慈円「愚管抄」

平安時代の終わり、崇徳上皇とその弟の後白河天皇が朝廷の実権をめぐり、配下を巻き込み争った「保元の乱」。武士の政界進出の発端となった。そこに乱世の始まりをみた慈円は世の道理を明らかにしようとし「愚管抄」を記した。保元の乱に由来のある京都市内を歩いた。 (21日 15:00)

保元の乱で後白河天皇方が陣取った高松殿跡の高松神明神社。オガタマノキが境内を包む

  • 高松神明神社の周囲は住宅街。白い鳥居が異彩を放っていた
  • 祇園にある崇徳天皇御廟
  • 崇徳天皇は保元の乱で讃岐国に配流され、その後京都には戻れなかった
  • 崇徳天皇御廟からほど近い通りにはちょうちんが闇夜に浮かぶ
  • 崇徳天皇をご祭神とする白峯神宮。球技をはじめスポーツ全般の守護神とされ、サッカー日本代表を応援する垂れ幕が拝殿に掲げられていた
  • 高松神明神社境内の植木から雨水がするりと落ちた=三村幸作撮影