2019年8月18日(日)
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日米外交60年の瞬間 第5部

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日本が独立した日 講和発効まで(101) [有料会員限定]

「日本が独立した日」ーー1952年4月28日付日本経済新聞1面より

 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約は発効した。夏時間に入っていたワシントンの午前9時30分(日本時間午後10時30分)、米国務省別館でアチソン国務長官がフィッシャー国務…続き (2014/12/27 7:00)

トルーマン大統領、講和条約批准書に署名 講和発効まで(100) [有料会員限定]

 1952年4月に入ると、サンフランシスコ講和条約に署名した諸国の首都から条約の議会承認など発効に向けたニュースが相次いだ。最も重要なのは9日にワシントン在外事務所から届いた公電である。それには「30…続き (2014/12/20 7:00)

トルーマンが突然の退場宣言 講和発効まで(99) [有料会員限定]

 サンフランシスコ講和条約の発効による独立は、日本にとって歴史の節目なのは当然だが、占領者である米国にとってもそうだった。1952年3月29日、トルーマン米大統領は、11月の大統領選挙に出馬しないと表…続き (2014/12/13 7:00)

記者の筆の遊びと日ソ関係の冷たさ 講和発効まで(98) [有料会員限定]

1952年の自衛力強化をめぐる議論は現代に通じるものが少なくない(防衛省・自衛隊60周年記念航空観閲式で地上展示された垂直離着陸輸送機オスプレイ)

 1952年3月は、サンフランシスコ講和条約の発効が迫り、独立後の日本のあり方が議論された時期である。「自衛力増強と憲法改正問題」と題した3月16日付の日経社説は、この問題をめぐる日本国内の賛否両論を…続き (2014/12/6 7:25)

法律家の戦場だった外交・安保 講和発効まで(97) [有料会員限定]

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の柳井俊二・座長。父の恒夫氏とともに日本の安全保障政策に深く関わった

 敗戦後の日本にとって外交とは国際社会に復帰するための条約交渉が中心だったから、外交問題とは安全保障問題よりも法的問題の要素が強かった。1952年3月12日、それを思わせる出来事がふたつあった。…続き (2014/11/29 7:00)

経済自立求めたマーカット報告 講和発効まで(96) [有料会員限定]

マーカット局長は米国のビジネス関係者との意見交換を経て報告をまとめた

 1952年3月11日、独立後の日本経済にとって重要な文書が公表された。GHQ(連合国総司令部)の経済科学局長マーカット少将の報告書である。一言で表現すれば、日本に自立を求める、つまり日本を甘やかすこ…続き (2014/11/22 7:00)

総司令部が皇居前から市谷へ 講和発効まで(95) [有料会員限定]

極東軍事裁判、三島事件の舞台となった市谷。現在は防衛省がある

 1952年3月10日、吉田茂首相の自衛戦力発言をめぐる国会の論戦をよそに、日米両政府は、重要な発表をした。占領の終わりを日本国民に印象づける中身の発表だった。
 行政協定に基づく施設・区域の提供に関す…続き (2014/11/15 7:00)

自衛権めぐり国会「熱戦」 講和発効まで(94) [有料会員限定]

 1952年3月10日午前の参院予算委員会で、吉田茂首相は「自衛戦力」をめぐる6日の答弁を撤回した。吉田は用意された答弁文書に加え、(1)自国の独立安全を国民の力で守る決意がなければ、安保条約も効果が…続き (2014/11/8 7:00)

危機感みなぎるトルーマン特別教書 講和発効まで(93) [有料会員限定]

トルーマン大統領の特別教書にはアジアの軍事情勢に詳細な記述があった=サン

サン

 吉田茂首相が参院予算委員会で自衛戦力をめぐる答弁をしたほぼ半日後、ワシントンから大きなニュースが来た。トルーマン米大統領が1952年3月6日午後0時15分(日本時間7日午前2時15分)、議会に相互安…続き (2014/11/1 7:00)

法制局慌てさせた「自衛戦力」答弁 講和発効まで(92) [有料会員限定]

吉田茂元首相=共同

共同

 1952年3月5日、オーストラリア上院はサンフランシスコ講和条約の批准を承認した。7日に政府による公式宣言がなされることになった。時差があるので4日となるが、ワシントンではトルーマン米大統領がマック…続き (2014/10/25 7:00)

米内光政ら旧軍首脳追放解除の意味 講和発効まで(91) [有料会員限定]

米内光政元首相

 1952年2月29日、公職資格訴願委員会は約300人の追放解消を内定した。真珠湾攻撃時の駐米大使だった元海軍大将の野村吉三郎、同じく元海軍大将で、ロンドン軍縮会議で活躍した山梨勝之進らの名前があった…続き (2014/10/18 7:00)

「行政協定は占領継続」と野党攻撃 講和発効まで(90) [有料会員限定]

日米行政協定で激しい論戦を挑んだ岡田宗宗司氏(右端、毎日新聞社提供)

毎日新聞社提供

 1952年2月29日午前10時25分、参院本会議で日米行政協定をめぐる審議が始まった。同日午後4時10分からは衆院本会議でも議論が続いた。野党側は行政協定を「占領継続」と集中攻撃した。
 参院本会議で…続き (2014/10/11 7:00)

日米ともにあった行政協定への懸念 講和発効まで(89) [有料会員限定]

1952年2月28日に東京・霞が関の外務省で署名された日米行政協定(毎日新聞社提供)

毎日新聞社提供

 加賀乙彦の小説「雲の都」の第1部「広場」に、1952年2月29日の東京・山の手のサラリーマン家庭の朝食の様子が次のようにある。
「治外法権の印象強い」と日経社説
 「寝巻姿の悠次は、このごろ猫背が目立…続き (2014/10/4 7:00)

