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政客列伝 保利茂(1901~1979)

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保利茂(1901~1979) 一覧

「角福」調整に腐心、衆院議長に 「いぶし銀の調整役」保利茂(8)

第2次田中改造内閣に入閣した保利茂(3列目中央)=毎日新聞社提供

毎日新聞社

 1972年(昭和47年)7月の自民党総裁選では佐藤栄作首相、保利茂幹事長が推す福田赳夫が敗れて田中角栄が新総裁になった。福田は第1回投票で1位になり、佐藤首相の調整で2位の田中を降ろす作戦を立てたが…続き (2011/11/6 7:00)

日中関係打開めざした「保利書簡」 「いぶし銀の調整役」保利茂(7)

沖縄返還協定をめぐる国会収拾策をまとめた保利幹事長(右から3人目)=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 佐藤栄作首相は1970年(昭和45年)10月の自民党総裁選で異例の4選を果たした。主導したのは川島正次郎副総裁―田中角栄幹事長のコンビである。佐藤の後継候補は福田赳夫蔵相が有力視され、佐藤の意中も福…続き (2011/10/30 7:00)

佐藤長期政権を要職で支える 「いぶし銀の調整役」保利茂(6)

佐藤政権の中枢。左から福田蔵相、保利官房長官、川島副総裁、田中幹事長

 1964年(昭和39年)7月の自民党総裁選は3選をめざす池田勇人首相と佐藤栄作が激突した。落選中の保利茂はこの年の正月、いつものように大磯の吉田茂邸に年賀のあいさつをした。吉田は保利に次のような話を…続き (2011/10/23 7:00)

佐藤派の重鎮、まさかの落選 「いぶし銀の調整役」保利茂(5)

無役時代の保利茂

 吉田内閣最後の日は1954年(昭和29年)12月7日である。これに先立つ11月24日、自由党を脱党した鳩山派と岸派は重光改進党と合流して鳩山一郎を総裁とする「日本民主党」を結成した。そして左右社会党…続き (2011/10/16 7:00)

吉田側近、抜き打ち解散で悪役に 「いぶし銀の調整役」保利茂(4)

講和条約発効で記者会見する吉田首相(中央)と保利官房長官(右)=朝日新聞社

朝日新聞社

 保利茂が吉田内閣の労相に就任して1年がたった1951年(昭和26年)6月、保利は吉田首相から「至急会いたい」という電話があり、目黒の外相公邸に赴いた。
 吉田は保利に重大な話を告げた。「実はきょう、鳩…続き (2011/10/9 12:00)

吉田自由党に合流、労相で入閣 「いぶし銀の調整役」保利茂(3)

吉田首相(右)と犬養民主党総裁=毎日新聞社提供

毎日新聞社提供

 社会、民主、国協3党連立の芦田内閣で保利茂は非議員ながら芦田民主党の筆頭副幹事長として党務にあたっていた。しかし、芦田内閣は1948年(昭和23年)秋、昭電疑獄の拡大によって行き詰まった。芦田首相の…続き (2011/10/2 12:00)

犬養健と芦田民主党結成に動く 「いぶし銀の調整役」保利茂(2)

進歩党時代の保利茂(後列中央)

 1945年(昭和20年)8月の終戦時に、保利茂は翼賛政治会から改組した大日本政治会所属の衆議院議員であった。終戦後、政党復活に真っ先に動いたのは戦時中に軍部への非協力を貫いた旧政友会の鳩山一郎だった…続き (2011/9/25 12:00)

苦学力行、新聞記者から政界に 「いぶし銀の調整役」保利茂(1)

 保利茂は貧苦・逆境から身を起こし、苦学力行して新聞記者となり、政界に入った。吉田茂に重用され、佐藤栄作の長期政権では佐藤派の重鎮として政府・自民党の要職を歴任。田中角栄と福田赳夫の激しい「角福対立」…続き (2011/9/18 12:00)

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