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海峡越え英仏の名コース巡り 混交の歴史たどる
ゴルフ作家 山口信吾

2014/1/25 7:00
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 今回は、イギリス海峡に面した英仏のコースを巡る旅にご案内します。イギリス海峡は、英仏の政治と文化が入り交じった興味深い歴史を秘めています。しかも、海峡に面して、全英オープンの舞台となった3つのコースを含む魅力的なリンクスがたくさんあるのです。さあ、英仏混交の歴史をたどりながら、イギリス海峡をまたにかけてゴルフと歴史と美食を楽しみましょう。

ぜいたくな寄り道、仏で美食・芸術・ゴルフ

 『プジョー・ゴルフガイド』やドナルド・スティール著の『Classic Golf Links』を通じて、イギリス海峡に浮かぶチャネル諸島に、3つの魅力的なリンクスコースがあると知りました。

 調べてみると、チャネル諸島はフランスの海岸近くにあるのに、なぜかイギリス王領です。しかも、独自の議会、行政、財政、司法の諸制度を有していているうえに、約16万人の住民の多くはノルマン系フランス人で、公用語は英語とフランス語なのです。

 さらに調べると、思いがけないことに、イギリス海峡に面したフランス側にも、いくつかのリンクスコースがあると知ったのです。好奇心がむくむく頭をもたげます。こうなれば自分の目で確かめるしかありません。こうして、2008年8月の11回目のリンクス旅で、チャネル諸島を、フランス側から訪れることにしたのです。

ジベルニーで泊まったB&Bの女主人マダム・ニコル

ジベルニーで泊まったB&Bの女主人マダム・ニコル

 パリのシャルル・ドゴール空港に到着し、レンタカーでセーヌ川の80キロほど下流にある小さな村、ジベルニーを目指します。ここに一泊して、時差ボケを直しながら印象派の巨匠クロード・モネが半生を過ごした自邸と、「睡蓮」をはじめとする多くの名作を生み出す舞台となった庭を見学するのです。なんともぜいたくな寄り道です。

 ジベルニーから、ノルマンディー地方を抜けて港町サンマロに向けて、制限速度130キロの快適な高速道路A13を一気に走ります。

サンマロ近郊にあるフランス屈指の世界遺産「モンサンミシェル」

サンマロ近郊にあるフランス屈指の世界遺産「モンサンミシェル」

 フランスを旅して改めて感じるのは、決して高級な宿に泊まっているわけではないのに、建物の内外装や家具備品が洗練され、女主人の物腰が優雅で、食べ物がおいしいことです。

 サンマロの宿では、朝食はやわらかな朝日が差しこむ中庭で供されました。白いクロスがかけられたテーブルで食べた香ばしいクロワッサンとカフェオレの美味は忘れられません。

フランス有数のカキの産地「カンカル」で食したシーフード

フランス有数のカキの産地「カンカル」で食したシーフード

 12~19世紀に築かれた厚い城壁で囲まれたサンマロの旧市街は、石畳の細い道に石造りの建物が軒を連ねる中世そのままの姿です。この地方名物のそば粉でつくったクレープ(ガレット)を提供するレストランがいくつもあります。ガレットを食べてシードル(リンゴの発泡酒)を飲んでいれば満たされた気分になります。

 サンマロの近郊に、1887年に開場したフランスで2番目に古い「ディナール(Dinard)」という本物のリンクスがあります。インドやエジプトでの兵役を終え退役したイギリス人士官たちは、温暖で風光明媚(めいび)なディナールに住み着きました。

フランスの子供ゴルファーはみなおしゃれ(ディナールにて)

フランスの子供ゴルファーはみなおしゃれ(ディナールにて)

 彼らの多くはゴルファーです。さっそく羊と牛が放牧されている約50ヘクタールの海岸砂丘に目をつけて買収し、当時のゴルフ界の第一人者、トム・ダンをはるばるスコットランドから招いてコース設計を依頼したのです。

 ディナールは短いながら決してあなどれません。フェアウエーはうねっていて、固く締まった小さなグリーンは速く、多くのバンカーがあり、ゴース(ハリエニシダ)の群生が点在しています。海風も強い!