日米行政協定が署名された日 講和発効まで(88) [有料会員限定]

「雲の都」の作者・加賀乙彦氏は1950年代の中心を「52年」にみているという

 日米安全保障条約に基づく行政協定は、1952年2月28日正午、東京・霞が関の外務省で岡崎勝男国務相とラスク米大統領特使が署名し、午後2時、協定全文と交換公文が日米両政府から公表された。
 公表に合わせ…続き (2014/9/27 7:00)

「行政協定」承認を意味した予算通過 講和発効まで(87) [有料会員限定]

岡崎国務相に対する不信任案を提出した改進党の笹森順造氏

共同

 1952年2月27日午後6時27分、吉田茂首相は衆院本会議場で安堵感に包まれていた。昭和27年度(1952年度)予算案が衆院を通過したのである。
 腹心の岡崎勝男国務相に担当させた日米行政協定交渉も進…続き (2014/9/20 7:00)

「反米」と「反吉田」の違い説いた条約局長 講和発効まで(86) [有料会員限定]

 日本の独立を前にした多正面交渉は続く。このうち日米行政協定、日華条約交渉は、1952年2月26日に大きなヤマを越えた。…続き (2014/9/13 7:00)

裁判管轄権は「戦勝国」並みに 講和発効まで(85) [有料会員限定]

日米行政協定交渉ではNATO方式の裁判管轄権を獲得(沖縄県宜野湾市の米軍普天間基地)

 1952年2月22日、独立に向けて歩みを進める日本が避けて通れない重要な条約交渉でいくつかの動きがあった。
 日本は当時、少なくとも5本の重要な条約交渉を抱えていた。この物語で紹介した日米行政協定、日…続き (2014/9/6 7:00)

東京・台北で条約名称めぐり情報戦 講和発効まで(84) [有料会員限定]

日本側の河田烈・全権委員は近衛内閣で蔵相も務めた

 日韓交渉と並行するように、台湾の国民政府との間の交渉も始まる。1952年2月17日、河田烈全権委員ら日本側代表団は台湾の土を踏んだ。
「平和条約」の名称で譲歩示唆
 前回紹介したように足かけ13年を要…続き (2014/8/30 7:00)

日韓マラソン交渉も始まる 講和発効まで(83) [有料会員限定]

交渉打ち切りの書簡を送った松本俊一代表

 1952年2月12日、韓国政府は日本政府に対し、李承晩ラインに関する覚書を送った。日韓間には当時国交はなく、したがって東京には韓国大使館はなく、ソウルに日本大使館もなかった。覚書は在日韓国代表部を通…続き (2014/8/23 7:00)

「日台」か「中日」で前哨戦 講和発効まで(82) [有料会員限定]

大蔵省出身の津島寿一元蔵相が全権となったフィリピンとの交渉はいったん打ち切りになった

 8月15日は多くの日本人が戦争と平和を考える日だった。戦後という言葉は今も死語にはならず、来年の8月は戦後70年を問い返す時になるだろう。
 1952年2月9日早朝、ひとりの記者が羽田空港から台北に向…続き (2014/8/16 7:00)

改進党結党が招く吉田・重光対決 講和発効まで(81) [有料会員限定]

重光葵・改進党総裁は戦前・戦後の両期間に外相を務めた(共同)

共同

 安倍晋三首相の父で、1980年代に外相をつとめた安倍晋太郎氏は、宰相の座をつかみかけた場にいながら、病気のために涙をのんだ悲劇の政治家である。
 外相時代、安倍は「外交は即内政、内政は即外交」としばし…続き (2014/8/9 7:00)

上院秘密会で可決された講和・安保条約 講和発効まで(80) [有料会員限定]

マッカーサー元帥の後任としてGHQの最高司令官を務めたリッジウエー大将(AP)

AP

 米上院外交委員会は1952年2月5日、サンフランシスコ講和条約と日米、米豪ニュージーランド、米比の3つの安全保障条約の批准法案を全会一致で可決した。サンフランシスコ会議の首席代表でもあったトマス・テ…続き (2014/8/2 7:00)

英国王逝去の政治的衝撃 講和発効まで(79) [有料会員限定]

 1952年2月6日、世界を大きなニュースが駆け巡った。英国王ジョージ6世の突然の逝去である。日米関係に直接影響するものではないが、連合国軍総司令部(GHQ)のリッジウェー最高司令官は「国王の時ならぬ…続き (2014/7/26 7:36)

号砲待つ日華交渉 講和発効まで(78) [有料会員限定]

戦後の重要な外交に携わった栗山尚一・元外務次官は日中国交正常化時には条約課長だった

 やはり1952年2月1日の出来事である。中華民国政府(国民政府)は、台北の日本在外事務所に対し、外交特権を許可した。大使館とほぼ同等の機能を与えられ、国府と直接連絡できるようになり、暗号電報も使える…続き (2014/7/19 7:00)

米の「対日援助」意味した「経済協力」 講和発効まで(77) [有料会員限定]

「三井財閥」を代表した向井忠晴。のちに吉田内閣の蔵相を務めた

 1952年2月1日は国会での吉田茂首相の失言のほかにも、日米関係にかかわる出来事があった。この日午後6時から、「目黒の外相官邸」と呼ばれていた東京・白金台の外相官舎で、日米経済協力の具体的な推進力と…続き (2014/7/12 7:00)

「再軍備」を支持した日経社説 講和発効まで(76) [有料会員限定]

