2021年の立法会(議会)選挙の投票行動を尋ねた調査では「白票を投じる」との選択肢が「民意を操り、選挙制度を破壊する」と批判された。「ゼロコロナ」政策や、ロシアのウクライナ侵攻に関する調査も問題視され、中国政府系メディアは「科学的な根拠を欠き、外国勢力と結託している疑いがある」と断じた。

世論調査を取り巻く環境は厳しさを増す。香港城市大学の小林哲郎准教授によると、政治的な質問に回答者が正直に答えなかったり、研究者がセンシティブな質問を自粛したりする動きがあるという。「民主派の支持率など基本的な情報が見えづらくなり、市民社会の萎縮につながっている」と話す。

親中派は民研を激しく攻撃する一方で、「紫荊研究院」や「橙新聞」などの調査を頻繁に引用する。これらは民研の調査や香港市民の肌感覚とはまるで異なる結果を示す。

例えば、民研の調査では香港でゼロコロナ政策を支持する人は32%にとどまり、コロナとの共生の支持率は57%に達する。ところが紫荊の調査では、ゼロコロナ支持は68%と、ウィズコロナの24%を大きく上回る。紫荊調査では国安法が自由や権利に影響しないとの回答も76%に上った。

親中派が16年に設立した紫荊研究院の実態は謎に包まれている。世論調査に詳しい専門家は「中国出身者が好む微信(ウィーチャット)などSNSを使って調査しているようだ。サンプリングに偏りがあり、まともな研究者は相手にしていない」と話す。

紫荊に調査手法や中国との関係を尋ねたところ、直接回答せず「香港と国家に奉仕し、愛国者を団結させ、香港におけるよりよい一国二制度の実践を支援する」とコメントした。

習近平・国家主席㊨は5年ぶりの香港訪問で「愛国者による香港統治」を求めた=ロイター

習近平(シー・ジンピン)国家主席は7月1日の返還25年にあわせて5年ぶりに訪問した香港で「愛国者による香港統治」の徹底を訴えた。指導部と異なる意見は政策遂行の妨害とみなし、民主派排除の手を緩める気配はない。

政府系香港紙は習氏の演説で市民の77%が一国二制度への自信を深めたとの調査結果を掲載した。プロパガンダは強まるばかりだ。民研の鍾庭耀主席は「科学と民主の旗を掲げながら社会や世界の方向をどう見定めるか。世論調査は新たな課題に直面している」と指摘する。

権威主義体制では反対派を弾圧し続けると、やがて政府を支持する声しか聞こえなくなり、民衆の不満が突然爆発する現象が知られる。「社会の体温計」である世論調査を攻撃し、民意に目を閉ざす香港の「愛国統治」は大きなリスクを抱え込んだように見える。