日米外交60年の瞬間 第3部

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特需の終わり心配した日本 サンフランシスコへ(27)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2012/2/18 7:00
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1951年7月16日、日本の新聞が「休戦会議」と呼ぶようになっていた朝鮮の前線での交渉は、第4回会議を終えた。一応の軌道に乗ったと受け止められた。

現地からのAPの報道によれば、議題をめぐる合意に向け、進展があった。共産軍側は会場の中立化についての取り決めを守り、武装兵は見られなかった。ジョイ中将ら国連軍代表は会議の休憩時間中に写真取材に応じ、共産側も会議終了後、カメラマンの前に現れた。

■休戦会議が軌道に

記者たちは、これらを交渉進展の傍証と考えた。交渉の雰囲気を見ながら、中身を想像するしかない。それが取材現場の実態だった。国連軍側は話し合いの中身の発表を拒否していたからだ。

一方、共産側の発表は、多分に宣伝めいていた。16日午後11時の北京放送は、会議で共産側首席代表の北朝鮮の南日将軍が「外国軍隊の撤退が最も重要な問題であり、朝鮮問題解決の第一歩となる」と強調した、と伝えた。交渉の提唱者であるソ連のマリク国連代表も16日、ストックホルムで「朝鮮に和平を招来することはほとんど確実」と述べた。

対日講和条約による独立が迫っている。朝鮮和平も視野に入ってきた。そうなると、日本国内では心配が出てくる。経済である。朝鮮特需といわれていた好景気がどうなるのか。日経は7月17日付社説で「特需景気と企業の合理化」と題し、これを論じた。

「朝鮮事件が解決した場合わが国経済がどうなるかは、ひとり特需産業ばかりでなく官民すべての最も注目する問題であるが、経済安定本部の経済白書にも見られるように、昨年下半期以来の経済界の活況が、全く朝鮮動乱の直接、間接の影響である以上、事件の解決によって重大な転換が予想されるのは当然である」

社説は、このような長い一文で書き出している。そのまま引用したのは、理由がある。第一に、当時の新聞社説の文章をいまに伝えるためである。現代の日本語とは違うとさえおもわせるような、大時代的な筆遣いである。

第二に、特需を素直に認め、和平の兆しを客観的に述べ、それによって特需の終わりを心配することを隠す心理を書き出しから既に感じさせる点である。隣国の戦争は当事者には不幸であるのは論を待たない。それが日本経済には戦後復興を加速させ、プラスに作用した。しかしそれを、そのままは認めたくない。

だから社説は「朝鮮動乱発生以来の経済界の活況が、わが国経済にいい影響を与えたか、悪い影響を与えたかについてはいろいろの見方がある」と書く。「活況」というプラスの意味を持つ表現を使いながら、悪い影響にも触れなければならない後ろめたさである。

特需の功罪は、具体的には次のように説明された。

功=日本経済を立ち直らせた。

罪=インフレを再発させ、経済の安定を阻害した。

確かに経済の観点からは両方の見方があったのだろう。社説は「一概にいいとか悪いとか言切ってしまうのは間違いで、例えば、物価騰貴といえば、なんでも好ましくないと考えられ易いが、それによって生産が刺激されたということも見逃し得ない事実であり、したがって物価の下落を無条件に歓迎することもできない」と書く。

日本経済がデフレに悩まされるいま読めばわかりやすい指摘だが、当時はどの程度理解されたか。確かに生産の実態をみると、日本経済の復調は明らかである。

■現在とは意味違った「合理化」

51年4月の生産高は前年同月に比べ、機械工業107%、繊維55%、化学55%、金属37%といずれも大幅の伸びである。1950年度の鉱工業指数は戦前の昭和9~11年(1934~36年)の平均を100として94にまで回復した。特に50年末から51年にかけては戦前の水準をかなり上回っていた。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

輸出も増えて国際収支も顕著に改善し、失業者も減少した。1951年は第3次世界大戦の不安とともに明けたが、経済については空前の好況のなかでの年明けだったのである。

客観的をむねに書かれた社説は悪い面にも触れる。一部商品の価格が国際価格より著しく高くなったことや国民生活水準が低下の傾向を示すなどインフレによる負の影響があったようである。生産や賃金の不均衡も生じていたようだ。

この社説の見出しに使われている「企業の合理化」という言葉は、現代とは意味がまったく違う。現代用語の「合理化」はいわゆるリストラであり、コスト削減を意味するが、社説は特需景気の損得計算をする視点として「現在のわが国にとって最も重要な資本の蓄積、すなわち企業の合理化にどれだけプラスになったかということは…」とある。

企業経営にとって合理的な姿をつくることが合理化であり、当時は、資本の蓄積が合理化の第一義だった。

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