禍福は糾える縄の如し IT好き、な医者が生まれるまで
HDCアトラスクリニック院長 鈴木吉彦

私の生まれは山形県。周囲には田んぼとサクランボ畑しかない田舎で生まれました。4歳の頃に道路を渡る時に転んで、トラックにひかれてタイヤの下敷きになりました。おなかにはタイヤにひきずられた跡が残っていたそうです。
その時のショックのためか「吃音(きつおん)」障害を発症しました。小学校入学時には名前を発音できませんでした。吃音障害があると、いじめられると思われるかもしれませんが、東北の田舎には、ドラマ「おしん」のように支援してくれる人がたくさんいて、いじめられることはありませんでした。けんかをすれば負けるからけんかは嫌いでした。口げんかができないから当然のことです。なので、楽しみは野球と音楽(歌うと吃音は止まります)、美術でした。
友達がいないことが、ごくごく普通のこと
あまりにも幼少期から友達がいないと、友達がいないから寂しいとすら思いません。一緒にスポーツできている人が友達、そんな関係ばかりでした。友達がいないことが、ごくごく普通のことでしたので、だからといって落ち込むことはありませんでした。体内でインスリンをつくれない「1型糖尿病」の患者さんは発病が幼少期であればあるほど、インスリンの自己注射をハンディキャップと受け止めないことが多いようですが、それと似ています。
私の場合、「か行」「さ行」「た行」が苦手でした。このため、言葉を口から発する直前に、ものすごい速度で頭の中で、吃音にならない語彙を探していました。いわば人工知能(AI)開発の「ディープラーニング(深層学習)」のようなものです。AIにディープラーニングをさせて、最適なコンテンツをリコメンド(推奨)させる現代の最先端技術に類似した、「最適な語彙を瞬時に探す」という作業を、自らの脳内で24時間していたのです。
山形弁という方言にも助けられました。例えば「そうだよ」といえなくても、「んだよ」と話せばよかったように、標準語に語彙がなくても、山形弁には多様な語彙があることが多かったのです。
自己表現ができるツールが欲しい
私がITが好きになったきっかけは、こうした「自己表現ができない」自分に対してなんとか「自己表現ができるツールが欲しい」と考え続けてきた延長線上に、たまたまIT(情報技術)があった、ということだったと思います。
父は開業医でしたが、強く医師を志す契機となったのは、中学生の時に東京を訪れたことです。大都会は驚くことばかりでしたが、たまたま、叔母が慶応義塾大学の医学部を卒業した若手医師を紹介してくれました。1時間ほどの会話でしたが、生まれて初めて聞いた「都会の医師」の話に、大きな衝撃を受けました。これが後に、慶大医学部に進学したい、という強い思いにつながりました。

新型コロナウイルスの感染拡大で、リモートによる人と人のコミュニケーションが普及しました。もし、当時の私と同じような地方の中学生がいるのなら、こうした技術を活用して、私と同じような経験ができる場所やチャンスを与えてあげたいと思います。そのためのフォーマットを、ぜひ提供したいと考え、現在準備を進めています。世間知らずの地方の中学生が、都会で最先端の医療を手がける若手医師と対話できれば、その中学生にとって人生の選択肢を広げてあげることができるはずです。こうした夢をかなえてくれるのがITだと思うと、ますますIT好きにならざるをえません。
高校で一番嫌いだったのは国語の授業で、生徒に順番で「教科書を音読させる」というものでした。吃音がある高校生にとって、自分の順番にまわってくるのが、いかに恐怖だったのか、想像できる方は少ないでしょう。いまでは、クラウドでソフトウエアを提供する「SaaS(サース)」による音読サービスもあります。
吃音が得なこともあります。吃音になりにくい言語が好きになるのです。私の場合には、それが英語でした。なので、ひたすら英語を学習しました。「英語の音読」では吃音が出ませんでしたから、英語では弁論会の代表にも選ばれました。いまではAIによる自動翻訳があり、吃音を持つ者にとっては、ものすごくありがたいことです。
誰もが理解しやすい解決策
高校3年になると、数学と英語は独学で終えていたので、ひたすら、数学の問題を「フォーマット」で解く、ということに挑戦していました。公式を100個つくり、いつでも好きなときに最適な公式を思い出す――。それは、難問であればあるほど、障壁となっている部分を抽出し、誰もが理解しやすい解決策を思いつき見える形(それをフォーマットと呼んでました)にしていく私独自の作業でした。その「精度」と「速度」を増していくことに注力しました。吃音があったので、できることといえば、そんなことくらいだけでした。
このように、私の生い立ちには、交通事故をきっかけにした「吃音」があったことで、自然に脳内で「ディープラーニング」「リコメンド」するようになり、「マルチ言語」に加え、音楽や美術といった「リッチコンテンツ」を好きになっていったという背景があります。また、情報入手の手段も何もなかった田舎生まれだったことも、ITへの強い関心を育む素地となったように思えます。
これから12回にわたって、コラムを連載させていただきますが、まず、最初に自己紹介として、私の原点を紹介させていただきました。

1957年山形県生まれ。83年慶大医学部卒。東京都済生会中央病院で糖尿病治療を専門に研さんを積む。 その後、国立栄養研究所、日本医科大学老人病研究所(元客員教授)などを経て、現在はHDCアトラスクリニック(東京・千代田)の院長として診療にあたる。
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