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勝負はプールの裏で決まる 飛び込み・馬淵コーチ

2013/8/17 7:00
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

母国の中国から来日して25年。水泳の飛び込み競技を指導する馬淵崇英(すうえい、49)は五輪4大会出場の寺内健らを育てた斯界(しかい)の伯楽だ。日本に帰化し、日本代表ヘッドコーチを務めたのち、今も所属先のJSS宝塚スイミングスクール(兵庫県宝塚市)で選手強化に奮闘中。その指導哲学に迫る。

飛び込みの練習を見守る馬淵崇英コーチ(兵庫県宝塚市)

飛び込みの練習を見守る馬淵崇英コーチ(兵庫県宝塚市)

コーチ人生最後の勝負

競泳用のプールのすぐ横に小さなプールがもう一つ。高さ1メートルと3メートルの踏み切り板がプールサイドから突き出ている。ここJSS宝塚では毎夕、えり抜きのダイバーたちが2枚の板から競って水面下へ身を投じる。鬼コーチの甲高い声を聞きながら。

「左の肘が曲がってる。アゴをもっと引く!」「それがおまえの精いっぱいか? もっと高く跳べるでしょ」

手厳しい寸評は、徐々にひとりの少女に向けた"集中ノック"の様相を呈してゆく。少女の名は板橋美波、13歳。「スピード、軽さ、回転力の次元が違う」と、その天性の脚力にほれ込む馬淵は「自分のコーチ人生の最後の勝負をこの子にかけたい」と決意のほどを披瀝(ひれき)する。

飛び込み王国の中国・上海で生まれたが、選手として大成せず成人前に現役を退いた。旧名は蘇薇(スー・ウェイ)。語学留学のため1988年に来日し、往年の名選手だった馬淵かの子からJSS宝塚のコーチに望まれた。そこで出会った少年、寺内健の才能に心を動かされて引き受けた。98年の帰化に際しては、今もスクールを切り回すかの子と夫の良(りょう)の夫妻から「馬淵」姓を授かった。

選手任せにしない

心血を注いで寺内を国内の第一人者に育てたが、五輪のメダルには届かなかった。今、世界の進歩はいっそう急だと馬淵は語る。難易度を抑えた完成度で勝負できたのは昔の話という。

「難易度を伴わない美しさなど、もはや認められない。この先、五輪のメダルをつかむのは、私が健を鍛えたころは想像もつかなかったような次元の違う何かを持った選手だろう。その何かはコーチが選手の中に見つけてやらないかぎり絶対に発現しない。子供には自分の才能が分からないのだから。全てはコーチの目から始まる」

何ら支点のない空中で高速回転する飛び込みは、人として自然な動作ではありえない。選手に任せても、とっちらかるだけ。10代前半のうちに指導者が矯正の手をあれこれ加え、熱いうちに鉄を打つよりほかにない。だから馬淵は「個性を伸ばす」などという口当たりのいい言葉を口にしない。

宝塚に根城築く

五輪種目の高飛び込みは高さ10メートル。選手に怖い顔を向けるのは、高さに対する恐怖心を克服させるためでもあるという。「コーチはもっと怖い、跳んだほうがましだと思わせる。そうやって恐怖に負けない心をつくるのです」

これだけだと、子供のお尻をつねって虫歯の痛みを忘れさせるたぐいの話に聞こえるが、けがの恐れなく技術をのみ込ませる方途は別にある。スパッティングと呼ばれる補助器具がその一つ。選手を宙づりにしたロープをすぐ横でコーチが握り、上下に操作することで安全に空中動作をチェックできる。JSS宝塚では、屋外のトランポリンなどにこれが備えつけてある。長い時間を費やして整えたスクールの環境は、「勝負はプールの裏で決まる」を持論とする馬淵の自慢の種だ。

日本代表ヘッドコーチの要職にあった12年間、この持論を全国に行き渡らせようと試みた。「無理でした。日本の強化はその場しのぎで、代表選手を集めて終わり。所属先に戻ったらコーチもいない選手がいる。中国と違って情報を共有する組織もない」。ヒトもモノもカネも不足がちなマイナー競技の悲哀。「ここ(JSS宝塚)を根城に選手を育てる。それが私の戦い」との覚悟が定まった。

逸材は女子ばかり

ところで……。この根城、近ごろ一つの特色が顕著になってきた。33歳になった今も現役を続ける寺内を除けば、これはと思う逸材は女子ばかり。7月の世界選手権で代表を務めた辰巳楓佳、自身の次女である馬淵優佳、天才少女と言われた浅田梨紗、そして板橋も。理由を問うと「女の子のほうが根性があるからです。日本の男が根性を出すのは成人してからでしょう。それでは遅い」。妙に迫力ある論断だった。=敬称略

(阿刀田寛)

[日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2013年8月16日付]


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