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政客列伝 松村謙三(1883~1971)

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松村謙三(1883~1971) 一覧

日中関係冬の時代にパイプつなぐ 「日中関係に賭けた情熱」松村謙三(8)

最後の訪中に出発する松村謙三(左から2人目)。中央は藤山愛一郎、後方は川崎秀二と黒金泰美

 1964年(昭和39年)7月の自民党総裁選で池田勇人首相は佐藤栄作、藤山愛一郎の挑戦を退けて総裁3選を果たした。僅差の勝利に池田陣営は肝を冷やしたが、松村謙三は当選祝賀会で「一輪咲いても花は花」とい…続き (2012/4/22 7:00)

周首相と会談、LT貿易に道筋 「日中関係に賭けた情熱」松村謙三(7)

総裁選に出馬し、決起集会であいさつする松村謙三(左)。松村の正面は池田勇人、その右は三木武夫

 自民党結党直後の1956年(昭和31年)1月、次期総理・総裁が確実視されていた緒方竹虎が急死した。同年7月には保守合同の立役者だった三木武吉が死去した。鳩山一郎首相は日ソ国交回復、日本の国連加盟を実…続き (2012/4/15 7:00)

吉田内閣打倒で三木武吉と連携 「日中関係に賭けた情熱」松村謙三(6)

国会収拾を話し合う(左から)松村改進、佐藤自由、河野日自幹事長、和田左社、浅沼右社書記長

 自由党単独少数の第5次吉田茂内閣の重要課題は米国との相互防衛援助協定(MSA協定)問題であった。日本の防衛力強化と引き換えに米国の経済援助を引き出す構想で、財界は一致してMSA協定の締結を強く求めた…続き (2012/4/8 7:00)

改進党結成、幹事長に 「日中関係に賭けた情熱」松村謙三(5)

臨時閣議に集った幣原内閣の閣僚。後列右端が松村謙三(1946年1月6日)=朝日新聞社提供

 1946年(昭和21年)1月4日、占領軍は公職追放令を出した。幣原喜重郎内閣にはこの追放令に抵触する閣僚が5人いた。松村謙三農相、堀切善次郎内相、前田多門文相、田中武雄運輸相、次田大三郎国務相(書記…続き (2012/4/1 7:00)

農相就任、第1次農地改革を主導 「日中関係に賭けた情熱」松村謙三(4)

東久邇宮内閣。3列目左端が松村厚相。最前列が東久邇宮首相、2列目左から重光外相、米内海相、中島商相、近衛国務相(1945年8月17日)=毎日新聞社提供

 1945年(昭和20年)8月15日、松村謙三は終戦の玉音放送を旧民政党本部の建物で聞いた。政党政治復活、民政党復活を心中期していたが、国家の前途を思うと暗たんたる気持ちだった。鈴木貫太郎内閣が総辞職…続き (2012/3/25 7:00)

戦時議会で政調会長、幹事長に 「日中関係に賭けた情熱」松村謙三(3)

町田忠治と側近たち。前列左から松村謙三、小泉又次郎、町田、桜内幸雄。後列左から三好英之、大麻唯男、野田武夫、堤康次郎

 1932年(昭和7年)の五・一五事件で政党内閣の時代は終わりを告げた。海軍長老・斎藤実大将を首相とする中間内閣が組織されて政友会から高橋是清、三土忠造、鳩山一郎、民政党から山本達雄と永井柳太郎が入閣…続き (2012/3/18 7:14)

民政党代議士、町田忠治の側近に 「日中関係に賭けた情熱」松村謙三(2)

報知新聞社を退社し、福光町に帰郷した頃の松村謙三

青林書院新社

 報知新聞社を退社して郷里の富山県福光町(現南砺市)に戻った松村謙三は家業の薬種商を継ぎ、家事を整理する傍ら、所有する山林の植林事業に従事した。地場産業の振興をめざして友人と太平木工社などを立ち上げた…続き (2012/3/11 7:00)

早稲田から報知新聞社に 「日中関係に賭けた情熱」松村謙三(1)

松村謙三

 松村謙三は自民党長老として5回にわたり中国を訪問して周恩来首相と深い信頼関係を築き、日中国交正常化の地固めをした政治家である。終戦直後の幣原喜重郎内閣では農相として第1次農地改革を取りまとめ、本格的…続き (2012/3/4 7:00)

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