「集団的自衛権」の行使を容認する憲法解釈を閣議決定した安倍首相(上)と理論面でリードした安保法制懇談会の北岡伸一座長代理

 警察予備隊の保安隊への改組をめぐる議論が衆院予算委員会でかわされた1952年2月1日の日経朝刊は「日米共同防衛と自衛力強化」と見出しをつけた社説を載せた。
 「再軍備」という言葉が当時どう受け止められ…続き (2014/7/5 7:00)

「因縁」の西村に吉田首相が失言 講和発効まで(75) [有料会員限定]

大橋武夫国務相は「予備隊は国内治安の確保」と答弁

 1952年2月1日、吉田茂首相は衆院予算委員会で失言をした。相手は右派社会党の西村栄一だった。
 西村は1年後の53年2月28日の同じ委員会での質疑で吉田に「バカヤロー」とつぶやかせ、有名な「バカヤロ…続き (2014/6/28 7:00)

行政協定、車両プレートまで細かく交渉 講和発効まで(74) [有料会員限定]

沖縄県宜野湾市の米軍普天間基地

 日米行政協定をめぐる第2回公式会議は、1952年1月30日午後3時から4時20分まで、場所も参加者も第1回と同じ形で開かれた。西村熊雄条約局長が残した記録によれば、この会議は全体会議と呼ばれた。つま…続き (2014/6/21 7:00)

1960年の「密約」招いたラスク発言 講和発効まで(73) [有料会員限定]

「非公式発言」と断って具体案を提示したラスク特使=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 1952年1月29日午後3時10分、GHQ外交局801号室で日米行政協定をめぐる第1回公式会談が開かれた。当時「極秘」とされた会談議事録によれば、3時58分に終わった、50分弱の会談だが、日米関係の…続き (2014/6/14 7:00)

中国めぐり土曜の国会審議 講和発効まで(72) [有料会員限定]

 ラスク特使が羽田空港に着いた1952年1月26日は、土曜日だった。当時は土曜日でも国会は開かれており、半ドンどころではなく、平日と同様、朝から夕方まで審議があった。吉田茂首相への質問の焦点は、中国だ…続き (2014/6/7 7:00)

ラスク特使と日米行政協定の本格交渉へ 講和発効まで(71) [有料会員限定]

現在の三菱商事ビルディング(東京都千代田区)

 1952年1月26日午前9時10分、ラスク特使は羽田空港に到着した。ワシントン出発が23日だから、時差を考えても2日かけて太平洋を渡ったわけである。それが当時の日米間の距離だった。
■日本を気遣った記…続き (2014/5/31 7:00)

李承晩ライン報道のなぞ 講和発効まで(70) [有料会員限定]

韓国が一方的に宣言した「李承晩ライン」

 1952年1月の日本は、サンフラシスコ講和条約の発効つまり独立を控えて揺れていた。日韓間で領有権争いのある竹島問題のきっかけとなった李承晩ラインの設定は、その隙をついたものだったが、当時の日本はその…続き (2014/5/24 7:00)

「末期的症状」にみえた吉田内閣 講和発効まで(69) [有料会員限定]

1952年に自由党大会が開かれた旧永田町小学校の校舎は現在も健在。自民党本部の向かい側に建っている(東京都千代田区、写真部・小高顕)

 1952年1月23日、米議会でのサンフランシスコ講和条約承認をめぐる審議とほぼ並行する形で、日本でも第13通常国会の審議が始まり、吉田茂首相が施政方針演説をした。サンフランシスコ講和条約の発効の見通…続き (2014/5/17 7:00)

日本の核を容認したダレス証言 講和発効まで(68) [有料会員限定]

ダレス顧問はサンフランシスコ講和条約によってヤルタ協定を放棄したと証言した(ヤルタで会談するチャーチル英首相、ルーズベルト米大統領、スターリン・ソ連首相=共同)

共同

 1952年1月21日の米上院外交委員会は、アチソン国務長官に続いてダレス国務省顧問、ブラッドレー統合参謀本部議長が証言し、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約などの早期承認を求めた。
 アチソン…続き (2014/5/10 7:00)

米上院で講和条約審議始まる 講和発効まで(67) [有料会員限定]

 1952年1月21日、ワシントンで当時の日米関係にとって重要な2つの動きがあった。
 ひとつは米上院外交委員会でサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の承認審議が始まったことであり、もうひとつはト…続き (2014/5/3 7:00)

吉田書簡に巧妙に反応した台北 講和発効まで(66)

提供元=共同/蒋/介石/男/入手日=1967/10/16/死亡年月日=1975/__/__/国籍=台湾/人物コメント=死亡/所属肩書=元総統

共同

 1952年1月18日午後、台湾の国民政府の葉公超外交部長(外相に相当)が日本の木村四郎七在外事務所長を招いた。日本はまだ独立していないので木村の肩書は在外事務所長だが、要するに大使である。
51時間…続き (2014/4/26 7:00)

「自衛再軍備への第一歩」と評された予算案 講和発効まで(65) [有料会員限定]

52年度予算を編成した池田勇人蔵相(右)の評価は高まった(左へ愛知揆一、宮沢喜一の各氏)

 トルーマン米大統領の経済報告と呼応するかのように、吉田茂首相も1952年1月18日の閣議で52年度(昭和27年度)予算案を決定した。日本が占領状態を終え、独立国になって初めての予算である。実質はとも…続き (2014/4/19 7:00)

独立控え揺れる吉田内閣 講和発効まで(64) [有料会員限定]

「吉田学校」の門下生だった橋本龍伍厚相、子息の龍太郎元首相も初入閣は厚相だった

 吉田書簡が公表された1952年1月16日、吉田内閣の閣僚のひとりが辞意を固めた。橋本龍伍厚相である。
「お灯明料では日本防衛できぬ」
 書簡の内容とは直接関係はないが、橋本は吉田の要請で政界入りした元…続き (2014/4/12 7:00)

