覚悟の診療 さよなら亨平先生

 末期がんと闘いながら、被災地の除染活動や妊婦らの診療に尽力した福島県南相馬市の原町中央産婦人科医院の高橋亨平院長が1月22日、74歳で死去した。震災後、走り続けた亨平先生の軌跡をたどった。 (21日 21:13)

満開の桜の下で笑顔を見せる高橋院長(2012年4月、南相馬市の自宅前)

  • 高橋医師は震災直後、一時避難したが、3日で南相馬市に戻り診療を再開した。福島第1原発事故の影響で30歳以下の人口が激減した町で、不安におびえる妊婦たちを勇気づけてきた(2011年11月)
  • 2011年9月、効果的な除染方法を研究する「南相馬除染研究所」を設立した。「子どものいない町に未来はない」。高橋院長の思いに共鳴した医師、建設業者、保育園関係者などが業種を超えて集まり、南相馬市の未来を議論した(2011年12月)
  • 高橋院長は、当時国内に数台しかなかった内部被ばくを検査する「ホールボディーカウンター」の配備にも尽力した。「継続した検査とデータこそが安心につながる」が持論だった(2011年12月、南相馬市立総合病院)
  • 個人宅の庭を除染する除染研究所のメンバー。仮置き場などの問題で行政による個人宅の除染が遅れる中、いち早く妊婦や家族連れの不安に耳を傾けてきた(2012年4月)
  • そんななか直腸がんが見つかった。転移をしており末期の状態だったが「震災で亡くなった人のことを思えば、死ぬことは怖くない」といつも通り診療を続けた。震災から1年が過ぎ、自宅の桜が満開になった。妻のトヨ子さんと(2012年4月)
  • 産まれたばかりの赤ちゃんを検診する高橋院長。婦長の山田米美さん(左、74)は院長と40年以上仕事をしたいわば戦友。弔辞では「先生のご遺志を守り、患者さんに優しく接していきます」と声をつまらせた(2012年5月)
  • 放射線量を測定する高橋院長の次男の荘平さん(36、右から3人目)ら除染研究所のメンバー。様々な除染方法の実証実験を続けている(2012年6月)
  • 2012年12月17日、市内の飲食店で74歳を祝う誕生日会が開かれた(高橋荘平さん提供)
  • 2013年1月3日、体調を崩し入院した病院の個室で、次男の荘平さんと手を握る高橋院長。ハウスでの水耕栽培で安全な農業を復活させるアイデアなど、病床でも南相馬市の未来について語り続けた。診療に戻ることを望んだがかなわず、1月22日、永眠した
  • 2月10日に行われた本葬には大勢の弔問客が訪れた。2012年の4月に同院で慶一郎ちゃんを出産した豊田明子さん(写真左下、37)は「1歳になった姿を見せたかった」と涙ぐんだ
  • 40年にわたり、南相馬市で1万人以上の新生児を取り上げた亨平先生。深夜いつでもお産に駆けつけられるよう、入院前まで使っていた自宅の部屋には、胸ポケットにペンが刺さり腕まくりをした白衣が残されたままだ(2月17日)
  • 原町中央産婦人科医院は、後継者となる医師の手で引き継がれ診療が続く予定だ。また南相馬除染研究所も父の遺志を継いだ荘平さんを新代表として活動を続けている(1月23日、福島県南相馬市)=写真 小林健