新天地と故郷でイチゴを再び

 津波で壊滅的な被害を受けた宮城県亘理町のイチゴ農家のうち5軒が、北海道伊達市に移住して再起を目指している。伊達市は明治初期に亘理伊達家が開墾した祖先ゆかりの土地。一方の亘理町では、新たに整備された「いちご団地」で今年から生産が再開された。  新天地に踏み出した息子と故郷にとどまった父。海を挟んだそれぞれの土地でイチゴに向き合う親子の姿があった。 (20日 14:14)

北海道伊達市で赤く色づいたイチゴ。夏から秋にかけて収穫する加工用の「すずあかね」という品種だ。道内の洋菓子店と買い取り契約を結び、出荷も軌道に乗ってきた(11月9日)

  • 有珠山と昭和新山のふもとに真新しいビニールハウスが並ぶ。伊達市が被災地支援の一環として建設した。2011年夏に亘理町のイチゴ農家が移住し、研修と試験栽培を経て今年度から本格的な生産を始めた(11月9日)
  • 今季最終盤の収穫作業に追われる丸子裕人さん。亘理町で父親とともにイチゴ生産に励んでいたが、津波で28棟あったハウスはすべて流された。伊達市からの呼びかけに応じ、「亘理で再開のめどが立つまでは」と、移住を決意した(11月9日)
  • 気候や品種、栽培方式の違いなど戸惑うことも多かったが、ともに移住してきた5軒で協力し合う。亘理町では農協から借り受けていた受粉用のミツバチも、自分たちで管理を始めた。ビニールハウス作りなど初めての作業も経験し、新たな技術の習得にもつながっている(10月10日)
  • 亘理町に残った父、忠志さんは今年から「いちご団地」での生産を再開した。震災後、同業者のなかにはイチゴ栽培を断念した農家も少なくない。「息子が北海道に行くと聞いたときは驚いた。農家をやめて勤めに出ても仕方ないと思っていたから」。震災前に主流だった土耕栽培は塩害のためにできなくなった(11月5日、宮城県亘理町)
  • 朝日を浴びる「いちご団地」。クリスマス時期を控え、ケーキ用の収穫が忙しくなってきた。忠志さんは夜明け前からハウスに入り、赤い実を黙々と摘み取っていく。団地内のハウスは息子がいつ帰ってきてもいいようにと、忠志さんが申し込んだものだ(12月12日)
  • 「故郷のことも気になるが、今はここでイチゴ栽培を成功させて新規就農者のモデルになれるよう頑張りたい。それが支援してもらった伊達市への恩返し」(裕人さん)=写真上。「これまでのやり方は経験頼みだった。北海道で息子が学んでいることは亘理でも参考になる。お互いに良い勉強をさせてもらっている」(忠志さん)
  • 忠志さんが出荷するイチゴには支援への感謝を表すシールが張られる。ふたりそろってイチゴ生産に取り組む日まで、親子それぞれの奮闘が続く(12月12日、宮城県亘理町)=写真 佐光恭明