通産省局長として登場した牛場信彦 講和発効まで(63) [有料会員限定]

戦前の外務省で「革新官僚」として名をはせた牛場氏は戦後、通産官僚として復帰。その後も数々の重要な日米交渉に携わった。

 日本が北京ではなく台北の国民政府との間で平和条約を結ぶとする吉田茂首相のダレス米国務省顧問あての書簡が公表される直前、日台間の通商協定改定に関する第1回会議が1952年1月16日午前、総司令部(GH…続き (2014/4/5 7:00)

内外に複雑な波紋広げた吉田書簡 講和発効まで(62) [有料会員限定]

社会党左派の鈴木茂三郎委員長

 吉田書簡は1952年1月16日午前の閣議に報告され、正午公表された。台北にある米大使館も同日、国民政府外交部に対し、日本が国府との間に平和条約を結ぶ用意があるとの吉田書簡の写しを手渡した。
国府は歓…続き (2014/3/29 7:00)

吉田書簡公表の舞台裏 講和発効まで(61) [有料会員限定]

シーボルトGHQ外交局長(中央)は英国が日本の国府承認の方針を阻止するつもりはない旨を伝えた=朝日新聞社提供

朝日新聞社提供

 吉田茂首相がダレス米国務省顧問あてに日本が台北の国民政府との間で平和条約を締結する意向を伝えた1951年12月24日付「吉田書簡」は直ちに公表されたわけではない。公表されたのは、1952年1月16日…続き (2014/3/22 7:00)

トルーマンの一般教書演説と日本の政局 講和発効まで(60) [有料会員限定]

第1次吉田内閣の蔵相だった石橋湛山は「吉田退陣」を主張した

 レームダック化したトルーマン大統領は、1952年1月9日午後零時半(米東部時間)から米議会で年頭の一般教書演説をした。
 現在では一般教書演説と呼ばれ、テレビのゴールデンタイムに合わせて夜に行われるが…続き (2014/3/15 7:00)

中国選択をめぐり激突した米英首脳会談 講和発効まで(59) [有料会員限定]

52年1月7日付日経新聞朝刊は1面で大きく米英巨頭会談を報じた

 ホワイトハウスでのトルーマン大統領、チャーチル首相による米英首脳会談は、1952年1月7日の午前、午後にわたり、あわせて3時間を費やした。会談が当時、「巨頭会談」と訳されていたのは、そのしつらえも関…続き (2014/3/8 7:00)

スターリン攻勢に戸惑う日本、米英「巨頭会談」へ 講和発効まで(58) [有料会員限定]

 1952年1月1日に発信されたスターリン・ソ連首相の日本国民へのメッセージは、日本を揺さぶるに十分な効果があった。米政府には、ダレス発言にあるように特段の焦りはないが、2014年から当時の日本を振り…続き (2014/3/1 7:00)

1952年正月 日本舞台に米ソ角遂 講和発効まで(57) [有料会員限定]

先行きに楽観的な吉田首相(右)と対照的にソ連のスターリンは平和攻勢のメッセージを送った(共同)

共同

 この連載を始めたのは、2011年1月だった。1951年の日米関係と日本社会を書くのに3年以上を使ったわけだが、日本にとってそれほどまでに重要な年だった。この物語を「1951年は、第3次世界大戦の不安…続き (2014/2/22 7:00)

外交ルート通さぬ吉田メモの意味深長 講和発効まで(56) [有料会員限定]

独立回復後初代のマーフィー駐日米大使(毎日新聞社提供)。「ステイツマン大使」を希望した吉田首相の意中の人はダレス氏だったのか?

毎日新聞社提供

 内閣改造を終えた吉田茂首相にとって1951年の仕事納めだったのだろうか、12月27日付で中国政策を中心に考えを述べたメモを米政府に送った。吉田メモは外務省から総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長の…続き (2014/2/15 7:00)

吉田のクリスマス改造にダレスの影? 講和発効まで(55) [有料会員限定]

日米関係は内政問題ーー。第3次吉田第3次改造内閣では広川農相(左)、岡崎国務相が起用された。

 1951年12月25日、吉田茂首相は内閣改造をした。認証式は26日になったが、25日に閣僚名簿は発表されており、クリスマス改造である。年末改造に踏み切ったのは、吉田をとりまく内政上の危機からだった。…続き (2014/2/8 7:00)

高姿勢で借金頼む吉田 講和発効まで(54) [有料会員限定]

70年代末から80年代初頭にかけて相次ぎ日米外交に携わった大平(左)・鈴木両首相

 1951年12月20日午前7時40分、ダレスはスミス、スパークマン両上院議員を伴い、羽田空港発のパンアメリカン機で帰国の途についた。空港で発表した声明は「来日の目的は果たされた」とし、「日米友情の強…続き (2014/2/1 7:00)

「吉田書簡」に日本側が修正要求 講和発効まで(53) [有料会員限定]

天安門付近を警戒する警察車両(29日)=共同

共同

 吉田、ダレスが最後の夕食会を楽しんだ1951年12月18夜、西村熊雄条約局長ら外務省事務当局は、ダレスが吉田に渡した「吉田書簡」の分析作業をしていた。
ダレスは修正受け入れる
 西村が残した文書群のな…続き (2014/1/25 7:00)

ダレスが書いた「吉田書簡」 講和発効まで(52) [有料会員限定]

東京都港区の東京都庭園美術館。外相を兼務していた吉田茂が利用していた。いまは休園中

本社

 1951年12月18日午後2時半、ダレス特使は、総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長を伴って目黒の外相官舎に吉田茂首相を訪ねた。「目黒の外相官舎」と当時の新聞は書くが、現在の住所表示は港区高輪台で…続き (2014/1/18 7:00)

