鈴木明子さん 「足るを知る」で五輪への不安を払拭
フィギュアスケート五輪元日本代表の鈴木明子さんに聞く(3)

「摂食障害」を乗り越え、2度の五輪出場を果たしたフィギュアスケート五輪元日本代表の鈴木明子さん(詳しくは前回記事「鈴木明子さん 目標の先をイメージして苦難乗り越えた」参照)。結果が思うように出ないとき、練習で納得できないとき、もうやめたいと思ったときなど、どのように考えて乗り越えたのか。今回は「五輪への不安を払拭した方法」についてお届けする。
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18歳のときになった摂食障害を乗り越え、2010年にはバンクーバー五輪、2014年にはソチ五輪に出場し、いずれも8位入賞となりました。
摂食障害は競技人生の中で最も大きなハードルでしたが、それ以降も、日々のトレーニングで葛藤したこと、思い通りの結果にならないこと、もうやめようかと思うことはたくさんありました。
例えば、バンクーバー五輪を終えた後はバーンアウト(燃え尽き)症候群になりました。最大の目標だった五輪が終わった後は、4年後の五輪を目指すというより、1年単位で頑張って自分が満足できれば引退しようと思っていました。応援してくださる方がいるから、その期待に応えて続けなきゃという思いが強かったのです。
世界選手権を1カ月後に控えていたこともあり、五輪から帰国し3日も休まずに練習を再開。でも、「頑張らなきゃ」という思いがあるのに、心身ともに疲れていて体が思うように動かず、練習に集中しきれない日々が続きました。何もやる気が起こらない、考えたくないという状態になり、結局、勇気を振り絞って、コーチに「あさってから2泊で沖縄に行ってきます」と言っていました。逃避行です。
でも心の底からリラックスはできませんでした。なぜなら、練習を休む怖さから沖縄までスケート靴を持っていったからです。もちろん、沖縄で練習なんてできません。
バンクーバー五輪後に気づいた休養の重要性
「五輪が終わったんだから休養すればいい」と思う方がほとんどでしょうが、3日も休めば本来の滑りを取り戻すのに1週間はかかる、などと教えられていたので、休む勇気がありませんでした。多くの選手を見ているコーチも、五輪後も休むことなく指導されているので、休みづらいということもありました。上司が休んでないから休みづらいという部下の気持ちと同じでしょうか(笑)。

海外の選手たちは、五輪などの大きな大会が終わると、3週間ほどのバケーションを取ります。さらに、それだけ休んでも本来の状態に戻れるための練習ステップを、コーチがきちんと分かっています。そうした海外の選手の姿を見て、ベストパフォーマンスを発揮するためには、心身ともに休ませることが重要だと学びました。
結局、次のシーズンで世界選手権の日本代表になれず、若い選手もどんどん出てきて、「ここで引退したくない」という思いが強くなりました。そのタイミングで、コーチが「新しいジャンプに挑戦しなさい」という新たな課題を与えてくれました。おかげで、「このジャンプが跳びたい」というスケートを始めた子どものころと同じような意欲が生まれ、乗り越えることができました。
鈴木流 ストレスをためない方法
日々の練習で思い通りにならないとき、くじけそうになるときは、自身の中に負の思考を抱え込まずに吐き出すことが一番スッキリすると思います。方法は色々あると思いますが、例えば、ノートに自身のありのままの思いを書き記せば、客観視できたり、自問自答したりして気持ちを整理できるでしょう。
私はメンタルが強い人間ではないので、へこんだり、納得できなかったりすることがあると、必ず立ち止まってとことん悩み、落ち込まないとはい上がれません。問題が解決しないと前に進めないという、少々やっかいなタイプなんです(笑)。とことん悩むことは非常にパワーを使いますが、じっくり考えてそれでも気持ちが晴れなければ、周囲に吐き出します。周囲は迷惑かもしれませんが、頭の中がスッキリします。口に出すことは、「これだけ考えたのだから、それでいいのではないか」と自分を認めてあげることにもなるのだと思います。
母やコーチといった周囲の人たちも、そうした私の性格をよく分かっていました。特に母には一番、自分の感情を吐き出していたと思います。例えば、練習帰りに両親が経営している割烹(かっぽう)料理店に立ち寄り、ご飯を食べながら母に「疲れるし、苦しくてもう嫌だ」と吐き出すとします。すると母からは、「そうだよね、疲れたよね」と、こだまのような言葉が返ってくる。それだけなのに、家に着いたときは、暗い気持ちを引きずらず、前を向いているんです。毎回私のグチを受け止める母は大変だったでしょうが、納得するまで落ち込んだ私を受け入れてくれたおかげで、安心すると同時に覚悟が決まって強くなれた。はい上がれたんです。
「弱い自分」を受け入れる
ソチ五輪の前は足に痛みがあり、思うように練習できずに挑むことになりました。しっかり準備できず、いいイメージを持てないまま挑む試合は初めてで、「なんで選手として最後になるであろうオリンピックで……」と悔しさと不安しかなかった。でも周囲は、寄り添いつつも誰も私を甘やかそうとしませんでした。日本代表になったのだから少しくらい痛くても我慢するしかないし、悩み続けた末に生まれる覚悟こそ、私の強さになると周囲は知っていたからです。
私は案の定、母に弱音を吐きました。すると、「まず、オリンピックで滑れるだけでも幸せだということを思い出しなさい。あなたはかつて滑ることができなかった人間なんだからね」「今できる最大限のことをやればいいじゃない。調子のいいときのベストではなく、今の状態でのベストを尽くしなさい」「そもそもあなたはジャンプが強みの選手として上がってきたわけではないでしょ」と母は言ってくれました。
私は、「足が痛くて練習ができず、ベストな演技ができない」「ジャンプが思う通りに跳べない」という、「足りない」点ばかりに固執していました。でも母の言葉で、「ジャンプだけじゃない。できることは、その他にもいっぱいある!」とがらりと視点が変わり、「足るを知る」ことの重要性を痛感しました。

