もうひとつのボヘミアン・ラプソディ

クイーンの伝記映画のヒットもあって身近な地名になったボヘミア。そのチェコ中西部にある小さな町を領地としたクーデンホーフ=カレルギー伯爵家の次男リヒャルトは第1次世界大戦後、欧州統合の意義を説いた書を初めて世に問うた。今、城は廃れ、訪れる人はまれだ。ボヘミアの田舎町を起点に、旅を始めた。 (10日 18:14)

ドイツとの国境近く、チェコ語でポベジョヴィツェと呼ばれる小さな町に立つロンスペルク城でリヒャルトは育った=山口朋秀撮影

  • 学位を取得したときのリヒャルト。母ミツコは東京・牛込の骨董商、青山喜八の三女で、オーストリア・ハンガリー帝国公使館の代理公使ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギーに見初められ嫁いだ(1916年、ウィーン)=Archives cantonales vaudoises,PP1000
  • ひんやりした空気が流れ、にぶい日の光が差し込むロンスペルク城の内部。城内の修復が試みられてきたが、資金難から工事は凍結されたままだ
  • ロンスペルク城を管理するポベジョヴィツェ町長のマーティン・コペツキー氏は再建に意欲をみせる
  • 修復された居室の壁を磨いているうちにフレスコ画が浮き出てきた。「日本と縁がある城だと町の人はほとんど知らなかった。由緒ある文化財だという意識もなかった」とコペツキー町長は語る
  • 町の人の無関心が少しずつ変わり始めるきっかけとなったのは、愛知県などの造園家らが2015年に城の一角につくった「平和の石庭」
  • ミュンヘン在住の作家で、クーデンホーフ母子の生涯を追い続けてきたシュミット・村木眞寿美さん。彼女の熱意で修復や石庭造りが進んできた
  • リヒャルトのひつぎは、第2次大戦後に妻イダと暮らしたスイスのグシュタードに納められている。墓所は長年、荒れ放題だったが、日本の造園家らが整えた