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済美・安楽の772球 米国人から見た高校野球(下)
スポーツライター 丹羽政善

2013/8/3 7:00
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 5月30日午前、新神戸へ移動し、荷物をホテルに預けた後、淡路島に向かった。そこには、1996年春の選抜大会で2年生エースとして好投し、智弁学園和歌山高校を決勝にまで導いた高塚信幸氏がいる。今は寿司屋の若旦那だ。

高塚氏「後悔はありません」

 彼は712球を投げぬいた後、肩を痛めたといわれる。実際は選抜大会が終わった後、右のあばらから脇腹にかけて違和感を覚え、それをかばっているうちに肩がおかしくなったそうだ。

 彼はあの春のことを今、どう思っているのか。愛媛・済美高校の2年生エース、安楽智大に自分の姿を重ね合わせることはなかったのか。米スポーツ総合誌「ESPN」のクリス・ジョーンズ記者は高塚氏に躊躇(ちゅうちょ)することなく聞いた。「後悔してないか」

 すると、彼はジョーンズ記者の顔を正面から見据えて答えている。「後悔はありません」。力強くはっきりと。

 それでも近鉄からドラフトで指名された高塚氏だが、1軍のマウンドに立つことはなかった。しかし「あそこで……」とは思ったことはないそうだ。

 「もう、ケガをする選手は見たくない」と思う半面、あそこで「投げたい」という投手を誰も止められないことも知っている。

甲子園の決勝マウンドの重み

 誰もが立てるわけではない甲子園の決勝マウンド。彼自身「朝起きたとき、体が動かなかった」そうだが、それでも譲る気など、全くなかったそうである。

 6月1日、兵庫県の滝川第二高校のグラウンドへ向かった。済美高は京都外大西と滝川第二の両高校とそれぞれ練習試合を行う予定になっていた。ついに、安楽のピッチングを見る機会が訪れた。

 試合前、上甲正典監督に挨拶をすると、さっそく話があった。「今、インタビューをやりますか」

 当初は、翌週3日の月曜日の練習中を考えていた。練習試合ではとにかく安楽がどんなピッチングをするのかを見るのが目的だった。

 取材というよりこの日は観客となってのんびり野球を見るつもりだったので、ジョーンズ記者は短パンにビーチサンダルというくだけた格好。監督と向かい合うと、「こんな格好で申し訳ない」と平謝りだった。

ベンチの中にテレビカメラが…

 ただ、何度か行われたインタビューの1回目は、途中で切り上げることになる。試合が始まりそうになったからだ。その後、済美高の中矢太野球部長と今後の取材スケジュールについて話してからグラウンドへ行くと、なんとベンチの中にテレビカメラが入っていた。

 ネット裏にいたプロデューサーに「練習試合とはいえ、あれはまずいだろう」と話すと、彼はあっけらかんとして言った。「でも上甲監督がいいって言ったんだ」

 「いやいや、そんなことはあり得ない。無理にお願いしたんだろう?」と言っても、プロデューサーは「間違いない」と譲らない。

「一人だけ、レベルが違う」

 言葉の壁がそこにはあったのかと思ったが、よく見ると、テレビカメラは上甲監督の真横から撮影している。ダメだと言ったのならあんなところから撮影させるはずはない。

 後で聞けば上甲監督には「全部を見てってくれ」という思いがあったそうだ。ベンチ内だけではない。カメラはその後も、自由にあらゆるところへ出入りを許された。試合前、試合後の整列のときには、審判団と並んで選手らを撮影した。

 京都外大西高との1試合目。安楽は先発しなかった。マウンドに上がったのは九回。彼が投球練習を始めると辺りが静かになり、誰もが固唾をのんで見守っている。投球練習が終わり、いざ試合が再開すると、安楽は打者3人をいずれも三球三振に仕留め、うならせた。

 このとき、ジョーンズ記者らはつぶやくように言っている。「本物だな。一人だけ、レベルが違う」

 滝川第二高との2試合目、今度は安楽が先発のマウンドへ上がる。それは予想していたが、翌日朝9時半から行われた別の練習試合に先発すると、さすがに彼らは目を丸くしていた。

計9人で取材することに

 3日、いよいよ済美高がある松山市へ。神戸・三宮から高速バスに乗って4時間。比較的空いていた車内で打ち合わせも済ませた。ホテルについてニューヨークから飛んできたスポーツ専門局ESPNのT・J・クィン氏と合流し、タクシーに乗って済美高の専用練習場に向かった。

 ホテルで合流したのはクィン氏だけではなく、プロデューサーは、もう一人東京からテレビカメラマンを手配していた。安楽と上甲監督のインタビューを2台のカメラで撮影しようというのだった。