「自分が一番滑りたいスケートは何だろう」。そう考えたときに、人に伝えるといった表現力が自身の持ち味だと思い出しました。危うく「ジャンプが跳べない」という不安で自身の持ち味まで打ち消すところでした。
いくら不安に思っても、五輪本番は刻々と近づき、順番が回ってくれば氷の上に立って滑るしか選択肢はない。一度選手生命を絶たれそうになったのだから、五輪の切符をつかんだ自分を、不安で弱い自分を、自分が認めてあげよう。そんな気持ちでソチ五輪のリンクを滑っていましたね。
不思議なもので、自分で自分を認められるようになると、その後、自分とは違う考え方の人も認められるようになりました。昔は自分の理想も人に求めてしまうようなところがあったのですが……。
ドライフルーツやナッツ類が不規則な日々の常備食
選手生活を引退し、今は振付を担当したり、講演したり、アイスショーに出場したりしています。もともと環境の変化は体調管理という点で苦手なのですが、以前と比べ、今はやや不規則な生活です。夜中までテレビ番組の収録が押してしまったり、スケートリンクの空き時間の都合で、練習が夜中の0時以降になることがあったり、滑れない日もあったりします。
そんな状態なので欠かさず続けているのは、体力や筋力を極力落とさないこと。出張先でもホテルの部屋などで床にバスタオルを敷いて、腕立て伏せやいろんな種類の腹筋といった、体幹トレーニングを30分ほどしています。
夜勤など不規則なお仕事をされている方は本当に大変だと思うのですが、睡眠は私にとっても目下悩みの種です。夜中に練習しても、練習後すぐ眠れるかといえば、やはり2時間ぐらいは眠れません。移動中など眠りたいときに眠るしかありません。
食事も引退後は四苦八苦していました。収録先でカロリーが高そうなお弁当が出てくると我慢してしまうこともあり、気がつけば朝から午後7時ごろまで何も食べてないことがありました。これでは痩せてしまうし、体力や筋肉が落ちてしまうと思い、今はカバンの中に、干し芋やドライフルーツ、ナッツ類などを常備して、おなかが空いたら食べるようにしています。おなかもそこそこ満たされて頭も回りますし、大きく体重が変動することもなくなりました。また、マネジャーに温野菜を買ってきてもらうなど、温かくてしっかりと栄養が取れるものを、忙しくても一食でもいいから取ろうと意識していますね。

摂食障害のころを思い出すと、随分食に関して寛容になったと思います。今は、出張先でおいしいものを探して食べることが楽しみになっていますし、最近では、夫が作ってくれたミネストローネが一番おいしくてうれしかった(笑)。
親の食育を受けていた幼いころのように(詳しくは「体験から語る『摂食障害の本当の怖さ』」参照)、私にとって「食」は楽しいものになっています。それは、人として心身ともに健康で過ごすために大切なことに違いないと思います。
◆フィギュアスケート五輪元日本代表の鈴木明子さんに聞く
(ライター 高島三幸、写真 鈴木愛子)

[日経Gooday 2018年2月21日付記事を再構成]
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