写真の力を信じて

 2011年3月に始まった「高校写真部による東日本大震災復興応援プロジェクト」。高校の写真部員が街頭で被災地への応援メッセージを書いてもらい、それをポートレート写真に収め、被災地に届けるという取り組みだ。被災地でも返事を書いてもらい、双方向の写真展としてこれまでに全国で62回の展示を行った。震災から2年を機に一区切りをつけることとなり、プロジェクトに参加した高校生らが宮城県の沿岸被災地を訪れた。 (29日 23:51)

北海道から沖縄県までの31校がプロジェクトに関わり、展示枚数は2700枚を超える。見ず知らずの人に話しかけ、メッセージを書いてもらうという行為に、時に難しさを感じながらも高校写真部員は撮り続けた(3月24日、仙台市青葉区)

  • 津波の爪痕が残る小学校を撮影する埼玉栄高校2年の武正侑宏(ゆきひろ)君。「少しずつ忘れていくのが人間。写真展も今回で終わりだけど、どんな形でも被災地との関わりは持ち続けたい」(仙台市宮城野区の蒲生地区)
  • 埼玉栄高校を今春卒業した伊藤有紀さん(左手前)。2011年5月にも訪れた荒浜地区は、「前はがれきだらけでグレーだったのが、今は片付けられて茶色い土が見える」と車窓の景色に時間の経過を感じていた(仙台市若林区)
  • 荒浜地区で撮影の前にまず手を合わせる(写真上)。津波で義理の娘婿と自宅を失った語り部ドライバー、桜井慶哉さん(66、同下中央)は、「被災地は片付いているように見えるかもしれない。でも、実は違う。お客さんが来たから邪魔なものを全部押し入れに突っ込んで隠しているような状態なだけ」とたとえて話した。「津波は逃げるが勝ち。自分の住んでいる地域の高台を確認して」。生徒たちは聞き入った(仙台市若林区の荒浜地区)
  • 波を撮影する生徒たち(写真上)。埼玉栄高校2年の日原慧子さん(同下中央)は、昨年11月に福島県いわき市で開いた写真展で、被災者の女性が書いてくれた「忘れないで」の言葉が胸に応えた。被災地の現状を自分の目で見て、シャッターを切ることにした(仙台市若林区の荒浜地区)
  • 新潟県立十日町総合高校2年の浅見はるかさん(左)は、2004年の中越地震で小千谷市の自宅が半壊した。地元で応援メッセージを撮ったときに感じたこと。「『頑張れ』という言葉を使わない気遣いを見せる人が多かった。うちもおじいちゃんが補修しただけだし、直っていない道路もまだある。頑張りようがないこともあるのかもしれない」(仙台市若林区の荒浜地区)
  • 1年前、仙台市内の繁華街に「3.11」をテーマにした写真コンクールへ出品するため撮影する宮城県柴田農林高校2年の安藤すみれさんの姿があった。被災県の内陸部に住む人間として、沿岸被災地を撮ることは、どうしてもはばかられたという(2012年3月11日、仙台市青葉区)
  • しかし2年がたち、安藤さんの考え方は変わった。「震災のことで自分でも忘れてきていることがあると気付いた。忘れないために、撮らないといけない」と、津波による被害の状況を写真に収めた。記録として沿岸被災地を撮ったのは、この日が初めてだった(仙台市宮城野区の蒲生地区)
  • プロジェクトを立ち上げた埼玉栄高校写真部顧問の高橋朗教諭(51)は、「震災直後とは違い、最近は地元で書いてもらうメッセージに温度差のようなものが感じられていた」と区切りを付けることの理由を挙げた。「でも、私たちの復興応援の気持ちは終わらない」(仙台市宮城野区の蒲生地区)
  • 自分たちが撮った写真に囲まれ記念撮影するプロジェクトのメンバー。この日、写真展を丹念に見ていた男性会社員(23)は、「人と人とのつながりの大切さが伝わった。被災して傷ついた人、被災地を思う人、写真を撮る人、その写真を見る人、関わる人全てが前を向く力をもらっているのでは」と感想を述べた。高校写真部員は「写真の力」を信じ、次の活動を模索する(仙台市青葉区)=写真 浅原敬一郎