【感染症薬主力】抗HIV薬など感染症薬開発を強化。
スイスのGARDPとの提携を発表した塩野義製薬の手代木社長(右から2人目)ら
塩野義製薬が2019年に米国で、20年に欧州で承認を取得した抗菌薬「フェトロージャ」(一般名はセフィデロコル、以下一般名で記載)は、実に革新的な医薬品だ。
カルバペネム系抗菌薬という、医療現場で「切り札」として使われている抗菌薬に耐性を持つ緑膿菌(りょくのうきん)や腸内細菌などが出現し、世界的に問題になっている。世界保健機関(WHO)は17年に「新規抗菌薬が緊急に必要とされている細菌のリスト」を公表したが、その中で優先度が最も高いとされたのが、カルバペネム耐性アシネトバクター属菌、カルバペネム耐性緑膿菌、カルバペネム耐性腸内細菌科細菌などだった。
塩野義が創製したセフィデロコルは、最も警戒すべきこれらの薬剤耐性(AMR)細菌群に抗菌作用を発揮する。このため米食品医薬品局(FDA)は19年2月に承認申請を受理すると、迅速に審査を行って9カ月後の11月に承認した。WHOは21年9月に必須医薬品リストを改定した際、カルバペネム耐性の緑膿菌と腸内細菌に「最後の手段」として扱われる抗菌薬の位置付けでセフィデロコルをリストに加えた。
このように世界的に求められているものの、低中所得国を含む世界全体に供給できる状況かというと、答は「ノー」だ。塩野義はこれまでに、米国と欧州で承認を取得し、日本でも22年3月に承認申請しているが、自力でグローバルに展開する力は十分ではない。
抗ヒト免疫不全ウイルス(HIV)薬では英グラクソ・スミスクラインと米ファイザーとの合弁を通じて、抗インフルエンザ薬ではスイスのロシュと提携してグローバル供給に努めてきたが、AMRに対する抗菌薬はビジネスになりにくく、パートナーを見つけるのは容易ではない。その中で塩野義が見いだした答えは、ビジネスにならなくても非営利のグローバルヘルス組織と連携し、グローバルな公衆衛生の課題解決に貢献するというものだ。
22年6月15日、塩野義はスイスに本部を置くGARDP(グローバル抗菌薬研究開発パートナーシップ)および米国に本部を置くCHAIとの3者提携契約と、GARDPに対する技術移転を含むライセンス契約を締結。今後、両契約に基づいて、セフィデロコルのグローバル供給に向けた取り組みを開始すると発表した。
具体的には、塩野義はGARDPに対して低中所得国と一部高所得国を含む135カ国(世界の約7割)での権利をライセンスする。GARDPはジェネリックメーカーなどにサブライセンスして製造を行い、臨床試験などを実施し、さらにパートナーにサブライセンスするなどして各国に供給する。その上で、CHAIを含む3者提携に基づき、製造業者の選択や技術移管の支援、AMRが問題化している国における薬事承認や商品化などを支援していく。
GARDPは、WHOがAMRに対するグローバルアクションプランを実現するために、「顧みられない病気の新薬開発イニシアチブ(DNDi)」とともに16年に設立した官民参加型の非営利組織(NPO)。抗菌薬開発の支援などを行ってきた。日本政府も20年からの5年間で10億円の資金拠出を約束している。
CHAIはHIVおよびエイズに焦点を当てたグローバルヘルス組織として02年に発足。その後、マラリアや結核、肝炎、がんなどの問題にも対象を広げながら、低中所得国における医薬品や診断薬などの導入や価格交渉などの活動を行ってきた。35カ国で事業展開し、140件以上の取引があるなど、実績は豊富だ。
セフィデロコルはAMRに対する切り札の医薬品だが、安易に利用されるとセフィデロコルに対する耐性菌が出現しかねない。そのため、適正使用や流通の管理などが極めて重要になる。また、低中所得国に提供するためには製造コストの引き下げも大きな課題だ。こうした課題を視野に入れ、非営利のグローバルヘルス組織とパートナーシップを組むことにしたのだろう。
今後、まずはサブライセンス先のジェネリックメーカーを選定し、技術移管を行う。その過程ではより安価に製造できるよう製造方法の改良にも取り組む計画だ。このため、実際に供給が始まるには相当な時間がかかるだろう。ファンドや各国政府から資金を募る必要もあり、各国での規制をクリアし、適切に管理する体制を構築しながら、135カ国への供給を実現するまでには、何年もの時間がかかってもおかしくない。
それでも、欧米の大手に比べて規模の小さい日本企業が、グローバルに製品を供給していく上で、塩野義のこの取り組みは注目に値する。
「これまで、低中所得国に対しては独自に展開できていなかった。新型コロナウイルス感染症を経験する中で、低中所得国に医薬品へのアクセスを提供するのは感染症に取り組む会社として自然なことだと考えるようになった。今回を第一歩として、パートナーを得ながらグローバルに展開していきたい」。手代木功社長は会見で、こう口にした。
今回のグローバルヘルス組織との提携により、AMRに対する武器を必要とする世界中の患者に届ける道を開いた格好だが、まだ道は半ばだ。何よりAMRに有効な抗菌薬は「最後の手段」と位置付けられ、医療現場では耐性菌の出現を避けようとするため、使用量は増えにくい。加えて、適正な使用を監視する体制の構築なども必要だ。このため、他の医薬品と同じ仕組みで流通させようとしても、ビジネスになりにくい。実際、新規抗菌薬の承認取得に成功したものの倒産に追い込まれたベンチャーの事例もあり、多くの製薬企業が抗菌薬の開発から撤退していった過去がある。
だからといって、誰も新薬の開発に乗り出さなければ、AMRが広がったときに手の打ちようがなくなってしまう。英経済学者のジム・オニールらは14年、英国政府の依頼で作成した報告書の中で、「AMRによる世界全体の死者数は13年に年間70万人だったが、何ら対策を講じなければ50年には1000万人となる。その経済損失は50年までの累計で100兆ドルに達する」と警鐘を鳴らした。
AMRの問題は主要7カ国(G7)などの会合でも取り上げられ、6月7日に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2022」でも市場インセンティブの必要性などに言及がなされている。市場原理に任せるのではなく、国家備蓄や使用量に基づかないサブスクリプション(定額課金)型の支払いなどを求める声は高まっているが、具体的にAMR対策で定額報酬を支払うような取り組みを行っているのは、英国やスウェーデンなど一部の国に限られる。
「一家に一台必要だけれど、使わなくてよかったという、消火器のようなものだと考えてほしい」と、手代木社長は訴える。そうやって、AMRに対する武器を必要とする患者がすぐに使える世界の実現こそが、目指す姿なのだろう。
(日経ビジネス 橋本宗明)
[日経ビジネス電子版 2022年6月20日の記事を再構成]
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