【国内最大の鉄道会社】JR7社のリーダー格。関連事業を強化。
中央線快速は首都圏有数の通勤電車だ。御茶ノ水―三鷹間の複々線区間では中央線・総武線各駅停車の電車と並走している
2階建てグリーン車導入を巡る回でも取り上げたJR東日本の中央線快速は平日と土・休日とで停車駅が異なる。いずれも東京都杉並区に位置する高円寺・阿佐ケ谷・西荻窪の3駅で、快速は平日に停車するものの、土・休日は通過していく。
停車駅が日によって異なるように定められたのは1968年12月28日のこと。69年4月8日に荻窪―三鷹間の複々線が使用開始となり、62年12月に着工して進めてきた中野―三鷹間の複々線化が完了する約4カ月前の出来事だ。
JR東日本の前身の国鉄は、中野―三鷹間の複々線化が達成された時点で、快速については高円寺・阿佐ケ谷・荻窪・西荻窪・吉祥寺の5駅すべてを通過させようと考えていた。しかし、沿線自治体の杉並区、それから吉祥寺駅を抱える東京都武蔵野市とが強硬に反対し、収拾がつかなくなる。結局、他線との乗換駅でもある荻窪・吉祥寺の両駅は快速が年間を通して停車、残る3駅はすでに紹介したような停車パターンとなったのだ。ただし将来三鷹―立川間にも複々線が建設される運びとなったら見直すと付け加えられた。
荻窪駅は東京メトロ丸ノ内線との乗換駅だ。しかし中野―三鷹間の複々線建設当時、この駅は高円寺・阿佐ケ谷・西荻窪・吉祥寺の4駅とともに快速が通過する予定だったという。2022年10月30日に筆者撮影(一部加工)
中野―三鷹間で快速が停車する必要があるのかといった声もあるようだ。しかし国鉄が立てた複々線の計画をみると、杉並区や武蔵野市の言い分ももっともだと筆者は感じる。
その理由を説明する前に、複々線の構造について説明しておこう。
複々線の線路の並べ方には方向別と線路別とがある。方向別とは同じ方向に進む線路が2本隣り合わせに配置された方式だ。中央線に当てはめると駅に2面設置されたホームのうち、1面の両側に快速大月駅方面と各駅停車三鷹駅方面とが発着し、もう1面の両側に快速東京駅方面と各駅停車千葉駅方面とが発着する。
線路別とは系統ごと、たとえば快速用の複線と各駅停車用の複線とが独立した形態で配置された方式を指す。中央線の駅にホーム2面が設置されたうち、1面の両側に快速大月方面と快速東京駅方面とが発着し、もう1面の両側に各駅停車三鷹駅方面と各駅停車千葉駅方面とが発着する。
双方を比較すると、方向別のほうが利用者にとっては乗り換えしやすくて便利だ。鉄道会社にとっても、より多くの列車を走らせることができ、事故や障害が発生したときに復旧させやすいとメリットが多い。一方で、複々線の外側に設置された車両基地への出入りは線路別のほうが立体交差が少なく、スムーズに行える。
中野―三鷹間の複々線は線路別が採用された。同じく複々線の中央線御茶ノ水―中野間も御茶ノ水駅構内を除いて線路別で、中野―三鷹間を方向別としても、いま挙げたような利点はあまり発揮されないと考えられたからだ。さらに中野・三鷹両駅には車両基地があって線路別とせざるを得ず、方向別に切り替えるために両駅構内に立体交差が必要となって建設費が増えてしまうといった理由も挙げられた。
三鷹駅構内に設置されている車両基地、JR東日本三鷹車両センター。中野―三鷹間の複々線に線路別が採用された理由のひとつとなった。2005年11月10日に筆者撮影
線路別の複々線では快速が通過となる駅の快速用の線路にはホームは設けられていない。ところが中野―三鷹間の場合、途中駅は快速が通過する予定だったはずなのに、設計の段階では快速用の線路にもホームが設置されていて、実際に建設された。設計図を見せられた杉並区も武蔵野市も、快速が当然停車すると考えても不思議ではない。
本来不要なはずのホームがなぜ建設されたのか。58年に国鉄が発表した複々線化の計画をみると、おおむね推測できる。当初、中野―三鷹間の複々線は方向別で計画されていたからだ。線路の並べ方は北側から快速東京駅方面、各駅停車千葉方面、各駅停車三鷹駅方面、快速大月駅(当時は高尾駅の旧称浅川駅)方面だった。
線路別の複々線を行く中央線の快速。写真の飯田橋駅は各駅停車しか止まらない駅なので、快速が走る線路にホームは設置されていない
方向別の複々線の場合、ホームの片側は快速が通過、もう片側は各駅停車が止まるという使い方の例が各地に見られる。山手線の電車と京浜東北線の電車とが走るJR東日本の田町―田端間や、JR西日本の東海道線の京都―神戸間だ。中野―三鷹間の複々線も前例にならったとみてよいだろう。
中野―三鷹間の複々線は先に挙げた理由で61年6月になって線路別に変更されたが、途中の駅では快速用の線路にもホームがそのまま建設された。将来、方向別に変更する予定があったからとも考えられるが、当時この案は却下されている。
そうはいっても国鉄が不要なホームを設置するはずなどない。実を言うと、当初の計画では国鉄は快速を中野―三鷹間の全駅に停車させる予定でいた。建設中に予定を変えた理由は不明だが、これが混乱のもととなってしまう。
国鉄は中央線に次いで常磐線の綾瀬―取手間を複々線とする計画を立て、うち綾瀬―我孫子間が71年4月20日に営業を始めた。この複々線もやはり線路別だ。
中央線での教訓を生かしたかどうかはともかく、国鉄は快速の停車駅を徹底的に減らしてしまう。快速は綾瀬―我孫子間では松戸・我孫子の両駅しか停車しないと決められた。
複々線が完成すると、快速の通過駅となった柏駅の利用者や沿線の自治体から国鉄に苦情が殺到し、国会でも問題となる。柏駅には当時1日平均で約5万6000人と、松戸駅の約5万人を上回る利用者が乗車していたので無理もない。国鉄は柏駅に急きょホームを建設し、72年10月2日からは快速が停車することとなった。
常磐線の綾瀬―取手間も線路別の複々線。複々線の始まりとなる綾瀬駅も写真のように快速用のホームなしという徹底ぶりだ。実は北千住―綾瀬間では常磐線各駅停車と相互直通運転を行う東京メトロ千代田線の複線が並行して敷かれていて、実質的に常磐線の複々線区間は北千住―取手間だといえる。2004年8月12日に筆者撮影
中央線や常磐線で起きたトラブルを見ると、線路別の複々線の欠点がよくわかる。仮に方向別が採用されていれば、快速が通過しても不満は少なかったであろう。また中央線、常磐線とも列車ダイヤが乱れやすい。方向別ならば混乱が少なく、復旧に要する時間も短いのではと恨み言の一つも言いたくなる。筆者に言わせれば、それもこれも建設費を惜しんで線路別を採用したからで、今日に至るまで禍根を残してしまったと思う。
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