海に向かって傾斜する危険なグリーン(ディナール6番ホール)

海に向かって傾斜する危険なグリーン(ディナール6番ホール)

 丘の向こうにある見えないグリーンを狙う13番パー3(152ヤード)は難関の名物ホール。強い向かい風が吹いているので高く上がるボールはご法度。5番ウッドを短く握って振った。ボールは低く出てフェアウエーの真ん中を転がっていきます。うれしい!

 コースから、海に突き出した小さな半島や美しい砂浜、沖合に浮かぶ小島が見えます。海の眺望を楽しみながら魅力あふれる18ホールを堪能しました。

350年にわたり領土・王位巡る宿命の戦い

 イギリスとフランスは、イギリス海峡を隔てて対峙しています。片やゲルマン系のイギリス、片やラテン系のフランス。民族的にも文化的にも大きく異なる両国は、11世紀以降、350年余にわたって、イギリス海峡をまたいで領土や王位継承をめぐって宿命の戦いを続けました。

 911年、首領ロロに率いられた北欧系のノルマン人(バイキング)は、フランス北西部を侵略してノルマンディー公国を建てます。定住の地を確保したノルマン人は、驚異的な順応性を発揮し急速にフランス化したのです。933年、チャネル諸島はノルマンディー公国に組み入れられます。

 1066年、ノルマンディー公ギョーム2世は、王位継承権を主張してイングランドに進攻し、「ヘイスティングズの戦い」でハロルド2世に率いられたアングロサクソン軍を打ち負かし、イングランド王ウィリアム1世として即位します。

ウィリアム1世はノルマンディーに居住し、治世中にイングランドを訪れたのはわずかに4回。イングランドはいわば北の植民地だった

ウィリアム1世はノルマンディーに居住し、治世中にイングランドを訪れたのはわずかに4回。イングランドはいわば北の植民地だった

 イギリス海峡をまたぐ巨大勢力圏が生まれたのです。ウィリアム1世は、フランス生まれのフランス育ちで、フランス語を話すれっきとしたフランス人です。イングランドは、フランスの政治文化圏に組み込まれたのです。

 以後300年にわたって、支配層はフランス語を話し、庶民は英語を話すという二重言語の状態が続きました。その間に、多くのフランス語由来の単語が生まれ、英語の語彙はきわめて豊富になりました。英語には類義語がやたらと多いのです。

 1204年、ノルマンディー地方はフランス王領となります。このとき、チャネル諸島だけはイングランド王領として残り、今に至っています。

 1337年、フランス王位継承を争う英仏百年戦争が勃発すると、フランス語は敵視されるようになります。その後、1362年、英語が公用語として返り咲いたのです。

 イングランドとフランスとの宿命の対決は、1453年に至って、イングランドの大敗によって決着し、百年戦争は終結。イングランドはフランスにおける父祖伝来の土地をすべて失いました。こうして、イングランドは、380余年にわたってフランス政治文化圏の構成員であった歴史を捨て、独自の道を歩み始めたのです。

英仏が混然一体の不思議な島

湾の向こうにフランスの侵略に備えて13世紀に築かれたモントオーガイ城がそびえる(ロイヤル・ジャージー1番ホール)

湾の向こうにフランスの侵略に備えて13世紀に築かれたモントオーガイ城がそびえる(ロイヤル・ジャージー1番ホール)

 サンマロの街中でレンタカーを返却してからタクシーで港に行き、高速フェリーに乗り込んでジャージー島に向かいました。1時間20分の気楽な船旅です。

 イギリス船籍とフランス船籍のフェリーがあります。乗船して軽い食事をとると、すぐにイギリス船籍のフェリーだとわかりました。コーヒーも食事も味がいまひとつなのです。フランスを離れてイギリスに入国したことを実感します。