国民政府との平和条約求める米議員 講和発効まで(51) [有料会員限定]

ダレス大使(右、共同)とともに来日した米上院議員との会談に臨んだ参院の有力者(左上から右に徳川=共同、団、佐藤、大隈=共同の各氏)

 ダレスとともに来日したスミス、スパークマン両上院議員は、時に独自の行動をした。議員交流がそれである。ユニオンクラブ演説と経団連との会合の間の1951年12月14日午後3時、両議員は佐藤尚武議長ら有力…続き (2014/1/11 7:00)

交渉妥結した日米加漁業条約の意味 講和発効まで(50) [有料会員限定]

12月14日、ダレスは経団連幹部と懇談した

 1951年12月14日のダレスの東京ユニオンクラブ演説の全文が15日付日経の5面に載っている。が、それよりも大きくこのページを占めたのが「北太平洋の公海漁業に関する国際条約」である。15日の1面もダ…続き (2014/1/4 7:00)

西村条約局長の失望と感慨 講和発効まで(49) [有料会員限定]

吉田・ダレス会談の内容を聞いた西村条約局長には失望が…… 

 2013年が暮れる。きょうのこの物語は、1951年12月13日の吉田・ダレス会談の内容を聞いた西村熊雄外務省条約局長の失望から始まる。のちにそれは感慨につながるが、2013年末のいま西村の感慨の意味…続き (2013/12/28 7:00)

吉田・ダレス会談の謎 講和発効まで(48) [有料会員限定]

大蔵省出身の河田烈・元蔵相が日華交渉団長を務めた

 1951年12月14日付日経1面の「ダレス吉田会談」(伊奈注、いまなら当然「吉田・ダレス会談」と書くだろう)について続ける。これは奇妙な記事である。徹頭徹尾、記者の臆測で書かれているからだ。臆測が適…続き (2013/12/21 7:00)

ダレスに中国論を縦横に語る吉田 講和発効まで(47) [有料会員限定]

外交官として奉天総領事など中国経験が豊富な吉田は「上から目線」で自論を展開した=共同

 吉田茂首相は、1951年12月13日午後2時半、総司令部(GHQ)外交局にダレス国務省顧問を訪ね、約1時間会談した。井口貞夫外務次官、シーボルト外交局長が同席した。この会談によってダレスは訪日目的を…続き (2013/12/14 7:00)

吉田自身が修文した日華条約案 講和発効まで(46) [有料会員限定]

吉田には条約局長のような言語感覚があった

 きょうはハワイ時間でいえば、1941年12月7日の真珠湾攻撃から72年の日である。この物語が書き進めるのは、真珠湾攻撃から10年たち、占領された日本が独立に向かう過程である。
 井口貞夫外務次官は19…続き (2013/12/7 7:00)

井口・ダレス会談の緊迫 講和発効まで(45) [有料会員限定]

「ダレスの熱意に動かされた」と語った井口外務次官=朝日新聞社提供

朝日新聞社提供

 東京滞在中のダレスは多忙だった。1951年12月12日午後3時半、ダレスはスパークマン、スミス両上院議員とともに国会を訪問し、林譲治、佐藤尚武両院議長をはじめ各党代表と会談し、午後7時には米国大使館…続き (2013/11/30 7:00)

「ダレス大統領」の訪日 講和発効まで(44) [有料会員限定]

ダレス訪日を新聞はまるで大統領の訪日のように扱った(1951年12月11日付日本経済新聞朝刊1面)

 マッカーサーもそうだが、ダレスも帝王のような雰囲気を漂わす人物だった。ともに吉田茂とは相通ずるところがあった。ダレスが1951年12月10日午後2時50分、パンアメリカンのクリッパー機でホノルルから…続き (2013/11/23 7:00)

ダレス訪日に身構える吉田 講和発効まで(43) [有料会員限定]

後に自民党副総裁などを歴任した大野伴睦。典型的な党人派だった。

 ダレスはトルーマンの後のアイゼンハワー政権で国務長官になる人物である。大物特使の訪日に日本の朝野は身構えた。1951年11月29日付日経朝刊は一面トップに「ダレス顧問訪日の目的 外務・大蔵両省の見解…続き (2013/11/16 7:00)

副大統領より重いラスク訪日 講和発効まで(42) [有料会員限定]

ラスクが宿泊した帝国ホテルのライト館は愛知県犬山市の明治村に保存されている

 副大統領であり、次期大統領候補でもあったバークレーよりも、新聞の扱いがよかったのが、米国務次官補(極東担当)のディーン・ラスクの来日だった。ラスクは1951年11月23日午前1時、羽田空港に到着した…続き (2013/11/9 7:00)

バークレー米副大統領来日の意味 講和発効まで(41) [有料会員限定]

ホワイトハウスのバークレー副大統領(右)とトルーマン大統領=AP

AP

 1951年11月22日午前7時55分、アルベン・バークレー米副大統領がジェーン夫人とともに羽田空港に到着した。空港には吉田茂首相が出迎えた。23日午前1時、ディーン・ラスク米国務次官補(極東担当)が…続き (2013/11/2 7:00)

奈良で批准書に署名した昭和天皇 講和発効まで(40) [有料会員限定]

かつて第1次吉田内閣に農相として入閣した和田博雄(後列右から3人目)は明確に反安保の立場に立った

共同

 1951年11月18日午後4時37分に参院本会議でサンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約が承認されると時をおかず、政府は午後5時30分から臨時閣議を開き、批准書作成を決定し、吉田茂首相兼外相が批…続き (2013/10/26 7:00)

人間模様交錯した参院本会議 講和発効まで(39) [有料会員限定]

