2019年8月25日(日)
トップ > 連載 > 日米外交60年の瞬間 第2部

日米外交60年の瞬間 第2部

フォローする

第2部 一覧

20万人が見送った「帝王」 講和への道(16) [有料会員限定]

離日直前、タラップから手を振るマッカーサー=朝日新聞社提供

朝日新聞社提供

 自身の解職を伝えるニュースが世界をかけめぐった1951年4月11日、マッカーサーは、黙して語らなかった。UP通信記者が副官のハフ大佐を通じてコメントを求めたが、「いまは何も言えない」の答えが返ってく…続き (2011/8/13 12:00)

手榴弾さげて羽田にリッジウェー 講和への道(15) [有料会員限定]

吉田茂首相が公邸として使っていた東京・港の旧朝香宮邸(現、東京都庭園美術館)

 マッカーサー解職の衝撃波の余波を抑えるために、トルーマン政権はダメージコントロールを進める。東京では2つの大きな動きがあった。
 ひとつはリッジウェー新最高司令官の着任であり、もうひとつはGHQ(連合…続き (2011/8/6 12:05)

国連軍最高司令官のジレンマ 講和への道(14) [有料会員限定]

 マッカーサー解職を伝えた1951年4月12日付の日経社説が情緒的な記述が多かったのに対し、同じ紙面に載った「荻原」とだけ署名のある解説は、解職の背景を冷静に分析していた。荻原とは当時の外報部長、荻原…続き (2011/7/30 12:00)

マッカーサー解職、心残りの日本 講和への道(13) [有料会員限定]

当時、茅場町にあった日本経済新聞社の東京本社

 ワシントンから見えるマッカーサーは、ハルバースタムが書いたように、エゴの固まりのような人物だが、1951年4月11日に解職を知らされた日本の空気は、まったく違う。慈悲深い父を失った悲しみに近い感情が…続き (2011/7/23 12:00)

マッカーサー解職の衝撃波 講和への道(12) [有料会員限定]

 トルーマン米大統領は1951年4月11日、マッカーサー元帥に対し、連合軍最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・米極東陸軍総司令官のすべての職を解任する、との命令を通報した。「某有力議員」の話として…続き (2011/7/16 12:00)

マッカーサー解職の予兆 講和への道(11) [有料会員限定]

 振り返ってみれば、大ニュースには多くの場合、前触れがある。マッカーサー解職もそうだった。1951年4月12日の日本経済新聞朝刊は、1面のほぼすべてを使ってこれを伝えた。
 トルーマン米大統領が解職を発…続き (2011/7/9 12:32)

外交官の大磯吉田邸もうで 講和への道(10) [有料会員限定]

2009年に焼失した大磯の吉田邸=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 マッカーサーの進退が慌ただしくなるなかで、日本政府は、講和つまり独立後の体制を固めようとしていた。吉田政権が米政府に要請していたワシントン在外事務所の開設許可が1951年4月6日に下りたと通告があっ…続き (2011/7/2 12:20)

米下院議長の「第3次大戦」発言 講和への道(9) [有料会員限定]

 帝王とも呼ばれたマッカーサー自身および彼を巡るワシントンのめまぐるしい動きはさらに続く。1951年4月3日、マッカーサーは日帰りで朝鮮の前線を視察した。15回目の視察であり、結果的には最後の視察となる。目的は、問題の38度線の北側の土をマッカーサー自身が…続き (2011/6/25 12:01)

講和条約草案全容を明かすダレス 講和への道(8) [有料会員限定]

 韓国軍に先を越された米軍だったが、1951年3月31日午前10時21分、戦車隊が議政府北方の幹線道路上で38度線を越えた。この物語の第1部で触れたように、50年12月31日、共産軍による南進攻撃で退…続き (2011/6/18 12:01)

朝鮮戦線、混乱するニュース 講和への道(7) [有料会員限定]

 1951年3月24日、ワシントン、朝鮮の最前線、そしてニューヨーク、ロンドンを含め、世界のニュースは混乱していた。原因の多くはマッカーサーその人にあった。
 マーシャル米国防長官の発表は、特に衝撃的だ…続き (2011/6/11 12:00)

抵抗するマッカーサー 講和への道(6) [有料会員限定]

ラスク国務次官補(中央)=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 ただならぬ雰囲気がある。AP通信ワシントン支局のムーリエ記者は、そう感じた。
 1951年3月当時の日本からワシントンの外交コミュニティの関心を見ると、焦点はふたつあったようにみえる。ひとつは朝鮮の戦…続き (2011/6/4 12:00)

絡み合う朝鮮戦況と対日講和 講和への道(5) [有料会員限定]

 1951年当時の日本人が京城と呼んだソウルの政庁ビルに再び韓国旗が翻ったのは、1951年3月15日午後9時15分だった。掲揚したのは、米軍ではなく韓国軍第1師団所属部隊の兵士たちだった。ただし激しい…続き (2011/5/28 16:00)

激しく動くマッカーサー 講和への道(4) [有料会員限定]

ジープに乗って朝鮮戦争前線を視察するマッカーサー=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 いまから見れば、1951年3月から4月にかけてのマッカーサーの動きは異常だった。東京から朝鮮戦争の前線視察に出かける距離の感覚は、米国人からすれば国内旅行に近かったのかもしれないが、記録に残っている…続き (2011/5/21 12:12)

象徴的だった幣原喜重郎の死 講和への道(3) [有料会員限定]

幣原衆議院議長と語るダレス大使(シーボルト米大使公邸で、1951年2月)=朝日新聞社提供

朝日新聞社提供

 ダレスが冷戦を背景にした講和を進めていた1951年3月10日、日米関係にも深くかかわった長老政治家が逝った。幣原喜重郎衆院議長である。78歳だった。…続き (2011/5/14 12:02)

ラジオ演説で「冷戦の戦士」に 講和への道(2) [有料会員限定]

 ダレスは米国民に向け、積極的に発信を続けた。記者会見の翌日の1951年3月1日、今度は全米向けラジオで対日講和問題について演説した。全米向けラジオ演説といえば、ルーズベルト以下の歴代大統領がしばしば…続き (2011/5/7 12:54)

レストン記者のスクープ 講和への道(1) [有料会員限定]

 1951年2月27日、ダレスはホワイトハウスでトルーマン大統領を訪ね、5週間にわたったアジア太平洋訪問の報告をした。日本、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドをまわった結果を30分で説明した…続き (2011/4/30 12:48)

日米外交60年の瞬間バックナンバー

電子版トップ連載トップ


日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報

新しい日経電子版のお知らせ

より使いやすく、よりビジュアルに!日経電子版はデザインやページ構成を全面的に見直します。まず新たなトップページをご覧いただけます。

※もとの電子版にもすぐ戻れます。