東京都心から北西におよそ15キロ。大規模団地に潤いを与えるかのように広がる練馬区の光が丘公園。そこを起点に武蔵野の面影を探して歩いてみた。
朝の公園は静けさに包まれている。バードサンクチュアリに入ると、備え付けのスコープでじっと観察する人たちがいた。同じ方向をのぞいてみると木の枝で羽を休めるオオタカの幼鳥が確認できた。同公園で生態系の保全活動などをする認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)生態工房の宮下美穂さん(48)によると「公園の建設から30年がたち、当時と比べ自然環境は成熟してきている。武蔵野に本来生息する動植物も定着しつつある」という。
光が丘公園のバードサンクチュアリが開放されるのは土日と祝日(写真上)。広々とした芝生広場では子供たちが駆け回る
日差しが暖かさを帯びるころ、公園内の一角から焼きたてのパンのいい香りがしてきた。売店「パークス」の店頭には名物のメロンパンなどが並び、品定めをする子どもたちがのぞき込む。カレーパンとメロンパンを買い込み、芝生広場に向かった。空が広い。子どもたちは鬼ごっこやたこ揚げに全力で駆け出す。ここでは「風の子」たちが生き生きしている。
光が丘は大きな変遷を経て今の姿になった。太平洋戦争中の1943年には広大な農地に陸軍の成増飛行場が建設された。終戦後は米国に接収され米軍住宅に。フェンスに囲まれた敷地内には、緑の芝生と平屋建てが広がっていたと当時を知る人はいう。日本に全面返還されたのは73年になってからだ。
小島米店のおにぎりは45種類。手前は「ビッグなエビフライ」でボリュームも満点
公園を出て西側の住宅地を行くと、ひっきりなしに客が出入りする米店があった。30年間おにぎりの販売を続ける小島米店。「味付けたまご」「マグロのトロカツ」など変わり種のおにぎりも多く、その数45種類。添加物はほとんど使わず、すべて手作りだ。代表の小島透さん(62)は「季節ごとの素材でいろいろと作っていったら、どんどん増えた。それぞれファンがいるので続けている」と話す。
おにぎりをリュックに詰めて、さらに西へと足を運ぶ。しばらくすると宅地の外れに雑木林が現れた。踏み入ると、木漏れ日が林の中をやさしく照らしていた。ここ「清水山憩いの森」はカタクリが群生し、春には薄紫色の花が咲き誇るという。林の中にはわき水もあり、武蔵野の貴重な自然が大切に守られている。
家の前で採れたての野菜を販売する五十嵐宏さん。ちぢみホウレン草やブロッコリーは甘みもたっぷり
通りかかった畑の中に立派な練馬大根が天日干しされていた。区立土支田農業公園で区民らが畑を借りて、農家の指導で生産したものだ。たくあんにして、育てた人に配るという。この周辺には野菜の無人販売所があちこちにある。自宅前で野菜を並べていたのは五十嵐宏さん(56)。明治から続く5代目の農家で、無農薬・減農薬野菜を中心に生産している。甘みの多いちぢみホウレン草と長ネギが人気だ。
四季ごとに展示の絵画を入れ替える光が丘美術館(写真上)と同じ敷地内にある「そば処 桔梗家」は会津産のそば粉を自家製粉している
野菜を買い、光が丘中心部に戻ることにした。団地の間に大きな温室が見えてきた。中に入ると、北風に冷えた体がぽかぽかと温まる。この区立温室植物園は近くにある清掃工場の余熱を利用して熱帯、亜熱帯の植物250種を育てていて、この時期はハイビスカスが花を順番に咲かせる。
そば店を併設した美術館が近くにあると聞き訪れた。光が丘美術館は個人が開設した施設だ。展示スペースの天井は高く、床は板張りでゆったりと日本画を鑑賞できる。そばは敷地内にある古民家でいただく。
「そば本来の素朴な風味を逃がさないよう、自家製粉している」とご主人の鳥海隆守さん(35)。庭を眺めながらのんびり味わって、外に出ると夕日が大規模団地をオレンジ色に染めていた。
[写真・文 井上昭義]
[日経マガジン2012年2月19日号]
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