 ジャージー島の首都セントヘリアに到着すると、街並みはイギリス風なのに、地名や街路名の多くはフランス語。英仏が混然一体となった不思議な島です。

 モントオーガイ城の麓にある小さな宿付きレストランに泊まりました。朝食はイギリス風。名高い地元産のジャージー牛乳がなんとも美味。あっさりしているのにコクがあります。ジャージー牛乳製のバターをパンに付けて食べると、香りとうまみが口いっぱいに広がります。

 1878年、グル―ビル湾に面した共有地に、「ジャージー(Jersey)」が開場しました。早くも翌年、「ロイヤル」の称号を得て、「ロイヤル・ジャージー(Royal Jersey)」と改称します。

全英オープン6勝を誇るジャージー島生まれの名手ハリー・バードンの銅像(ロイヤル・ジャージーにて、写真左)。彼は「オーバーラッピング・グリップ」(同右)の考案者

全英オープン6勝を誇るジャージー島生まれの名手ハリー・バードンの銅像(ロイヤル・ジャージーにて、写真左)。彼は「オーバーラッピング・グリップ」(同右)の考案者

 コースからグル―ビル湾を見渡せるので、プレーしていて開放感があります。コースのどこにいても、岬の岩山にそびえるモントオーガイ城が目に入ります。この城は、プレーの目印になるだけでなく、訪れた人に忘れがたい印象を残します。

 1番ホールのティーグラウンドに立つと、フェアウエーの右端にトーチカ(防御陣地)が見えます。第2次世界大戦中にチャネル諸島を占領したドイツ軍は、このコースを地雷原にしたうえにトーチカを築いて防御を固めたのです。

 4番ホールまで、フェアウエー右はずっと海に接しています。スライスすればボールは海の藻くず。緊張のラウンドが続きます。5番ホールから内陸に入ります。海に向かって打ち下ろしたり、丘に向かって打ち上げたりしながら、思いのほか変化に富んだコースを堪能しました。

海岸線が弧を描いて延びる絶景にしばしプレーを忘れる(ラモイ10番ホール)

海岸線が弧を描いて延びる絶景にしばしプレーを忘れる(ラモイ10番ホール)

 1902年、ジャージー島の西端に、ロイヤル・ジャージーとは対照的な、標高75メートルの起伏に富んだ丘の上にある雄大なコース、「ラモイ(La Moye)」が開場しました。この小さな島に2つの性格の異なる名リンクスがあるとは、なんともうらやましいゴルフ環境です。

 ラモイの創設者は、ラモイ小学校の校長であり、教会のオルガン奏者であったジョージ・ブーマー氏。ロイヤル・ジャージーGCへの入会を断られたブーマー氏は、自ら新しいコースをつくったのです。ラモイ小学校は今もコースに至る坂道の脇に建っています。

 10番ホールは豪快な打ち下ろしのホール。向かい風をものともしないでドライバーを振り抜くと、ボールは真っすぐ飛翔(ひしょう)し、固く締まったフェアウエーをどこまでも転がっていきます。胸がすく一打!

 続く11番ホールは、同じく打ち下ろしの名物ホール。狭いフェアウエーが、砂丘の間をゆるやかにうねりながらグリーンに向かって延びています。ドライバーを振り抜くとまたもや会心のショット。気持ちイイ!

 グリーンに上がると、眼下に海岸線が弧を描いて延びています。絶景を楽しんでいる余裕はありません。波のようにうねる細長い2段グリーンの奥に切られたカップへの長いパットが残っているのです。

 ラモイは、1978~1995年に欧州ツアー「ジャージー・オープン」の、また1996~2010年には欧州シニアツアーの舞台となりました。

丘に立ち並ぶ家々と港に停泊する大型ヨットが調和して絵のように美しい(セントピーターポート)

丘に立ち並ぶ家々と港に停泊する大型ヨットが調和して絵のように美しい(セントピーターポート)

