春秋(2月27日) 2月27日 昭和40年代の有名な交通安全標語に「とび出すな 車は急に止まれない」がある。学校や家で何度も言い聞かされたという人も多いのではないだろうか。交通戦争といわれた時代。インパクトある表現は、子どもたちに分かりやすく注意を促す効果があったことだろう。 ▼だが改めて口にしてみると、違和感が拭えない。道路は車のもの。だから歩行者はじゃまにならないよう気をつけよう。そんな車優先の道路作りを象徴しているように 春秋(2月27日)
春秋(2月26日) 2月26日 85年前のきょう、帝都は雪景色だった。1936年2月26日早朝、陸軍の青年将校たちが約1400人の兵を率いて首相官邸や警視庁などを襲い、高橋是清蔵相ら要人を殺害。国会など国政の心臓部を4日間占拠した。高校歴史教科書の「二・二六事件」の記述である。 ▼その背景として「滝川事件」に触れる教科書もある。自由主義的な刑法学説を唱えた京都帝大の滝川幸辰教授が、政府の圧力で休職処分になる。法学部の同僚教授は 春秋(2月26日)
春秋(2月25日) 2月25日 広島、長崎に次ぐ「ヒバクシャ」はマグロ延縄(はえなわ)漁船の乗組員23人だった。1954年3月、太平洋ビキニ環礁における米国の水爆実験で「死の灰」を浴びたのが第五福竜丸である。「放射能パニック」が社会を襲い、このとき魚への風評被害が、初めて問題にもなった。 ▼核の脅威に人々は原爆投下時にもまさる憤りを我が事として覚えた。子供たちも例外ではない。半年後に亡くなった無線長の久保山愛吉さんと遺族には3 春秋(2月25日)
春秋(2月24日) 2月24日 いまが盛りの梅に300超もの種類があることを知ったのは、梅田操さんが編んだ図鑑を手にした10年ほど前のことだ。梅に魅せられた梅田さんは原種をさがして中国の雲南省へも旅した在野の研究者であり、静岡県の自宅の庭に300種、800本の梅の木を植えた。 ▼熱海あたりでは11月下旬くらいに早咲き種が咲き始め、遅咲きの淋子梅(りんしばい)などは3月下旬まで楽しめるという。とはいえ多くの人にとっての梅は初春の 春秋(2月24日)
春秋(2月23日) 2月23日 おととい、きのうは春本番を思わせた。陽気に誘われて近所を歩けば、コブシのつぼみが7~8輪ほころんでいる。やや早めだが〽春のうららの隅田川、とおなじみのメロディーが口をつく。〽櫂(かい)のしずくも花と散る、と続く「花」の詞は、「源氏物語」が由来らしい。 ▼先ごろ亡くなった半藤一利さんが「歴史探偵忘れ残りの記」で書いている。作家の田辺聖子さんと飲んだ時に「花」をうたうと「ご存じだっしゃろか」と、お聖 春秋(2月23日)
春秋(2月22日) 2月22日 たばこを1日15本吸うことに匹敵する。うつ病やアルコール依存の引き金になる――。「孤独」が健康に与える影響を調べると、こうした研究結果が次々と出てくる。近年はテロ対策の分野でも大きなテーマとなり、過激な思想に染まる背景としてしばしば指摘される。 ▼3年前、英国に孤独担当大臣が誕生したときには、まずネーミングに驚いた。かの国では国民約6500万人のうち、900万人以上が日常的に孤独を感じているとの 春秋(2月22日)
春秋(2月21日) 2月21日 漫画雑誌モーニングに連載中の「定額制夫のこづかい万歳」に、「ステーション・バー」なるものが登場する。飲み屋ではなく、駅の片隅。40代の会社員の克彦が売店で缶ビールを買い、焼きかまぼこをつまみに一人ちびりちびり。行き交う乗客の人間模様を観察する。 ▼克彦の場合はこづかいをやりくりする工夫だが、コロナ禍は似た飲み方を世に広めた。夜のコンビニに先日立ち寄ると、買い物をすませて出て行く若い男女。手にはそ 春秋(2月21日)
春秋(2月20日) 2月20日 先日、本紙主催の日経「星新一賞」の発表があった。理系的な発想を競う短編小説の公募に2300余りの力作が寄せられ、グランプリが決まった。星さんはSFの叙情詩人レイ・ブラッドベリの名作「火星年代記」に感銘を受け、宇宙をテーマに数々の作品を残した。 ▼「火星行ロケットの出発時刻が近づいた」の一文で始まる「火星航路」もそのひとつ。世界各国の宇宙開発競争を、戦争の代理と捉える視点が秀逸だ。「処刑」と題した 春秋(2月20日)
春秋(2月19日) 2月19日 ちょっと季節の訪れを感じた。スーパーの野菜売り場の一角である。鹿児島産だという早掘りのかわいらしいサイズのタケノコのそばに、新潟や山形から届いたフキノトウやタラノメ、千葉産のナノハナが並んでいた。その辺りだけ、日が差しているかのように明るい。 ▼それぞれ、天ぷらやおひたし、あえ物にうってつけの素材で、大地の力強さを思わせるほろ苦さやえぐみが特徴だ。「春の皿には苦味を盛れ」とのことわざがあると聞く 春秋(2月19日)
春秋(2月18日) 2月18日 社会党からは浅沼稲次郎が駆けつけてきた。防戦に必死の自民党が送り込んだのは大野伴睦、石井光次郎という大物だ。1957年暮れ、福岡県は革新系の団体が起こした知事リコールに揺れた。解職賛成、反対両派の争いは過熱し、応援団が続々やってきたのである。 ▼年明けに提出された署名は87万余。当時の法定数を超えていたものの、無効分を差し引くとそこには届かず、結局リコールは不成立に終わった。さて、時はずいぶん流 春秋(2月18日)