 さらには、雑誌用にスチールカメラマンもアシスタントを連れてやはり東京からやってきた。最終的にはなんと計9人で取材をすることになった。

 安楽と上甲監督のインタビュー。そして、雑誌用に安楽の撮影が取材内容だったが、上甲監督が「全部お見せしますから」といって、すべての練習の撮影許可を与えてくれた。

 結局、午後2時から7時すぎまでお邪魔したが、米メディアは練習メニューの多くに興味を抱いた。

約10メートルの距離でノック

 例えば、こんな練習があった。ホームベース付近に一人の選手を立たせ、その周りを半円状にチームメートが取り囲む。上甲監督が一人の選手と10メートルほどの距離を置いて向かい合うと、右に左に激しいノックを浴びせ始めたのである。

 その選手は飛びつきながら打球を追う。ユニホームだけでなく、顔までもが泥だらけ。次に距離を詰めて、監督が手で左右にボールを投げ始める。再び横飛びでボールを追う選手。その練習の様子を2台のテレビカメラが追ったが、プロデューサーらはあぜんとしていた。

 ただ、彼らはこのとき一つのことに気付いていた。その後で行われたインタビューで、司会のクィン氏が監督に聞いている。「あのとき、監督は笑っていらっしゃいましたよね。選手もまた、笑みを見せていました。あれはどういうことですか」

「否定されぬようケガに細心の注意」

 それに対し、監督が「言葉のない会話だと思ってください」と答えると、取材陣はまた、言葉を失った。ここには全く米国とは違う野球文化がある。それを痛感したのだった。

 それに先立って安楽のインタビューがダッグアウトで行われたが、彼の責任感の強さに打たれた。ここで一字一句までは再現できないが、「自分がケガをしてしまったら、日本のやり方が否定されてしまう。だから、ケガには細心の注意を払っている」。そんな話をしてくれた。

 おそらくその通りで、これで彼がつぶれてしまったら、米国だけではなく、日本でも「ああ、やっぱり」と断じるだろう。「春のセンバツであれだけ投げたからだ」と。

「我々の価値観、日本に押しつけられぬ」

 それは結果的に、日本の伝統的な野球の否定にもつながる。そこには賛否両論あるが、少なくとも自分でそうした伝統の火を消すわけにはいかない、という重いものを背負っていた。わずか16歳の高校生がだ。それはジョーンズ記者らも感じたことで、「彼はストッパーの役割を担っているようだ」と話していた。

 テレビクルーが機材を片付け始めたとき、図らずもジョーンズ記者らが取材の総括を始めている。

 「肩は消耗品だ、という米国の考え方も決して否定できないと思う。しかし、日本には日本の野球文化がある。投げ込みも連投も、長く続けられてきた。それが一つの日本野球の美しさになっているのではないか。賛否あって当然だ。少なくとも、我々の価値観を日本に押しつけることはできない」

 「彼が将来、メジャーに行くとき、100億円の値がつくかもしれない。それを考えて彼を守れ、という考えも分かる。しかし彼は、彼のためではなく、家族のため、チームメートのため、学校のため、地域のため、県のために投げている。彼は、お金では計れないもののために、体を張っている。それはある意味、我々が失った美しさだ。今、米国の高校野球界はドラフトで指名されること、大学で奨学金をもらうことがプレーする目的になっているから」

連投の背景に日本の野球文化

 ジョーンズ記者は言った。 「この報告を編集長にしたら、びっくりするだろうな。彼は登板過多は危険だ、という結論の原稿を俺が書くと思っているから。いや、自分もこっちに来るときは、そういうイメージを描いていた。高校生が危険にさらされている、という趣旨の原稿になると想像していた。でも、この問題を一つの結論に導くことはできない。そもそも結論はあるのか」

 実は、取材するメディアが米国の価値観に縛られていたという裏話。しかし終えてみれば、連投の背景にある日本の野球文化を否定はできず、物知り顔で説教しようとしていたことを恥ずかしがっていた。良識ある落としどころではなかったか。

 でき上がった雑誌記事は、甲子園の持つ意味にスポットを当てながら、日本側の事情がバランスよくまとめられていた。

 テレビ番組の方は、日本にも否定的な見方はあると伝えながら、やはり日本に根付く野球文化とは何か、にスポットを当てていた。

冷静な議論への契機になれば

 ただ、番組には医師も討論に参加し、「『登板過多は危険だ』というのは意見ではない。事実だ」とも訴えている。データがあるそうで、この点はもう少し詳しく聞いてみたいところだ。

 いずれにしても、こうした特集を通して米国の読者、テレビ視聴者はどう考えるのか。

 少なくとも今回、与田氏が言ったように、これが感情論ではなく、冷静な議論へと発展するきっかけとなれば、いい取材になったといえそうだ。


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