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転換期の世界に針路
やさしい経済学「危機・先人に学ぶ」座談会

2012/5/14付
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 第2次大戦後に形作られた経済システムがゆらぎ始めた現在。激変する世界を前に、我々がどう考え、何をすべきかの指針を得るため、昨年11月に「危機・先人に学ぶ」の連載を始めた。経済学を発展させ、20世紀初頭の大恐慌を見つめた学者たちの言葉は今も多くの示唆に富む。15日からの連載再開に併せ、前シリーズの執筆者3人に集まってもらい、先人に学ぶ意義を議論してもらった。(文中敬称略、司会は経済解説部長・津川悟)

■現状の見方

 ――100年に一度の危機といわれている。

岩井克人国際基督教大学客員教授

岩井克人国際基督教大学客員教授

 岩井 1930年代の大恐慌と並ぶ転換点に立っている。ただ、当時は多くの人が社会主義に希望を抱いたが、今回はその声はなく、資本主義の枠内で資本主義の形が問われた。グローバル化は世界を市場で覆い尽くせば効率性も安定性も達成されるとする自由放任主義の実験だったが、今回の危機で誤りであることが実証された。

 土居 大恐慌時と異なり、財政危機に直面している。「好況になっても結局、政治は債務を返済するような政策をとらない」と米経済学者ジェームズ・ブキャナンが指摘した通り、政府が多額の債務を抱え混乱を引き起こした。債務が膨らんだ国は市場から狙い撃ちされる。大きな政府で知られるスウェーデンは90年代以降、政府支出を大幅に抑制した結果、危機を免れた。

松井彰彦東京大学教授

松井彰彦東京大学教授

 松井 日本に限れば、明治以降の様々な“成功”が逆に苦しみを生んでいるのではないか。マラソンに例えれば、これまでは風よけになってくれるトップ選手をうまく使いながら走っていられた。

 80年代に入ると日本は先頭に立ち、強い向かい風にあおられ始めた。今は先頭で風を切りながら進まなければいけない状況。経済成長といった果実を簡単に手にすることはできない。

 ――日本はデフレからいまだに脱却できない。

 岩井 成長余地はある。参考になるのはドイツ。中小企業を中心とした技術力を生かし、組織の力を重視する日本とも親和的な資本主義が成功している。

土居丈朗慶応義塾大学教授

土居丈朗慶応義塾大学教授

 土居 2000年代前半、欧米は金融政策などを通じ、かなり無理をして景気拡張を実現してきた。これが実体のないバブルを誘発し、はじけると一気に経済が収縮し、金融危機を招いた。今後は新興国の助けを借りず先進国だけで世界経済を主導できないのではないか。

 松井 現状は厳しいけれど、途上国からみれば、うらやましいぐらいの国民所得、技術力を誇る。国も、企業も、決して沈没してしまったわけではない。このまま衰退していくという悲観論にはくみしない。

 今こそ、経済学の原則に立ち戻った政策を取るべきだろう。例えば「比較優位」。自分が他の人に比べ得意な分野に注力することで、互いに利益を得られる。得意分野を探すことから始めることが求められる。

 「要素価格均等化定理」、つまり国内外で貿易していれば要素価格は均等化することも、知っておくべきだ。新興国との賃金格差は縮小していく。そのうえで、資源のない日本で何を進めるのか。教育、労働の価値、一人ひとりの価値を高めていくしかないだろう。

■資本主義の道

 ――金融危機後、資本主義や市場主義に対する疑問も提示された。

 岩井 私は新古典派経済学を批判するが、市場は人間の本質である自由にとって絶対に必要だと考えている。しかも長期的に人々の生活水準を高める。だが不幸にも、市場のグローバル化はマクロ経済の不安定性を増大させる。

 金融市場とはリスクを分散する市場であり、市場全体のリスクは市場自身が処理できる。規制は不要だという思想が、バブルを放置させ、今回の金融危機を招いた。

 人間が自由を求める限り資本主義しか選択肢はない。だが、自由の最大の敵はもはや社会主義ではなく、自由放任主義であるという逆説が明らかになった。

 松井 ミクロ経済学の領域でも同じ問題を抱える。規制緩和は独占禁止法強化とセットで進むはずだったのに、ある時期から規制緩和だけが先行してしまった。市場はある程度、倫理、規範、ルールを守り、自由に取引すべきだ。ルールをどうするか議論しなければならないし、この点にミクロ経済学の研究者はもっと発言すべきだろう。

先人に学ぶ意義を議論する土居氏、岩井氏、松井氏(左から)

先人に学ぶ意義を議論する土居氏、岩井氏、松井氏(左から)

 ――市場に任せれば効率的になるわけではない、と。

 土居 自由放任主義者とされるミルトン・フリードマンも「K%ルール」などルールに基づく金融政策を提唱した。彼の唱えた原則は生かされ、民間により自由な経済取引を許す代わり、政府は過剰な関与をしない、予見可能な政策を実行するという基本が共有されている。ところが、日本では民間で自由にすべき点がまだ行われておらず、財政政策では裁量がはびこっている。自由をはき違えている。

 岩井 日本に関しては、世界とは逆に反市場メンタリティーが強すぎることを私も心配している。ただ、今回の危機では、世界が協調して拡張的な財政金融政策を採ったことは正解だった。財政危機や過剰流動性を残したが、大恐慌の再来は防いだ。副作用の除去には時間がかかり、ポピュリズムの台頭を招く。その毒から守るために、財政規律の制度化は必要だろう。