杉原荒太氏

共同

 1951年11月18日午後4時37分、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約は参院本会議で可決、承認された。憲法61条によって、条約の国会承認は衆院議決だけでも有効だが、ともに重い条約である。吉…続き (2013/10/19 7:01)

朝鮮半島での大虐殺の衝撃 講和発効まで(38)

「蜜月時代」を誇示する現在の中国・習近平国家主席(左)と韓国・朴槿恵大統領(インドネシア・バリ島で、聯合=共同)

共同

 日本にとって対岸である韓国の状況は当時、相当に不安定だった。1951年11月14日、釜山発のAP電が衝撃的なニュースを伝えた。
 50年6月の朝鮮戦争開始以来、1年5カ月の間に5790人の国連軍将兵が…続き (2013/10/12 7:00)

漁業交渉で米国に挑んだ日 講和発効まで(37)

 占領後に向けた実務作業とは、外交面でいえば、サンフランシスコ条約署名国との様々な協定の取り扱いをめぐる交渉である。パリの国連総会で米ソが火花を散らした半日ほど前にあたる1951年11月8日(日本時間…続き (2013/10/5 7:00)

パリで国連総会、米ソが軍縮提案で衝突 講和発効まで(36)

 1951年の国連総会はいまと違って11月に始まった。場所もニューヨークではなく、パリだった。欧州正面で米ソが対峙した冷戦状況を鮮明に映す出来事が相次いだ。日本はその場にはいない。が、日本の安全にとっ…続き (2013/9/28 7:00)

永田町を揺るがせたドッジ 講和発効まで(35)

米ネバダ州で行われた核実験。米海兵隊員が様子を見守っている

AP

 コメの統制撤廃に反対するドッジの勢いは、日本の内政を揺さぶった。吉田政権は撤廃の再検討を余儀なくされ、野党はそこをついて意気をあげた。「外圧」で動く日本の政治。1951年11月2日の日経社説は「独立…続き (2013/9/21 7:00)

宮沢喜一が税関船で朝駆け 講和発効まで(34) [有料会員限定]

池田勇人蔵相(右)と宮沢喜一秘書官(左)。占領下時代から米側との折衝に腐心し、ともに後に総理大臣として対米交渉にあたった

 日米関係は、いくつもの正面を持った関係であり、それぞれに対話の仕組みがある。この物語で光をあてるのは安全保障の分野が多くなるが、経済分野でしばしば顔を出すのがジョゼフ・ドッジという人物である。占領下…続き (2013/9/14 7:00)

同盟のジレンマ問う左派 講和発効まで(33) [有料会員限定]

戦後の日本共産党を指導した徳田球一書記長。日本国内の左右対立が先鋭化していた時代だった=共同

共同

 1951年10月31日午後1時15分、パンアメリカン機で日本経済新聞編集局次長・大軒順三記者が帰国した。サンフランシスコ講和会議取材のために日本をたったのは8月16日だったから2カ月半に及ぶ長期出張…続き (2013/9/7 7:00)

中国めぐりすれ違う日米 講和発効まで(32)

共同

 サンフラシスコ講和条約、日米安全保障条約が衆院を通過した1951年10月26日付日経社説の見出しは「中共貿易の将来」だった。日本が米国を中心とする西側体制の仲間入りすることに国民が事実上の同意を与え…続き (2013/8/31 7:00)

チャーチル復帰に不安も 講和発効まで(31)

「和製チャーチル」ともいわれた吉田茂。貴族的な雰囲気、保守的信条など共通点が多かった。

本社

 さて1951年10月26日開票の英国総選挙である。ロンドン時間の26日午後4時半(日本時間27日午前1時半)、チャーチル党首率いる保守党が313議席を勝ち取り、下院の過半を制した。
■買われた指導力
 …続き (2013/8/24 7:00)

講和・安保条約が衆院を通過 講和発効まで(30) [有料会員限定]

農民運動の指導者として頭角をあらわした三宅正一。田中元首相と同じ旧新潟3区選出だった。

共同

 歴史上の大きな出来事はしばしば、地球上の遠く離れた場所で同時に起こる。1951年10月26日もそうだった。
 サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約、がこの日、衆院を通過した。日本国民は、米国が主…続き (2013/8/17 7:00)

安保衆院通過へのドラマ 講和発効まで(29)

安保条約賛成の段取りを整えた三木武夫・民主党幹事長(当時、後の首相)。「バルカン政治家」の異名も持っていた

 1951年10月25日は、実は日米安全保障関係の歴史のなかで重要な日である。サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の衆院通過の見通しがついた日だからだ。
三木武夫の登場
 日本国憲法は予算と条約につい…続き (2013/8/10 7:00)

「日本防衛」を明言しない米 講和発効まで(28)

米議会は湾岸戦争をめぐって激しい議論をかわした。手前が当時のブッシュ父大統領。後方左がフォーリー下院議長

AP

 1951年10月12日、東京・日本橋の三井本館にあったGHQ(連合国軍総司令部)外交局のフィン書記官の部屋での藤崎万里外務省条約課長との会談の続きである。藤崎が持参したペーパーを読んだフィンが口を…続き (2013/8/3 7:00)

日米で国会答弁擦り合わせ 講和発効まで(27)

米国側との意見調整を担った藤崎万里氏

 吉田茂首相がサンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約の承認を求めて開かれた臨時国会で施政方針演説をした1951年10月12日、外務省条約局の藤崎万里条約課長が、日本橋の三井本館にあったGHQ外交局…続き (2013/7/27 7:00)

吉田首相の怒りの意外な矛先 講和発効まで(26)

