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丸の内に華やぎを 丸ビルにはビームス
針の穴に駱駝が通った

日経MJ
2020/9/20 2:00
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NIKKEI MJ

 丸ビルの建て替えが完了する2002年まで残り2年数カ月。オフィス・商業部門ともにテナント誘致は正念場を迎えていた。「トゥモローランド」の仲通りへの誘致成功で士気が上がった商業チームが丸ビルの商業エリアの核店舗候補として選んだのが最難関の「ビームス」だった。語り部は丸ノ内ホテルの渡邉利之社長。

「やられたあ」――。人気セレクトショップ「トゥモローランド」が開業前に開いた内覧会には近隣の百貨店の関係者がかけつけてきました。刺すような視線を送ってくるのが分かりました。

トゥモローランドの出店は大きく潮目を変えました。「丸の内に商業施設なんて……」と様子見を決め込んでいた三菱地所社内の一部の冷たい視線を変えたのはもちろん、ファッション業界の担当者たちの三菱地所を見る目も変えていきました。「三菱地所は本気だ。本気で丸の内を変える覚悟なんだ」。担当者たちがどんどん積極的になってくれました。

内覧会にはビームスの設楽洋社長の姿もありました。当時、ビームスは「渋谷系ファッション」市場で、圧倒的な存在感を持つセレクトショップの雄でした。ブランド情報発信力もずぬけていました。

「ビームス ハウス」は丸ビルオープンと同時ににぎわった(2002年9月)

「ビームス ハウス」は丸ビルオープンと同時ににぎわった(2002年9月)

実はこの時、丸ビル1階の核店舗はビームスで行こうと心の中で決めていました。「ビームス以外お任せできない。代替テナントの準備もしない」。背水の陣でした。丸ビルのファッションゾーンの核店舗をどこにするのかは、丸の内全体をどうするのか、ということでもあります。私たちは「新生『丸の内』×大人の『ビームス』」の未知の化学反応を夢見ていました。

とはいえ奇手妙手があるわけではありません。ただただ、ビームスの店舗開発担当の雑賀秀一さん(現取締役)に「丸ビルで"大人のビームス"を創ってください」「私たちは必死で街を変えていきます」とアタックを繰り返すだけでした。

とうとうタイムリミット寸前に雑賀さんが「私に任せて下さい。必ず実現させますから」と言ってくれたのでした。雑賀さんが動いてくれたのでしょう。設楽社長が「大人のビームス」をコンセプトにした「ビームス ハウス」の出店を決めてくれました。針の穴に駱駝(らくだ)が通ったのでした。

丸ビル開業を迎えた2002年9月6日。どしゃぶりの朝、「ビームス ハウス」ほか、国内外の物販・飲食店など約140店の一大商業ゾーンが立ち上がりました。

「ハードの新しさはいずれメッキがはがれます。丸ビルもメッキがはがれた後、丸の内の街とともに永く成長・進化し続けることが重要です」。開業直後、設楽社長はマスコミの取材にこう答えられました。18年近い歳月が過ぎ、現在ホテル業界に身を置く私にとって、今も大切にしているメッセージです。

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