牧歌的な島ゴルフを楽しむ

 ジャージー島から再びフェリーに乗って、1時間でガーンジ島の首都セントピーターポートに到着。

 チャネル諸島は繁栄を謳歌しているようです。その背景には、独自の歴史、安定した行政、治安の良さ、質の高い公共サービス、タックスヘイブンによる金融サービス部門の活況、そして、島の魅力に引かれて移住した富裕層の存在があります。

マーテロタワーがあることで印象深いホールとなる(ロイヤル・ガーンジ15番ホール)

マーテロタワーがあることで印象深いホールとなる(ロイヤル・ガーンジ15番ホール)

 さっそくレンタカーを借りて、島の北端にある「ロイヤル・ガーンジ(Royal Guernsey)」に向かいました。海岸に沿って走っていると、海に突き出した半島に連なる砂丘が見えてきます。あそこでプレーするのだと思うと胸が高鳴ります。

 ロイヤル・ガーンジは牧歌的なコースです。海岸線に沿って、高さ12メートルほどの「マーテロタワー」と呼ばれる円筒の石造物が点々とあります。ナポレオンの侵略に備えて19世紀初めに建てられた砦(とりで)です。

高台からの絶景を楽しむ間もなく原野を越えてグリーンを狙う(ロイヤル・ガーンジ18番パー3)

高台からの絶景を楽しむ間もなく原野を越えてグリーンを狙う(ロイヤル・ガーンジ18番パー3)

 高台にある18番パー3(156ヤード)のティーグラウンドに上がると、目前にどこまでも青い海が広がっています。絶景に見ほれているわけにはいきません。シダが生い茂る原野とドイツ軍が残したトーチカを越えて、小さなグリーンを狙って打ち下ろすのです。

 強い向かい風をものともせずに6番アイアンを振りました。白球は真っすぐグリーンに向かいます。この一打のためにはるばるガーンジ島までやってきたのです。

高速船で3時間、海峡渡る

 ガーンジ島を午後4時半に出航する高速フェリーに乗り、3時間かけてイギリス海峡を縦断して、世界でも指折りの天然港であるプールに到着。周囲を陸に囲まれたまるで湖のような港です。再びレンタカーを借りて、イングランド南海岸のリンクスを巡る旅に出発。

 翌朝、プールを出発して東へ向かいました。ポーツマスを過ぎたところで、橋をわたってヘイリング島に入ります。住宅地を走り抜けて先端部に達すると、連なる砂丘が見えます。お目当ての「ヘイリング(Hayling)」です。

 ヘイリングの13番パー4は記憶に残るホールです。岬の先端にある丘を越えて打ち進むのです。ドライバーを振ると、ボールは丘の頂上近くのフェアウエーに届いた。丘越えに見えないグリーンを狙う約130ヤードの第2打が試練。丘の上まで登ってグリーンの状況を偵察すると、目前に海が広がり、行き交う船やヨットが見える。

海を背景に5つのバンカーに堅く守られたグリーンを狙う(ヘイリング11番パー3)

海を背景に5つのバンカーに堅く守られたグリーンを狙う(ヘイリング11番パー3)

 美しい景色を楽しんでいる余裕はありません。カップは奥行き40ヤードの長いグリーンの奥に切られています。グリーンの奥は下っていて、すぐ先はOB。しかも追い風。打ち下ろしと追い風を考えてピッチングウエッジを握り、頭だけ見える旗ざおを狙った。会心のショット。丘を越えるとピンの手前に白球が見える。うれしい!

 ポーツマスという大都会の近郊にあり、住宅地に接しているのに、ラウンドしているといろんな鳥の声がやかましく聞こえ、水鳥があちらこちらを我が物顔に歩き回っています。コースは自然保護区にあるのです。

古戦場跡で感慨に浸り、「隠れた宝石」でプレー

 ヘイリングから2時間ほど東へ走ると、1066年にノルマン軍とアングロサクソン軍が激突した古戦場、ヘイスティングズに至ります。街から10キロほど内陸に入った丘に古戦場跡が保存されています。1万5000人余の兵が朝から夕暮れまで戦い続けたのです。しばし車を止め古戦場跡を眺めて感慨にひたりました。