東京都千代田区にある駐日英国大使館。英王室と日本の皇室の関係は深いものの英国政府の日本に対する警戒心に吉田首相は反発した。

 1951年10月12日の吉田茂首相の施政方針演説には、サンフラシスコ講和条約にいたる交渉を思い起こして、怒りをぶちまけたとも思える瞬間があった。次の箇所である。やや長くなるが、引用する。
「通商交渉…続き (2013/7/20 7:00)

絶頂からの「吉田ドクトリン」演説 講和発効まで(25) [有料会員限定]

衆院本会議場で施政方針演説する吉田首相=共同

共同

 吉田茂首相は1951年10月12日、衆参両院の本会議場で施政方針演説をし、サンフラシスコ講和条約、日米安全保障条約に署名した経緯を説明し、両条約の早期承認を求めた。13日付日経社説は「説明の足りない…続き (2013/7/13 7:00)

国際政治にも「還暦」リズム 講和発効まで(24) [有料会員限定]

国際政治の動きに約60年周期の流れ?(左上は故金日成主席、右上は孫の金正恩第1書記=共同、下は北朝鮮の軍事パレード=AP)

右上=共同・下=AP

 1951年10月10日、第12回臨時国会が召集された。サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約の審議、承認のための国会であり、吉田茂首相にとっても、戦後日本にとっても歴史的な国会である。
■吉田首相…続き (2013/7/6 7:00)

「街に浮浪者」 されど講和 講和発効まで(23) [有料会員限定]

かつて社会党本部があった社会文化会館(手前中央)。上は国会議事堂(2013年1月、東京・永田町)

共同

 ソ連の核実験をめぐる国際的論議をよそに、サンフランシスコ講和条約、日米安保条約について党内論議を続けていたのは、当時の社会党だった。「社会党の講和方針」と題する1951年10月7日付日経社説は、この…続き (2013/6/29 7:00)

米ソ核対決を傍観した日本 講和発効まで(22) [有料会員限定]

 衝撃的なニュースとは、ソ連の2度目の核実験だった。1951年10月3日、それを発表したのは、ソ連政府ではなく、米政府だった。
 いまは日本では核実験と呼ぶが、当時の新聞は「原子爆弾の爆発」の表現を使っ…続き (2013/6/22 7:00)

切り結ぶ周東・マーカット 講和発効まで(21) [有料会員限定]

GHQとエネルギー問題で交渉に当たった吉田首相側近の周東長官

共同

 新聞の揺れは、社会の揺れを反映していた。講和条約に署名し、占領から抜け出す見通しは立ったものの、吉田政権をとりまく内外情勢は厳しかった。
 1951年10月の日本では電力危機が心配されていた。朝鮮半島…続き (2013/6/15 7:00)

日本の「言論の自由」も揺さぶる 講和発効まで(20) [有料会員限定]

昭和26年10月4日の日本経済新聞朝刊1面社説

 5回前に1951年当時の「言論の自由」をめぐる問題に触れた。大橋武夫法務総裁が、新聞として守るべき基準を法律で定めたいとする意向を表明したのがきっかけである。
 大橋発言は、今日の目からみれば、政府の…続き (2013/6/8 7:00)

須磨弥吉郎の対中洞察力 講和発効まで(19) [有料会員限定]

AP

 1951年当時の日本経済新聞の紙面は、ある意味では今よりももっと国際的だった。「週間国際情勢」という大きなコラムを一面に大きく載せている。10月2日の週間国際情勢は須磨弥吉郎が執筆している。
国内的…続き (2013/6/1 7:00)

ブラッドレー訪日にスターリンが返礼か 講和発効まで(18)

統合参謀本部議長として朝鮮戦争を指揮したブラッドレー元帥と共産主義陣営の頂点に立つスターリン・ソ連首相

 米国軍人の最高位にあるのは統合参謀本部議長である。1951年9月時点でこの職にあった陸軍出身のオマール・ブラッドレー元帥が9月28日午後9時30分、東京・羽田空港に着いた。
 朝鮮戦争の休戦会議が行き…続き (2013/5/25 7:00)

旧安保条約でもあった「密約」疑惑 講和発効まで(17)

外務省外交史料館の旧日米安全保障条約(レプリカ、東京都港区)。日本側は吉田1人が署名した

 戦後の日米関係史には、いくつかの「密約」をめぐる疑惑があった。今回は、いまでは忘れられている密約を取り上げる。
 日米間の密約といえば、耳に新しいのは、2009年に岡田克也外相が調査を命じた4件である…続き (2013/5/18 7:00)

財務官たちの日米関係 講和発効まで(16)

 1951年9月27日、大蔵省の渡辺武財務官が東京中央区日本橋茅場町にあった日本経済新聞社にやってきた。
 渡辺は約4カ月という現代ではあり得ないような長期にわたる米国出張を終えて帰国した。日経本社にや…続き (2013/5/11 7:00)

「対日講和=冷戦」受け入れのきしみ 講和発効まで(15)

 話はカナダの首都オタワに飛ぶ。1951年9月20日、この地で開いていた第7回北大西洋条約機構(NATO)理事会が5日間の議論を終えた。
 ギリシャとトルコのNATO加盟がここで決まった。地図で確かめれ…続き (2013/5/4 7:00)

経済でも冷戦を戦った日本 講和発効まで(14)

GHQは繊維7製品の輸出規制を緩和すると同時に共産圏に対しての大枠での規制強化も行った(51年当時の紡績工場、毎日新聞社提供)

毎日新聞社提供

 あす4月28日は日本が独立を回復した記念の日である。この物語でとりあげてきているサンフランシスコ講和条約が1952年4月28日に発効したからである。61年前のことである。
 安倍政権は政府主催の行事を…続き (2013/4/27 7:00)

滑り出す対アジア賠償交渉 講和発効まで(13)

