差別、迷い――飯舘の人は今

 福島第1原発の事故で全村避難となり、1年半が経過した福島県飯舘村。10月末、福島市と同県川俣町の借り上げ住宅でばらばらに暮らす飯舘の人たちが集まり、芋煮会が開かれた。参加した佐藤まき子さん(59)がこれまでを振り返り、今の暮らしを率直に語ってくれた。帰村のめどが立たないなか、いわれのない差別を受ける日々。揺れ続ける思いが収まる日はいつ来るのだろうか。 (31日 18:00)

芋煮会の準備をする佐藤さん。震災直後に埼玉県に避難した後は各地を転々、昨年11月に福島市内の借り上げ住宅に移った(10月28日、福島県川俣町)

  • 飯舘村の自宅には雑草が生い茂る。「今は振り子の状態。帰ると家がいいなと思うけど、福島市は便利で暮らしやすい。これからは村への思いがだんだん薄れていくのかなあ」とさみしそうにつぶやく(9月24日)
  • 埼玉県に避難中、気晴らしにと花見に出かけた。乗っていた福島ナンバーの車が道行く人たちに指さされ「えーっ、福島だよあれ」「やばいね」と言われた。「涙が出ました。あれだけはつらかった」(埼玉県内)
  • 福島市に転居後、震災前から務めていた主任児童委員の活動を再開した。仮設の学校で校長から子どもたちの様子を聞くなど、少しずつ以前の生活を取り戻し始める(福島市)
  • この春にはほぼ震災前と同様の活動に戻り、時折研修にも参加するようになった。だが、このころから受け入れ先の福島市の人たちの目が変わってきたと感じるようになった(9月21日、福島県相馬市)
  • 「まだ戻らないの」「お金いっぱいもらえていいね」――。これまで同情してくれていた人たちの言葉が変わった。「私の親戚は『あんたたち飯舘でしょ。じゃあ車にセシウムついてるでしょ』と言われました」(10月28日、福島県飯舘村)
  • 芋煮会には70人の村民が集まった。匂いに誘われネコもやってきた
  • 「来年には福島市の人たちとの交流会も企画したいと考えています。下を向かず前向きに、といつも思っています」。揺れる心を抑えて、佐藤さんは懸命に先を見つめている(10月28日、福島県川俣町)=写真 松本勇

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