2019年9月18日(水)

政客列伝 金丸信(1914~1996)

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 日経電子版(Web刊)では、首相になれなかった、もしくはならなかったものの個性的で存在感あふれた戦前戦後の大物政治家の軌跡を紹介する「政客列伝」を掲載しています。今回のシリーズでは竹下派の全盛時代に「政界のドン」と呼ばれ、時の首相を凌駕(りょうが)する権勢を誇った金丸信氏の生涯を振り返ります。

保利茂に師事、田中内閣実現に奔走 「政界のドン」金丸信(3)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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2011/8/14 12:00
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新人議員時代に金丸信は同期当選で10歳年下の竹下登と懇意になった。当時、佐藤派の新人議員は金丸、竹下と細田義安の3人だけ。金丸と竹下はともに地方の造り酒屋の出身で教師経験があり、青年団活動をしていた、などの共通点があり、ウマがあった。2回目の選挙の直前、選挙資金を渡すからと親分の佐藤栄作の呼び出しを受け、金丸と竹下は車に同乗して佐藤邸に出向いた。持ちきれないといけないからと金丸はボストンバッグ、竹下は唐草模様の風呂敷を持参した。

■竹下登と盟友・縁戚関係に

佐藤がくれたのは100万円の一束。これなら背広のポケットにも入る額である。拍子抜けした2人は佐藤邸に居合わせた橋本登美三郎、瀬戸山三男ら佐藤派幹部に「これでは困る」と泣きつくと「もう一度、オヤジに頼んでみろ」と勧められた。2人は再び佐藤の部屋に入り「こんな入れ物を持って来たんです。もう少し何とかなりませんか」とおそるおそる頼み込んだ。佐藤は例の大きな目玉をむいて「そうか、それなら100円札に替えてやろう」とけんもほろろであった。

金丸は昭和36年に悦子夫人と再婚した。媒酌を佐藤栄作に頼んだが、断られたので佐藤派の代貸し格の保利茂に頼んだ。これをきっかけに金丸は保利を「政治の師」と仰ぐようになった。たたきあげの苦労人である保利は、吉田内閣で労相、官房長官を歴任し、独特の風格の持ち主だった。坪川信三、塚原俊郎らが保利を囲むマージャングループに加わり、政治家として薫陶を受けた。昭和43年に金丸の長男と竹下の長女が結婚した際も保利が媒酌をつとめた。この縁談を勧めたのは佐藤栄作の寛子夫人である。

与野党国対委員長会談に臨む金丸信(右から2人目)=毎日新聞社提供

与野党国対委員長会談に臨む金丸信(右から2人目)=毎日新聞社提供

昭和38年、金丸は2回生議員のトップを切って郵政政務次官になった。同年11月の総選挙で3回目の当選を果たしてそのまま郵政政務次官に留任したが、佐藤派の代貸し・保利茂がまさかの落選を喫した。1964年(昭和39年)7月の自民党総裁選で佐藤は池田勇人首相の3選阻止をめざして立候補した。カネが乱れ飛ぶ激戦となり、佐藤は惜しくも敗れた。このとき、金丸と竹下は佐藤派幹部・西村栄一の指示で佐藤のボディーガード役を務め、2人は佐藤邸に日参した。

同年秋、池田首相が病気で退陣し、話し合い調整で佐藤が念願の首相の座に就いた。この池田・佐藤のバトンタッチで大きな役割を果たしたのが田中角栄である。金丸は田中について「わたしは佐藤派に入ったときから田中さんを総理にしようと思っていたが、2人だけでじっくり話したことは案外、少ないんだ。しかし、田中さんに助けてもらったことは何度もある」と述べている。

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