モアイ帰る 地元石工の思い

 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の人たちを励まそうと、チリ・イースター島からモアイ像が贈られた。像の設置には、かつてモアイ像のレプリカを造り、津波で亡くなった父の跡を継いだ地元の石工が携わった。復興のシンボルと観光の目玉として期待されるモアイ像に複雑な思いを抱く石工の姿を見つめた。 (18日 21:53)

夕空に浮かぶモアイ像(宮城県南三陸町)

  • 南三陸町志津川地区の入り口にある橋で、モアイ像のレプリカが町を訪れる人たちを迎える。1960年のチリ地震津波から復興した被災地同士の友情の証しとしてチリからモアイ像が贈られた際、鈴木隆さん(45)の父で石材店を営んでいた與三郎さんが手がけた。「モアイなんて造ったことがないから、見よう見まねでおやじを手伝ったっけなぁ」
  • 2年前のあの日、港近くの自宅は津波で全壊し、與三郎さんをはじめ母、祖母、弟の家族4人が亡くなった。「つらくても、ここで働いて生きていかないと」。鈴木さんは助かった妻と2人の子どもと仮設住宅に入り、高台にあって無事だった父の会社を継いだ
  • 津波でモアイ像を失った町民を励ますために、イースター島で新しい像が造られた。日本に贈られた像の土台づくりなどをしたのは、かつて同島の像を復元した奈良市の石工、左野勝司さん(70)。「南三陸の人たちがモアイを自分たちのものと思ってもらうために、仕上げは地元の人と一緒にしたい」と考えた左野さんは、鈴木さんをパートナーに指名。仮設商店街の一角に像を建てる祭壇を造った
  • 5月、ついに像が南三陸にやってきた。クレーンで慎重につり上げられ、空に浮かんだ。将来、今の場所から震災復興祈念公園へ移す際、再び解体し組み立てるため、鈴木さんは像の仕組みを学びながら作業にあたった
  • だが、鈴木さんの胸の内は複雑だ。「モアイがあるからといって、それだけでここの人たちが元のように働けて自分の家で暮らせるようになるわけじゃない。これから町がどうなるか分からないと不安になるし、よそへ引っ越す人だって多い。もっとやるべきことがあるとも思うんだ」
  • 5月25日の贈呈記念式典の日。商店街にはイースター島で「未来に生きる」との意味を持つモアイにちなんだポスターが張られ(写真右上)、チリなどからも来た約200人が設置を祝った(同左)。「まさかこんなに人が集まるとは。思ってたよりモアイはすごいんだな」。鈴木さんは笑顔を見せた
  • 翌月、日が落ち見に来る人もまばらな像の下で、芝生に水をやり、落ちている石を一個一個拾う鈴木さんの姿があった。「手入れは大変だけど、せっかく遠くから見に来る人がいるんだから、きれいにしておかないと」 。時に悩みながら、南三陸の人たちはモアイとともに復興への道を生きている(6月10日、宮城県南三陸町)=写真 浦田晃之介

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