少し打ち上げる182ヤードの名物ホール。風によって9番アイアンからドライバーまで使用クラブが変わる(リトルストーン17番パー3)

少し打ち上げる182ヤードの名物ホール。風によって9番アイアンからドライバーまで使用クラブが変わる(リトルストーン17番パー3)

 ヘイスティングズからさらに東へ30分ほど走ると、右手に砂丘が連なっています。「リトルストーン(Littlestone)」に違いありません。「隠れた宝石」という形容がぴったりくるコースです。コースにもクラブハウスにもほのぼのとした雰囲気があります。

 海に沿って内陸を9番ホールまで進み、10番ホールから海に沿って戻る「行って来い」のレイアウトです。強風と雨のなかスタートし、向かい風をものともせずに打ち進みました。少しずつ向かい風に慣れてきた。クラブを短く握り、脇を締めてスイングをするのです。10番ホールからは追い風に転じます。風に背中を押してもらえるので歩くのが一気に楽になります。

 高台にある18番パー5(499ヤード)のティーグラウンドに立つと、強風で背中が押されます。強い追い風のなかで、ドライバーを振り切ると、白球は高く飛翔しフェアウエーに落ちてどこまでも転がっていきます。気持ちイイ!

 第2打地点に行くと残り200ヤード。強い追い風を受けての一打とはいえ、300ヤード近く飛んでいるのにはびっくり。7番ウッドを振ると第2打は砲台グリーンの右手前へ。手前が垂直の壁になっている砲台グリーンへやわらかいアプローチを放つと、ボールはピンにからんで難なくバーディー。うれしい!

荒海の航海を思わせるラウンド

小山越しに見えないフェアウエーを狙う。巨大バンカーにつかまれば大たたきは必至(ロイヤル・セントジョージズ4番ホール)

小山越しに見えないフェアウエーを狙う。巨大バンカーにつかまれば大たたきは必至(ロイヤル・セントジョージズ4番ホール)

 港町ドーバーの北に、10キロ以上にわたって続く長大な砂丘地帯があり、全英オープンを開催したことがある3つの名門コースが連なっています。紀元前55~54年、この辺りに古代ローマ軍を率いたジュリアス・シーザーが上陸したといわれています。

 1887年、イングランド随一の名門「ロイヤル・セントジョージズ(Royal St George’s)」が開場しました。このコースは全英オープンと縁が深いのです。1894年、全英オープンは、初めてスコットランドを離れて、ロイヤル・セントジョージズで開催されました。以来、ここで全英オープンは14回にわたって開催されています。

 ロイヤル・セントジョージズの起伏に富んだフェアウエーは「荒れる海」と形容されます。船が前後左右に揺れるように、フェアウエーに落ちたボールが、どこへ跳ねるのか見当がつかないのです。運が悪ければフェアウエーど真ん中に落ちたボールでも、コブで跳ねて深いラフへ飛び込むことがあります。

4つの危険なバンカーがグリーンを堅く守る(ロイヤル・セントジョージズ6番パー3)

4つの危険なバンカーがグリーンを堅く守る(ロイヤル・セントジョージズ6番パー3)

 さらには、垂直の壁で囲まれた危険なバンカーが多いのです。バンカーに打ち込めば、往々にしてボールは垂直の壁に接しています。バンカーは、本来、徹底して避けなければいけない危険な存在だと思い知るのです。

 3番パー3(210ヤード)は、バンカーがひとつもないのに、全英オープン開催コースの最難関のパー3として知られています。波のようにうねる細長い砲台の2段グリーンが厄介なのです。カップが手前の下段に切られていれば、奥の上段につけると3パットが必至。下りの大きく曲がるラインで距離感を出すのは至難の業なのです。

 続く4番パー4(バックティーからはパー5)は、世界に知られた名物ホール。ティーグラウンドに立つと、枕木で囲まれた巨大な深いバンカーを抱いた小山が立ちはだかります。バンカーを避けようとすると、今度はフェアウエー左の深いバンカーに打ち込んでしまう。

