対中「贖罪意識」否定に腐心 外務省、天安門後の姿勢巡り(外交文書公開) 中国・台湾 政治 12月23日 天安門事件を巡る日本政府の対中融和姿勢に関し、外務省は当時、過去の中国侵略からくる「歴史への負い目」が背後にあるとの見方を否定しようと腐心していた。事件発生から3日後の1989年6月7日付の外交文書で分かった。民主化を武力弾圧した中国への批判のトーンを、贖罪(しょくざい)意識に基づき抑えたと受け止められれば、国内右派の反発を招くと警戒したためとみられる。 当時の栗山尚一外務審議官の名前で作成され 対中「贖罪意識」否定に腐心 外務省、天安門後の姿勢巡り(外交文書公開)
日本、G7首脳会議「1対6」 天安門で中国と欧米の板挟み(外交文書公開) G7首脳会議 中国・台湾 12月23日 日本が1989年7月の主要7カ国首脳会議(アルシュ・サミット)で、天安門事件の非難宣言を巡り、中国と欧米諸国の板挟みに苦慮した実態が23日公開の外交文書で判明した。対中関係維持に腐心する日本と、人権重視の欧米が「1対6」(元外務省幹部)の構図で激突。宇野宗佑首相は自ら交渉で「中国の孤立化回避」の文言を入れ込むなど融和に努めた。中国は日本に照準を定め、国際包囲網をかいくぐろうと試みる。 劣勢 「中 日本、G7首脳会議「1対6」 天安門で中国と欧米の板挟み(外交文書公開)
福川伸次(21)在任554日 福川伸次 私の履歴書 12月22日 大平正芳首相の入院生活が始まった。秘書官である我々は毎日、病院に詰めた。一部の有力政治家を除いて面会も謝絶。担当医が定期的に記者会見を開いた。 病状はかなり回復した。記者は確かめたがって「一回、お見舞いをさせてほしい」と申し入れがあった。医者の許可をとって代表取材を短時間認めた。写真も撮って報道された。 1980年6月の先進国首脳会議(ベネチア・サミット)に出席するかが問題であった。もし行くとす 福川伸次(21)在任554日
福川伸次(20)党分裂の危機 福川伸次 私の履歴書 12月21日 1980年5月11日夕刻、大平正芳首相と同行団は北米と欧州への12日間の旅を終えて帰国した。その間、野党は社会党が中心となり、財政悪化や政治腐敗などを理由に内閣不信任決議案を出す動きを強めた。自民党内では「党刷新連盟」ができて反大平の動きが加速していた。 不信任案の採決が行われれば、非主流派の福田、三木、中曽根3派が衆院本会議を欠席するかもしれないという噂が流れていた。社会党は16日に不信任案を 福川伸次(20)党分裂の危機
福川伸次(19)海外と連携 福川伸次 私の履歴書 12月20日 1979年12月5日から大平正芳首相が訪中し、私も同行した。日中国交正常化時の外相だったので、「昔の井戸を掘った人」として大歓迎された。当時は鄧小平氏が最高実力者として改革開放政策に転じていた。毛沢東、周恩来が相次いで亡くなり、中国がどこに向かうのかに我々は強い関心があった。 初対面の華国鋒首相とは2度にわたり会談した。日本は中国の近代化を支援する立場から第1次円借款の供与を表明した。この機会に 福川伸次(19)海外と連携
ラーメン官僚厳選 今年際だった塩系ラーメン新店2店 10月23日 すっかり秋めいてきた。現時点では少々時期尚早かもしれないが、本年1月からの新店の動向を振り返ると、今年は特にハイレベルな塩系ラーメンを提供する店舗の誕生が目立つような気がする。本来なら、もう少し面白いその年ならではの特徴があっても良いものだが、コロナで始まり、未だコロナ禍が収束へと向かう兆しがないこの状況下、語るべき特徴がひとつでも見付かっただけでも「良し」とすべきだろう。 そこで今回は最近、首 今年際だった塩系ラーメン 首都圏おすすめの新店2店
長期政権、後継選びで明暗 中曽根氏は主導成功 政治 8月28日 安倍晋三首相は24日、連続在任日数で佐藤栄作氏を抜いて歴代最長記録を更新した。長期政権を敷いた過去の首相は後継選びを主導しようと狙い、結果は明暗が分かれた。意中の人物に引き継いだ中曽根康弘氏と小泉純一郎氏には政権終盤の衆院解散・総選挙に勝利した共通点がある。 議院内閣制をとる日本は国会の議決で首相を選ぶ。過半数を持つ勢力が推す候補が勝つ仕組みで、現在の自公連立政権では自民党総裁が首相に就く。安倍 長期政権、後継選びで明暗 中曽根氏は主導成功
「首相臨時代理」は置けるか 許されぬ安易な権力移動 政治アカデメイア 清水 真人 編集委員 コラム(政治) 政治 8月25日 首相の安倍晋三の体調不安説が再燃した。2007年に第1次内閣を1年で投げ出した際にも見え隠れしながら、議論が尽くされなかった論点もよみがえる。国家統治を左右し、最高度に政治的な宰相の健康問題を誰がどう客観性をもって判断するのか。入院して一時的に首相臨時代理を置くような対応はできるのか、できないのか。不用意な権力の空白や移動は許されない。 ■退陣で官邸に空白の13日間 「私が感染した場合だが、しっか 「首相臨時代理」は置けるか 許されぬ安易な権力移動
松浦晃一郎(9)援助外交 松浦晃一郎 私の履歴書 8月9日 1975年から2年半、80年から3年の合計5年半を経済協力局で勤務した。開発協力課長、政策課長、参事官を務めた。日本の対外援助は第2次世界大戦の戦後賠償として始まったが、私は68年にインドで開かれた国連貿易開発会議(UNCTAD)の第2回総会に出席して以来、日本は政府開発援助(ODA)の大幅増額と地域的拡大が必要であると感じていた。 開発協力課長時代は、国際協力事業団の新事業であるソフトローンに 松浦晃一郎(9)援助外交
外務省の桜、今年も一足先に(写真でみる永田町) 写真でみる永田町 コラム(政治) 政治 3月17日 東京都心で14日、都心の開花記録として最も早く桜が開花しました。毎年、早めに花が開く外務省内の桜の木は、今年も開花発表の前から白や濃いピンクの花を咲き誇らせていました。そばを通った人が足を止めて写真を撮る様子をよく見かけます。 外務省の東南の角に咲いているのは伊東桜です。白い花の中に薄いピンクの花も混ざっていて、青空によく映えます。1981年ごろ、外相だった伊東正義氏にちなんで静岡県伊東市から寄 外務省の桜、今年も一足先に(写真でみる永田町)