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政客列伝 灘尾弘吉(1899~1994)

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灘尾弘吉(1899~1994) 一覧

衆議院議長、派閥抗争に苦慮 「群雀中の一鶴」灘尾弘吉(6)

広島カープ優勝で古葉竹識監督を祝福する灘尾弘吉(左)

 1979年(昭和54年)1月、保利茂衆議院議長が病気で辞任し、灘尾弘吉が後任議長に選出された。首相は福田赳夫から大平正芳に代わっていた。与野党伯仲国会の下、大平内閣は予算修正問題などで難しい国会運営…続き (2012/2/12 7:00)

自民党総務会長、三木と反三木の間で 「群雀中の一鶴」灘尾弘吉(5)

三木内閣の政府・与党首脳会議。左から福田副総理、灘尾総務会長、三木首相、中曽根幹事長、大平蔵相

 1974年(昭和49年)秋、金脈問題で退陣を余儀なくされた田中角栄首相の後継問題では灘尾弘吉の名前も取り沙汰された。灘尾は椎名悦三郎副総裁、前尾繁三郎衆議院議長と親しく、この3人の定期的な会合は「3…続き (2012/2/5 7:00)

親台湾派議員の総帥に 「群雀中の一鶴」灘尾弘吉(4)

金曜会の定例研究会

 灘尾弘吉は1962年(昭和37年)8月、派閥横断的な政策勉強会「金曜会」を立ち上げた。石井派の広瀬正雄、長谷川峻、坂田道太らのほか、旧内務省の後輩である高見三郎(池田派)、後に奥野誠亮(無派閥)、親…続き (2012/1/29 7:00)

文相6期、日教組の勤評闘争と対決 「群雀中の一鶴」灘尾弘吉(3)

辞任を表明する(左から)池田国務相、三木経企庁長官、灘尾文相の3閣僚=朝日新聞社提供

朝日新聞社提供

 1956年(昭和31年)12月に発足した石橋湛山内閣で灘尾弘吉は文相として初入閣を果たした。57歳だった。本人も周囲も入閣なら厚相か自治庁長官と思っていたので「文相とは夢にも思わなかった」ポストであ…続き (2012/1/22 7:00)

政界入り、夢と消えた「緒方内閣」 「群雀中の一鶴」灘尾弘吉(2)

公職追放が解除となり、衆院選出馬の準備を進めていたころの灘尾弘吉

 内務次官を退官した灘尾弘吉は1945年(昭和20年)10月、敏子夫人と能美島に帰省した。満員のすし詰め列車でようやくたどりついた広島の街は原爆で廃虚と化していた。灘尾は知人が運転するオート三輪車に乗…続き (2012/1/15 7:00)

終戦時の内務次官、公職追放に 「群雀中の一鶴」灘尾弘吉(1)

灘尾弘吉

 灘尾弘吉は内務省出身の秀才エリートで、謹直・無私・重厚な人格により政界で重きをなした。官僚時代は長く福祉・社会保障分野を歩み、政界では文相を6期務めるなど福祉と文教の大御所的存在だった。派閥活動を好…続き (2012/1/8 7:00)

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