被災地の島で生きる

 宮城県の女川港から船で約20分の沖合に浮かぶ出島。東日本大震災以前はおよそ300人が暮らしていた。地震と津波で島内の集落にあった家屋のほとんどが流され、高台に取り残された住民は翌日ヘリで救出されたが、避難先はばらばらだった。昨年9月、島に仮設住宅が完成したものの、島に戻ってきた住民は100人にも満たないという。仮設住宅で暮らす島内の出島地区の女性たちは、「自分たちでなにかしたい」と「出島なでしこの会」を作り、支援物資で布製のかばんや小物を作り販売を始めた。島に戻った女性たちは奮闘する。 (22日 21:22)

女川港から出島に到着した定期船。震災前は一日6便だったが、現在は3便と半減した(20日、宮城県女川町)

  • 島の生活は漁業が支えてきた。港では取ってきたアワビを漁師たちが選別していた。天候が悪かったのでアワビの収穫は今年まだ2回目だという
  • 島は地震によって地盤沈下した。岸壁は1メートル以上かさ上げした。しかし、いまだ整備されていない場所が残る
  • 島の仮設住宅で暮らすほどんどが漁師だ。アワビの他にはホタテやサケの養殖が盛んだ。笑顔で働く佐藤孝子さん(写真右下)は、夫の漁を手伝いに午前7時から一緒に船に乗ってきたという
  • 港につく船を待つ木村洋子さん(中央)は、震災以前、島で食料品や荷受けを扱う店を営んでいた。津波で自宅も店も流された。9月下旬、島に戻り、仮設住宅で暮らしながら荷受けの仕事を再開した。「ずっと島で私がやってきた仕事だから慣れてるし、島の人の役に立ちたいから」と話す木村さん
  • 出島で生まれ育った木村さん。「今は何もないけど、港の近くには家が並んで、いいところだったんですよ」と遠くを見つめた
  • 談話室に集まる仮設住宅の女性たち。毎日集まって、「お茶かもりが楽しんだあ」と酒ではなくお茶とお菓子で会話が盛り上がる。仮設での暮らしの中で「自分たちで何かできることはないか」と、支援で届いた着物などの布を使って小物を作り、販売をすることにした
  • バッグやコースターなどを手作りして、仙台や東京の展示会で販売する
  • 談話室に飾られたリース。使ったのは島の山で拾ってきた枝やきれいな葉っぱ。「これまで海で生活してきたから、山なんて気にしてこなかった。高台の仮設に来て、初めて山のものに触れた気がする」と木村さん
  • 木村さんが営んでいた食料品店跡に、ボランティアがプレハブを建てた。「震災前は港に人が来て、店で話ができた。津波で流されて何もなくなったけど、またたくさんの人が立ち寄って、いろんな話ができる場所になったらいいな」と木村さんは復興に思いをはせる(20日、宮城県女川町の出島)=写真 小川望

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