トラベルクリニック、全国に90カ所 海外へ行く前に
ワクチン接種、情報得る受診

「ジカ熱が流行しているので都会でもなるべく蚊に刺されないように注意してください」。東京都新宿区の東京医科大学病院7階にある「渡航者医療センター」の診察室。濱田篤郎センター長は都内の男性会社員(58)にこう助言した。
男性はブラジル・サンパウロ出張を控え、現地の感染症事情や打つべきワクチンについて相談。水や食べ物から感染するA型肝炎ワクチンを2回に分けて接種し、狭心症など持病について記載した英文診断書を書いてもらった。男性は「ジカ熱対策など適切に指導され、安心できた」と話す。
トラベルクリニックの役割は(1)ワクチン接種(2)渡航先の感染症や医療事情の情報提供(3)マラリア、高山病などの予防内服薬の処方(4)帰国後に症状のある人への診療――などが一般的だ。
学会が開設支援
近年、SARS(重症急性呼吸器症候群)やエボラ出血熱など海外で感染症が相次ぎ流行した。このため日本渡航医学会(東京)は2011年から「トラベルクリニックサポート事業」を展開。「開設マニュアル」作成や、先行施設での見学者の受け入れで運営ノウハウを伝えている。

同学会によると、病院と診療所を合わせ現在、32都道府県の92カ所が開設。この事業以前に比べ2倍に増えた。1カ所もない県もあり引き続き普及に努める。
支援を受け九州大学病院(福岡市)は11年、グローバル感染症センターに「渡航外来」を設けた。商用で出張・赴任する会社員とその家族が利用の約半数。同センターの豊田一弘助教は「福岡はアジアの玄関口。渡航先は東南・東アジアが6割を占める」と話す。
ワクチン接種は原則、公的医療保険がきかない自由診療だ。九大病院ではA型肝炎は8100円、破傷風は4000円、狂犬病は1万5000円などと設定している。
医師向け研修行う
1960年開設の日比谷クリニック(東京・千代田)には海外への赴任・旅行者が1日120人ほど訪れる。移転で規模を拡大した08年に比べ、約10倍に増えた。約250社とは社員受け入れで契約している。
渡航後の健康管理も支援する。約2年前から契約企業の社員の予防接種歴や病歴、アレルギーの有無などを一括管理。赴任先の医療機関に提供している。健診を受けられる場所が少ない国なら施設を探して予約も代行する。国際電話でメンタルヘルス相談にも応じる。奥田丈二院長は「食事などが合わず体調を崩す人は多い。渡航中のケアも非常に重要」と指摘する。

ただ企業が費用を負担する場合が多い海外赴任者と違い、旅行客の利用は少ない。東京医大病院渡航者医療センターと東京検疫所が2月に羽田空港国際線ロビーで調査したところ、「渡航先の健康問題や病気などの情報を入手した」のは約18%、ワクチン接種を受けたのは約5%にとどまった。帰国後に受診する短期渡航者は1割程度との調査結果もあり、渡航前後に3~5割が医師に相談する欧米各国との差は大きい。
感染症の診断・治療経験がある医師が少ないという課題もある。感染者が検疫をすり抜けると国内で2次感染が起きる恐れがあるが、感染症の発熱を風邪などと誤診することがある。
このため国立国際医療研究センター(東京・新宿)は04年から全国の医師を集めた研修を開催。予防接種や海外の感染症などについての講習会を計18回開き、参加者は延べ約1500人に達している。
◇ ◇
赴任者の増加が背景
トラベルクリニックは欧米で1960年代に始まった。海外旅行が急増した70年代に各国で広がり、国民への周知も進み旅行前に健康指導を受ける習慣が根付いていった。

一方、日本ではこうした旅行医学の流れは、企業の海外進出に伴う駐在員の健康対策をきっかけに生まれた。東京医大の濱田篤郎教授は「駐在員、家族など海外の長期滞在者は70年代初頭は7万人程度だったが、70年代末には2.4倍に増えた。現地での健康問題が企業の大きな課題となった」と説明する。
その後、円高などを背景に海外旅行がブームとなり、出国者数は90年に1千万人を突破した。企業の進出も加速し、89年には社員が海外に半年以上滞在する場合、赴任前後に健康診断を受けさせることが義務付けられた。海外で感染症にかかる人が急増したため、2005年には旅行業法を改正。旅行業者は顧客に現地の安全衛生情報を提供することが必要になった。
(編集委員 木村彰、吉田三輪)
[日本経済新聞朝刊2016年7月17日付]
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。
関連キーワード