「池田ーマカパル会談」を一面で伝える昭和26年9月18日付日経朝刊(当時はマカパカルと表記した)

 サンフランシスコ講和条約を踏まえた関係国との賠償交渉が始まった。前回の冒頭で触れた1951年9月17日に東京・霞が関の大蔵省で行われた池田勇人蔵相とフィリピンの駐日フィリピン代表部首席のメレンシオ大…続き (2013/4/20 7:00)

ソ連を「史上最悪の暴君」 講和発効まで(12)

トルーマンが演説で触れた米国憲法原本はワシントンの国立公文書館に保存されている(AP)

AP

 1951年9月17日、トルーマン米大統領は、ワシントンで演説し、ソ連を「史上最悪の暴君」と呼んだ。同じ日、東京では池田勇人蔵相が駐日フィリピン代表部首席のメレンシオ大使、来日中のマカバル・フィリピン…続き (2013/4/13 7:00)

戦後体制めぐる吉田・芦田論争 講和発効まで(11)

吉田首相に国会質問戦を挑む芦田均=朝日新聞社提供

朝日新聞社提供

 1951年9月15日夜の増田甲子七自由党幹事長の東海道線車中での発言について続ける。

■権力の絶頂の吉田

 発言5を再び引用する。
 「吉田首相は任期満了前に辞めないだけでなく、おそらく次の総選挙にも出る…続き (2013/4/6 7:00)

明治天皇にも講和を報告した吉田 講和発効まで(10)

講和条約と日米安全保障条約について記者会見する吉田茂首相(右)と左隣の増田甲子七幹事長(1951年10月10日撮影)=朝日新聞社提供

朝日新聞社提供

 サンフランシスコから帰った吉田茂首相は、側近の増田甲子七自由党幹事長に対し、いかにも明治人らしい指示をした。天照大神を主祭神とする伊勢神宮、明治天皇陵である京都桃山御陵に講和条約署名の報告に自らの代…続き (2013/3/30 7:00)

対日講和で熱おびる東西冷戦 講和発効まで(9)

 サンフランシスコ講和会議の後、西側諸国は激しい動きをみせた。冷戦が熱を帯びるというのは矛盾して響くが、状況はそうだった。まず米英仏3国が1951年9月10日からワシントンで外相会談を開いた。
 日本を…続き (2013/3/23 7:00)

池田勇人、一万田尚登が散らす火花 講和発効まで(8)

後に来日したドッジ氏を迎える池田勇人蔵相(左)と一万田尚登日銀総裁(右)。1951年10月30日撮影=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 大きな政治課題である講和条約への署名は国内政局にざわめきを呼ぶ。これまでに吉田、トルーマンの日米両首脳の会見を紹介したが、日本側全権団の有力者である池田勇人蔵相、一万田尚登日銀総裁も1951年9月1…続き (2013/3/16 7:00)

皮肉屋トルーマンも条約早期批准を 講和発効まで(7)

 吉田茂首相の帰国記者会見と歩調を合わせるかのように、トルーマン米大統領も1951年9月13日(米東部時間)、ワシントンで記者会見し「対日講和条約は準備ができ次第、速やかに批准のために上院に送付するつ…続き (2013/3/9 7:00)

「日華」か「日中」か、吉田の悩み? 講和発効まで(6)

講和会議から帰国し、首相官邸で記者会見する吉田茂(1951年9月14日)=朝日新聞社提供

朝日新聞社提供

 1951年9月11日、台北からニュースが届いた。UPI通信のバーソロミュー副社長が台北を訪れ、「中華民国」あるいは「国民政府」と呼ばれていた台湾当局の葉公超外交部長(外相に相当)と会った。このとき葉…続き (2013/3/2 7:00)

記者が見た「バターより大砲」の世界 講和発効まで(5)

経済の視点から世界の安全保障を分析した日経の武山泰雄

 日本が講和条約、日米安全保障条約を結び、独立を得た1950年代初めの世界と日本の安全保障環境は、どうだったのだろう。1951年9月11日付の日経「経済教室」がそれを扱っている。「武山」の署名がある。…続き (2013/2/23 7:00)

「真珠湾を忘れるな」の誤解 講和発効まで(4)

 1951年9月のサンフラシスコ講和条約署名は、米国の対日感情を改善した。しかし日米間には、なおわだかまりもあった。真珠湾をめぐるそれだが、そこには誤解もあった。
 太平洋戦争の口火を切った真珠湾攻撃が…続き (2013/2/16 7:00)

講和世相の光と陰 講和発効まで(3)

1951年に来日した米大リーグ選抜チーム=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 1951年9月のサンフランシスコ講和の背景にあった世相をさらに拾ってみる。まず明るい話を続ける。
 日米間の野球交流の話である。
 実は51年秋、ニューヨーク・ヤンキースが来日することになっていた。、…続き (2013/2/9 7:00)

講和はやして世は「外国ブーム」 講和発効まで(2)

ユネスコ村にあるオランダの風車小屋=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 サンフランシスコで対日講和条約が結ばれた翌日にあたる1951年9月9日は日曜日だった。日本国内にも華やいだ空気を感じさせる出来事が、この日、いくつかあった。
 神宮球場では米大リーグのレッドソックスと…続き (2013/2/2 7:00)

息吹き返す軍需産業 講和発効まで(1)

米国との技術提携で「ジープ」を生産する旧三菱重工名古屋製作所(1953年撮影、当時は新三菱重工)=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 今回から始まる第5部はサンフランシスコ講和条約発効までの過程をたどる。
 講和条約への署名は、日本が連合国軍による占領状態を脱し、独立をはたすことを意味するとされた。条約発効は1952年4月28日であ…続き (2013/1/26 7:00)

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