柔道・大野将平選手 五輪は100%でなくても勝つ準備
五輪メダリストに聞く(下)

東京五輪の柔道男子73kg級で見事に優勝。日本柔道で史上7人目、男子では4人目となる五輪2連覇の偉業を達成した大野将平選手。突然の五輪延期を、どう乗り越えて結果につなげたのか。前回記事(「柔道・大野将平選手 悲観的に自分を見つめ、五輪連覇」)に引き続きお話を伺った。
「勝つしかない」と覚悟を決めたある選択
――五輪が延期したことで、体作りをどのように意識し、調整されたのでしょうか。
1回目の緊急事態宣言が発令された2~3カ月は満足に稽古ができず、自主トレーニングの日々が続き、もちろん試合も合宿もなくなってしまいました。
一方、日本がまだコロナ禍で落ち着いていない時期に、ワクチン接種が進んでいた欧州などでは試合が開催され、日本代表選手は海外の試合に出場するかしないかという選択を迫られました。でも私は出場しないことを選びました。コロナ禍で稽古ができなかった時期を取り戻すために、試合より稽古を優先した方がいいと考えたのです。
――試合の感覚が失われるのでは、という心配もありますね。
もちろん試合に出ることは大事です。でも、連覇を狙うには稽古をどれだけ今まで通りやれるか、どれだけ今まで以上にできるかが重要だと考えました。稽古あっての試合なので。
また、リオデジャネイロ五輪後、大学院に進学して、1年半試合に出場せずとも五輪代表の切符をつかめた経験もあったので、ピークを合わせられる自信もありました。
ただ、私の思いきった決断に対して、全日本柔道の監督やコーチはヒヤヒヤしたと思います。「試合に出た方がいいのでは」と周囲でもさまざまな議論があった中で、ある意味賭けのような「出場しない」という選択を自分でしたことで、代表としての責任を果たすべく「勝つしかない」という覚悟を決めた瞬間にもなったわけです。
――稽古やトレーニングに時間を費やす中で、具体的にどのようなステップを踏んで体を作っていったのでしょうか。
東京五輪だから特別なことをするのではなく、大きな試合から次の試合に向けての段階は、いつもほぼ同じです。例えば、大きな試合は年間3~4回ありますが、試合後は心身をリフレッシュさせるために、軽い運動はしつつも稽古は休みます。積極的な休養を取った後は、ランニングやウエートトレーニングなどで、柔道でケガをしないための体作りをひたすらします。ある程度体ができ上がってきたら、並行して柔道の基本である打ち込み(相手を投げるまでの過程の動作を繰り返す練習)を、稽古場の隅っこの方で毎日1000本程度、1カ月ほどひたすら繰り返します。打ち込みは地道な反復作業なので、正直面倒臭いです。金メダリストがやることではないかもしれません。でも私はこの反復練習を大切にしています。自分の感覚で体ができてきたなと思えたら、相手と組んでの乱取り稽古を始めます。

――なぜ打ち込みの期間を大切にしているのですか。
柔道は複雑な動きが多く、対戦相手と絡まって技を掛け合う競技なので、どれだけ注意してもけがに至ることは多分にあります。そうした状況にも耐え得る、土台というべき強い体を作るには大切だと考えています。
また、天理大学の柔道の特徴は、正しく組んで正しく投げることで基本を大事にします。最近、美しい柔道ができる選手が少なくなってきましたが、自分の得意技で正しく組んで投げるためにも、打ち込み練習は一番重要な作業だと教わりました。
そうして稽古で鍛錬して技を磨き、試合に向けてさらに体を作って調子を上げていく。その後に減量し、計量が終われば最終調整して試合に臨むのが一連の流れです。試合が終わったら休んで、またランニングとウエートトレーニングで体を作って、打ち込み、柔道の稽古をする。競技を続ける限り、これらを愚直に繰り返すだけだと考えています。
もちろん次の試合まで1カ月しかないときは、それぞれのタームをぎゅっと短くしたり、試合後に長期間休んだら体作りの時間を長くしたりするなど、自分の感覚で臨機応変に調整してトレーニングしますが。