 さらに、第2打地点からフェアウエーは左へ曲がっています。原野を越えて斜めにグリーンを狙うのです。たとえ大たたきをしようとも忘れがたいプレーとなります。

リンクスの深いバンカーがあってこそサンドウエッジが生まれた(プリンシズ・ヒマラヤズコース4番ホール)

リンクスの深いバンカーがあってこそサンドウエッジが生まれた(プリンシズ・ヒマラヤズコース4番ホール)

 1904年、ロイヤル・セントジョージズのすぐ北隣に、「プリンシズ(Prince’s)」が開場しました。全体に平たんながら細かい起伏があり、どんな腕前の人でも楽しめる手ごろな27ホールのコースです。

 1932年、プリンシズにおいて1回きりの全英オープンが開催されました。このとき、アメリカのジーン・サラゼンが自ら発明した「サンドアイアン」と名付けた新兵器を駆使して、2位に5打差をつけ、大会記録の283で優勝したのです。ゴルフ史上初の「サンドウエッジ」の登場です。この新兵器は瞬く間に世界中に広まったのです。

第2打はグリーン手前を横切る小川越え。試練をしのげば胸を張って石橋をわたれる(ロイヤル・シンクポーツ1番パー4)

第2打はグリーン手前を横切る小川越え。試練をしのげば胸を張って石橋をわたれる(ロイヤル・シンクポーツ1番パー4)

 「ロイヤル・シンクポーツ(Royal Cinque Ports)」は、起伏に富んだ砂丘に広がる難しいコースです。ここでは、1909年と1920年の2回、全英オープンが開催されました。

 古典的な「行って来い」のレイアウトです。海に沿って10番ホールまで進み、11番ホールから内陸を戻ります。行きは向かい風と戦う厳しいプレー。フェアウエーをはずせばロストボール必至の深いラフ。

 フェアウエーは起伏に富んでいて、おまけにコブもある。さらには、いくつかのブラインドショット。さらにはローラーコースターのように速いグリーン。最高難度のコースを堪能しました。

仏伝来の美味「ドーバーソール」

 ドーバーの近くへ行ったなら、「ドーバーソール」を見逃す手はありません。このドーバー海峡でとれた新鮮な舌平目をバターとレモンでカリカリにいためた料理はたいそう美味です(ちょっと高価ですが)。それもそのはず、ドーバーソールは、典型的なフランスのビストロ料理なのです。

 ドーバー海峡の幅は33キロ。ドーバーとカレーは、1日に46便もの所要時間1時間半のフェリーで結ばれています。ドーバーソールは、カレー経由でフランスからもたらされたに違いありません。

 パリで借りたレンタカーをロンドンで返却することは可能です。ただ、乗り捨て料がべらぼうなのです。そこで、フェリーに乗るたびに、港でレンタカーを借りました。いちいち重い荷物を積み替えるのがちょっと大変ですが……。

 フランスで芸術と美食と歴史を味わい、チャネル諸島にわたって開放感にあふれた島ゴルフを満喫し、さらには、イギリス本土にわたって本格的なリンクスコースを巡れば大満足。イギリス海峡をまたにかけて英仏のリンクスを巡るのは比類のないゴルフ旅です。

 やまぐち・しんご ゴルフ作家。1943年台北市生まれ。九州大学工学部建築学科を卒業、同大学院を修了。ハーバード大学大学院を修了後、竹中工務店やシカゴの大手建築事務所に勤務し、主に都市開発プロジェクトに従事。現在は民事調停委員を務めながらゴルフに関する執筆を続けている。43歳でゴルフを始めた遅咲きシングルゴルファー。著書に『普通のサラリーマンが2年でシングルになるための18の練習法』『普通のサラリーマンが2年でシングルになるための7つの基本動作』(共に日本経済新聞出版社)など、ベストセラー多数。

(次回は2月下旬掲載予定。毎月1回、掲載します)

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