薬の開発、なぜ時間がかかるの? 安全性の検証に時間
からすけ ニュースを聞いて、少しほっとした気分になったよ。だけど感染拡大から2カ月以上たって認められたのは、少し遅い気もするなぁ。
安全性・効果 しっかり検証
イチ子 命をおびやかす病気の治療薬が一刻も早く誕生してほしいのは当然だけど、薬には人体に悪い影響を与える副作用があることも忘れてはいけないの。基礎研究で薬効がありそうな物質が見つかると、動物に投与して効果を調べた後、人に投与する「治験」に移るの。治験も3段階に分かれていて、5年以上かかることもざらよ。
からすけ 気が遠くなりそうだね。わざわざ3回に分けるのはどうしてなの?
イチ子 それぞれの役割を見れば分かるわ。最初に行う第1相(だいいっそう)試験は、健康な人に投与して安全性や体の中で薬がきちんと運ばれるかを調べるの。第2相試験では同意を得た患者さんを対象に薬の効果などを調べるの。最適な投与量や使い方もここで検証するわ。最後の第3相試験では患者を100~1000人規模に増やして、既にある薬と効果の違いなども比べるのよ。
日本では厳重な手順を踏まずに薬を使い、健康被害が起きた苦い過去もあるの。1960年前後の「サリドマイド事件」が一例で、旧西ドイツで開発された睡眠導入剤を効果を検証することなく妊婦さんに投与した結果、障害を持った赤ちゃんが生まれてしまったの。国とメーカーは賠償責任を問われたわ。

からすけ そう考えるとレムデシビルはすごく早い承認だったんだね。
イチ子 その通りよ。レムデシビルは海外で第2相試験までクリアしていて、日本では第3相試験から始まったの。加えて(1)感染防止の緊急性が高いこと、(2)他に特効薬ができていないこと、(3)海外で販売が認められていることを理由に、早めに審査を進められる「特例承認」という仕組みも使われたわ。5月の初旬に認められたのよ。
他の病気の治療薬として承認済みの薬を使う、ドラッグリポジショニング(キーワード)の研究も進んでいるわ。副作用などの特性が確認されているから、第1相試験が免除されるの。国内のメーカーでは富士フイルムの子会社がインフルエンザ治療薬の「アビガン」(一般名ファビピラビル)の第3相試験を進めているよ。
レムデシビルやファビピラビルはウイルスの増殖を抑える薬だけど、重症化した患者の体内では、人を病気から守る免疫の働きが過剰になることもあって、免疫の働きをセーブする薬の開発も急ピッチで進んでいるよ。中外製薬の「アクテムラ」が代表ね。
からすけ 製薬企業が必死に開発を進めるのはなぜ?
利益も費用も大きく
イチ子 危機的な感染症から人を守るためでもあるけど、多くの患者がいる薬は企業に大きな利益をもたらすの。こうした薬はブロックバスター(キーワード)と呼ばれるわ。製薬企業は新薬の開発に莫大な費用をかけるけど、実用化される確率は3万分の1ともいわれ、リスクも大きい。すでに開発済みの薬が使える範囲を広げていくことも重要なのよ。
莫大な利益を生む薬は争いを生むこともあるの。抗がん剤の「オプジーボ」を販売する小野薬品工業と基礎技術を作った京都大学特別教授の本庶佑さんとの争いが一例よ。技術の特許をもつ本庶さんは、オプジーボを事業化できるようにライセンス契約を結んでいるけど、その金額が低すぎるので訴えるとしてるわ。小野薬品側は契約内容に問題はなかったとして、議論は平行線をたどっているよ。
からすけ ノーベル賞級の技術でも、お金の問題はあるんだね。
イチ子 大学も企業も、良い研究にはお金が必要なの。両者とも人の命を救いたいという必死さがあるからこそ、争いが続いているともいえるわ。
薬の開発では利潤を追い求める一方で、社会で困っている人を助ける公益性も求めないといけない。患者数の少ない病気の薬は利益をあげにくいけど、困っている人のために開発をしないといけないよね。希少な病気の薬の開発では、厚生労働省が助成金制度を用意するなど、国も開発を後押ししているよ。
からすけ 人の命を救う薬だから、国のバックアップもあるんだね。
イチ子 以前から存在が知られている難病だけでなく、新しい感染症の診断や治療技術の開発にも国は助成金を出しているわ。コロナウイルスも世界各国の政府がお金を出し合ってワクチン開発を支援する動きが進んでいるの。薬の実用化は時間も費用もかかるからこそ、様々な人が協力することが大切なのよ。
ドラッグリポジショニング 既に実用化されている薬から、別の病気への新たな薬効を見つけ出し、実用化すること。副作用などの有無が判明しているため、研究期間やコストを大幅に削減できる。てんかんとパーキンソン病の両方の治療に使われる「ゾニサミド」などの事例がある。
ブロックバスター もともとは破壊力の高い爆弾を意味する言葉。製薬業界ではこの意味が転じて、短期間で開発コストを回収できるほど売れた新薬を指すようになった。年間の売り上げが1000億円を超える薬を示すことが一般的で、抗がん剤のオプジーボもブロックバスター級の薬だ。
徳川吉宗の打開策にもヒント

当時の幕府は天災による飢饉(ききん)などで苦しい財政運営を迫られていました。それを打開するためにサツマイモや朝鮮ニンジンの栽培など、新しい産業を興していこうと西洋から知識の導入を試みました。これがその後の医学や技術の発展の土台となります。
幕府が輸入したのが洋書ではなく、漢訳洋書だったのはなぜでしょう。鎖国中の日本がヨーロッパから直接学術書を仕入れるわけにはいかないので、交易のあった中国で翻訳されていたものを入手したのです。規制緩和には何段階もの手続きが必要です。新薬の承認も先人の工夫を参考にしてみてはいかがでしょうか。
[日本経済新聞夕刊2020年6月6日付]
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