 土居 私は裁量的な財政政策には懐疑的だ。有効需要創出が求められる場面はあると思うが、適時適切にできるとは思えない。社会保障のように裁量の余地が働きにくい財政政策で経済の安定を目指すべきだろう。市場のメカニズムは民主主義と非常によく似ている。万能ではないけれども、これに勝るものはない。

 ――民主主義が危機対応で足かせとの批判がある。

 松井 民主主義には賛成だが、構成する市民の能力が決定的に重要だと思う。経済学を通じて、市民にどう考えればいいのかという土台を提供していきたい。それがあっての民主主義だろう。

 岩井 資本主義と同様、我々には民主主義しかない。ただ、その在り方は再考すべきだ。民意に任せればうまく機能するとは限らないからだ。重要なのはリーダーシップを持った専門家。独裁ではなく、公共的な見地から責任を持って行動する人間の育成が急務だ。

 土居 民主主義の仕組みは大切だが、その意思決定は裁量的な財政政策には不向きだ。専門性を持って機動的に行ったり、政策の責任者を選んだり、という機能には欠けているのではないか。先進国は中央銀行の独立性が維持され、民主主義に迎合しない。金融政策当局の独立性が危機を救った面はある。

■古典学ぶ意味

 ――今、古典を学ぶ意味はどこにあるのだろうか。

松井氏「先人の言葉にヒントが隠されている」

松井氏「先人の言葉にヒントが隠されている」

 松井 危機に際しての対応や今後の政策を導き出すに際して、魔法はない。経済学を掘り下げていくことで見えてくる、誰もが納得できることが重要だ。例えば、ハーバート・サイモンは選択肢を増やせと唱えた。一点突破、これに懸けると背水の陣を敷いたら、行き詰まった場合に次の手を打てなくなる。

 先人が考えたこと、原点の部分をもう一度読む必要性は増している。言い尽くされ、当たり前と感じることでも、再度ひもとけば、苦労の跡や懸命に説得しようとしたことが見えてくる。

 過去の書籍を漫然と読んでいても意味はない。必死に考えつつ、ふと離れて先人の言葉に触れれば、ヒントが隠されている。現在の問題に向き合っているからこそ、学べることがある。

 岩井 貨幣経済や資本主義は普遍性をもっており、アリストテレスが生きた紀元前の古代ギリシャから本質的には変わっていない。最初に貨幣や資本に出会った先人は、共同体的社会との違いに驚き、深く思索し、偉大な文章を残した。巨人の肩に乗れば、我々の思考もさらに鍛えられる。

土居氏「様々な名著を題材に自ら考えることが必要」

土居氏「様々な名著を題材に自ら考えることが必要」

 土居 どういう経済政策を欲しているのか、日本では国民各人が明確な願望や考え方を十分確立できていないことが政治の混乱の一因になっている。経済原理を踏まえたうえで、政策をどう考えるのか。様々な名著を題材にしながら、自ら考えることが必要。行間にも非常に含蓄、重みのあることが詰まっている。

 ――危機に際し、解決策を提示できない経済学は無力だとの批判がある。

 松井 経済学という観点を踏まえたうえで、人間の行動、本性を探っていくべきだろう。プラトンは洞窟の比喩として「我々はモノそのものの本質ではなく、その影を見ている囚人のようだ」と述べている。我々は社会の一部しか見られなくて、そこから実体を推測しながら生きていくしかない。科学がすべてを明らかにしたわけでもない。一度すべてをはがして基礎から考えるためにも、古典に立ち戻ることは重要だと思う。

岩井氏「世界経済を再興するには国際政治的な視野が不可欠」

岩井氏「世界経済を再興するには国際政治的な視野が不可欠」

 岩井 多少異論を唱えると、経済学の最大の貢献の一つは、人間の本性についての仮定を最小限にしたことだ。つまり、利己心しかない最低の人間だけの世界を想定し、それでも社会がうまく機能するかを分析するところに強さがある。

 自己利益のみ求める人間でも正しい方向に行動するような制度設計や政策決定を行うべきではないか。個人が非合理的に見える行動をするのは、多くの場合マクロ的な不均衡の存在や制度のゆがみによる。

 松井 一部賛成で、一部違うと感じる点がある。最低の人間ばかりでもうまくいくシステムづくりは重要。ただ、人間は限られた情報から世の中を推測し、理解したつもりで行動する。これは人間の能力に関係することであり、合理的でもある。利他的か利己的かという議論とは少し異なるように思える。

 ――経済学は今後、どんな解決策を与えられるのか。

 岩井 資本主義については自由放任主義派と、安定策が必要と主張する不均衡動学派の間で昔から論争が続いていた。それに関しては今回の危機で理論的には決着がついたと考えている。ただ、実践においては新興国の台頭などによって、グローバル資本主義が必要とするグローバルな政策がますます困難になっている。リーダーシップが発揮され、世界経済を再興するにはどうするのか。経済学だけでなく、国際政治的な視野が不可欠になっている。

 土居 新興国の経済規模が大きくなるにつれ、政治力も増す。国ごとの通商政策だけでなく、世界経済の中でどのような秩序や政治決定が行われるのか、といった研究が進んでいくだろう。

 一つ気になる点がある。最近は議論をしても寛容さがなく、視野が狭い人が多くなっている印象がある。古典を読むにしても、自分の意見と合うところにしか関心を示さない。自分の考えが及ばなかったことや、見落としていたことを知るのが大切であり、幅広い視点で議論すべきだ。

 松井 経済学の基本に返り、本質を見落とさないことを忘れてはいけない。原則をおさえたうえで、地道に力を伸ばしていけるようにしていく政策をするしかない。

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