【伝動ベルト大手】自動車やOA機器関連に強み。化成品も。
南北を山と海に挟まれた神戸市は戦後、山を削って宅地を造成し、その土砂で海を埋め立てた。「山、海へ行く」と形容された高度成長期の夢を支えたのが、大量の土砂を運ぶ長大なベルトコンベヤーだった。
神戸大学名谷キャンパス(神戸市須磨区)の建物1階にある扉の先には、地下の暗闇に向かうコンクリートの階段が続いている。懐中電灯を頼りに歩き、最後に金属の扉を開くと、断面が長方形のトンネルが真っすぐに延びていた。
■渋滞・排ガス避け
高さは目測で2メートル、幅は4メートルほどで、水の流れる音が静かに響く。100メートルも進むと行き止まりだ。職員は「普段は誰も入りません」と話す。この忘れられた遺構こそ、かつて山から海へとベルトコンベヤーを通すためにつくられた地下トンネルの一部だ。
神戸市では1950年代初めに海の埋め立てが始まった。土地拡張の夢が膨らむなか、土砂をより効率的に運ぶため、山と海にベルトコンベヤーを渡すというアイデアが生まれる。ダンプカーによる市街地の渋滞や排ガスの問題を避けるためでもあった。
最初に実現したのが「鶴甲ベルトコンベヤ」。市東部の灘区にある鶴甲山から海岸まで約3キロメートルの地下トンネルを掘り、8つのベルトコンベヤーでつないだ。61年から約5年稼働し、鶴甲山を削った土砂で摩耶埠頭などを造成した。
64年には市西部でより長大な「須磨ベルトコンベヤ」が動きだす。ポートアイランドや六甲アイランド、神戸空港の埋め立て工事と歩調を合わせ、土砂を求めて北へ北へと延伸した。総延長は約14.5キロメートルになり、京セラドーム267個分(約3億2000万立方メートル)の土砂を運んだ。そして大開発の時代が終わり、2005年に停止した。
須磨コンベヤの終点である海岸には、運搬船に土砂を積みこむ桟橋があった。施設は撤去され、いまは跡地を示す碑が砂浜で海風に吹かれている。
土砂を載せて流れ続けたゴム製のベルトにも、神戸を映す物語がある。
バンドー化学の加古川工場(兵庫県加古川市)の構内には、ゴム製ベルトを巻いた巨大なロールが並んでいた。これらが建設現場や工場に出荷され、現地でコンベヤーの機械に取りつけられる。そして、鶴甲山や須磨のコンベヤーにベルトを主に供給したのも、同社など地元企業だった。
■ゴム技術の源流
神戸には日本の近代ゴム産業の発祥地という顔がある。1909年の英ダンロップの進出を機に最先端のゴム技術が神戸に広まり、三ツ星ベルトやアシックスなどの企業が育つ土壌となった。06年創業のバンドー化学も恩恵を受け、21年に日本で初めてコンベヤーベルトの生産を始めた。
「神戸の地図を変える仕事は、地元企業が担うというプライドがあった」。コンベヤーベルト部門一筋で、現在は子会社社長の本田裕治氏は振り返る。巨大な岩を受け止める強度と柔軟性を備えた特殊なベルトを開発するなど、総力を挙げて協力した。のちに羽田空港の拡張や関西国際空港の埋め立て工事でも同社のベルトは活躍した。
近年のコンベヤーベルト市場は伸び悩んでいる。日本では埋め立てなどの大規模開発が減り、製造業の海外シフトも影響している。同事業を担当する川原英昭執行役員は「ビジネスを転換し、点検や修理などアフターサービスに力を入れる」と話す。
須磨コンベヤの地下トンネルにも話の続きがある。事業後期の86~89年に延伸された約7キロメートルのトンネルは2005年の停止後も残され、いまも神戸市が管理している。トンネルの埋め戻しに多額の費用をかけるよりも、再利用の道を探ることにした。
外気に影響されない特性を生かし、一時期はワインの貯蔵やコケの栽培実験に使われた。近年は映画などのロケ地にもなっている。市の担当者は「今後も利活用の道を幅広く検討したい」という。医療や防災などで活用するアイデアがあるそうだ。(堀直樹)
17件中 1 - 17件