幼い頃から絵を描くのが好きで、グラフィックデザイナーになるのが夢だった。中でも横尾忠則さんは神様のような存在。米国のポップアートのまねごとではなく、日本の土俗的なモチーフを取り入れた新しい表現に憧れた。「一米七〇糎のブルース 横尾忠則日記」はバイブルだった。
1970年、東京の美大を受験したが失敗。広島から上京し、予備校生活を始めた。あるとき永六輔さんの深夜ラジオを聴いていると、新潟・佐渡で横尾…
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