五輪で最高のパフォーマンスは発揮できない
――試合当日に最高のパフォーマンスを発揮するためには、どのようなことを意識して調整するのでしょう。
五輪に関しては、本番で最高のパフォーマンスなんてできないと思っています。4年に1度の祭典、しかも自国開催で緊張しないわけがないし、あらゆるプレッシャーがのしかかる。コロナによる延期もそうですが、環境に翻弄されやすく、自分だけでコントロールできるものは少ないんです。
だからこそ正直に言えば、自分に期待していなかったし、120%の力が出るなんてみじんも思っていませんでした。半分の力が出たら万々歳かなと。東京五輪で100%の力を出すなんておこがましいと思っていたからこそ、半分の力でも勝てる準備をしようと、異常なほどの稽古に取り組めたのだとも思います。それが自分の仕事でもあると認識していました。
ただ、いい準備ができているかどうかのバロメーターがありました。
――バロメーターとは?
試合前の調整期に稽古をやりすぎると、試合の時に疲労がたまる状態になるので当然よくありません。リオデジャネイロ五輪の時も、監督に「それ以上、稽古をするな」と止められました。でも自分の中では、「止められるぐらいじゃないとな」と思っていました。周りが止めるぐらいの異常な稽古をしたという証拠だから。自分で限界を作らなかったという証しであり、勝てる準備が整ったという目安になります。周囲から止められるまでやっている自分を誇りにも思いました。
自炊では「鍋」が定番
――コンディションを整えるといった点では、どのように意識しましたか。
例えば食事に関しては、階級制で減量があるので、普段からあまりたくさん食べられないのが前提にあります。また、たくさん食べてからのトレーニングはしんどいので、朝起きたら飲み物だけで軽く済ませてトレーニングに出かけたり、朝昼兼用の1日2食にしたり。動く前に軽く食べ、夜はしっかり食べるなど、意識するのはそれぐらいでしょうか。
――今はすべて自炊されているのですか。
はい。試合前は絶対に外食しないです。塩分過多にもなってしまうので。冬の晩ごはんなら、野菜とお肉をポン酢でいただく鍋が多いです。おかずメインでお米は取りすぎず、質素で薄味の料理を。厳しい食事管理はしていないし、 「勝負飯」もありません。「試合前にこれを食べなきゃいけない」と決めるのは良くないと思っています。
例えば、海外の試合では、前日の夜8時に計量があり、その後に体をリカバリーするために、すぐエネルギーになる炭水化物を補給するんです。「私はおにぎりでなければダメだ」となると、おにぎりにありつけない環境で試合があったときは、「勝てない」という思考になってしまう。「カップ麺でも大丈夫」「カツ丼がなくても平気」と食に神経質になりすぎない鈍感力が必要。睡眠に関してもそうですね。

――確かに。ホテルに宿泊したらベッドも枕も変わります。
東京五輪の選手村は段ボールベッドでしたが、睡眠環境に神経質になりすぎると、段ボールというだけで気になり、良質な睡眠が取れない可能性もありますよね。
私自身、心地よい自分の家のベッドでも稽古で疲れすぎて寝付きが悪いときがあります。全日本合宿で使うナショナルトレーニングセンター内の宿泊施設のベッドでも、あまり良く眠れないんです。それはベッドが悪いのではなく、「朝寝坊してはいけない」「明日も朝からキツイ稽古が待っている」と気持ちが合宿モードになるので、ある種の緊張状態か、交感神経が高まるのか、ぐっすり眠れないんですね。だから睡眠環境はあまり関係ないかなと。
そもそも、栄養バランスの整った食事や、睡眠をしっかり取って体を整えるのはトップアスリートなら当然です。その上で重要なのは、いかにいいトレーナーさんに出会えるかだと思います。予期せぬケガや加齢で疲労が抜けないなど、どれだけセルフマッサージやストレッチで予防していても、自分の力ではどうにもならないことがあります。そこはプロに任せるしかないと。
私は愛知に住む、柔道経験もある素晴らしいトレーナーさんと出会えました。毎週土曜日に奈良まで来てくださって施術してもらい、支えられて、五輪まで駆け抜けられました。ケガや痛みを最小限に防いで試合に臨めたのは、五輪にも帯同してくださったそのトレーナーさんの力添えが大きく、感謝しかありません。そんな腕の良いトレーナーさんと出会えるかどうかは縁や運、人徳もあると思いますが、アスリート同士で情報を共有すべきだと思いますね。
次の五輪については…
――今後の予定はまだ決めていない?
このまま柔道を終えても良いかなと思うこともありますが、出場したい試合もあるので、やるんだと思います。でも、簡単に次の五輪を目指すとは言えません。柔道着の袖に腕を通して畳の上に上がれるようになるのが第一の目標。そこから自分の気持ちがどうなるか、ですね。
――最後に、日常生活でもできる体を鍛える方法など、読者にアドバイスがあればお願いします。
体力を落とさないという意味で言うと、柔道は俊敏性も大事なので、一気に心拍数を上げるトレーニングをするんです。階段ダッシュや坂ダッシュなどはその定番ですが、天理大学の近くに名物の階段があり、そこでよくダッシュしていました。柔道界で「階段ダッシュ」をはやらせたと言ってもいいぐらい、私や後輩は階段ダッシュに自信があります(笑)。「皆さんも階段を見たらぜひ」と言いたいですが、駆け上がらずとも、日常の中で階段を使うなど、日々の生活に少し負荷をかけるだけで、いい運動になると思います。そんな私もトレーニングで階段を見るとうずうずして駆け上がりたくなりますが、日常では階段ではなくエレベーターを使ってしまうんですけどね(笑)。

(ライター 高島三幸)

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