沖縄復帰50年 変わる街、動かぬ基地

沖縄県が本土に復帰した1972年5月15日の朝、那覇市の国際通りで日の丸を掲げて歩く人たちと50年後の2022年、同じ場所から撮影した国際通り

米施政権下にあった沖縄県が日本に復帰し、15日で50年を迎える。1972年に復帰後、豊かな自然に恵まれた沖縄はリゾート地として国内外の観光客を呼び込み、経済成長してきた。2000年には名護市で主要国首脳会議(サミット)が開かれ、本土復帰後初めての米大統領による沖縄訪問が実現。一方、基地移設の問題は途上だ。日米両政府は1996年に米軍普天間基地の返還合意をしたが、今も市街地にあり「世界で最も危険な基地」といわれている。政府は移設先である名護市辺野古の沿岸部で埋め立て工事を進めるが、県民の理解は得られないまま。本土復帰から50年。過去の写真などを基に沖縄の変遷を伝える。





基地隣接の美術館 沖縄の歴史・文化、発信続ける

東京ドーム100個分を超える広大な敷地の米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)。フェンスに区切られた一角にあるのが佐喜真美術館だ。館長の佐喜真道夫さん(75)は本土復帰後、街の中心に広がる基地内に先祖がもっていた土地があったと知った。「返してもらわなければならない」と自ら米軍側と交渉。復帰から20年後、返還を実現した。

美術館を建て、沖縄戦の悲惨さや平和を訴える作品を多く展示している。「沖縄の歴史や文化、人間の問題を考える場所にしたい」。佐喜真さんは次世代に向け、メッセージを送り続けている。




写真で振り返る50年


消えた辺野古の海

土砂投入が始まった2018年12月と2021年11月の沖縄県名護市辺野古沿岸部=共同
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変わりゆく商店街

買い物客でにぎわう1972年5月の平和通り(共同)と2022年4月の平和通り
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動かぬ基地

1954年の米軍普天間基地(沖縄県公文書館所蔵)と2021年の米軍普天間基地(Google Earth)
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(井上容、木村梨香、山本 博文、石井 理恵、沢井 慎也)