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ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ ルネサンス三巨人の素顔
日経おとなのOFF

2013/1/31 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版
3月のラファエロから始まり、レオナルド、ミケランジェロと、2013年はルネサンスの三巨人の美術展が都内にそろい踏みする。今も人々を魅了し続ける3人はどのような思想や人間性を持っていたのか。その実像に迫る。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンツィオ。ルネサンス美術を代表する三巨人が、同じ都市に勢ぞろいした機会は、少なくとも2回あったと推測されている。

ミケランジェロ『アダムの創造』 The Bridgeman Art Libray/アフロ

ミケランジェロ『アダムの創造』 The Bridgeman Art Libray/アフロ

1度目は、1500年代初頭、フィレンツェでのことだ。銀行家メディチ家の富のもとで発達し、ルネサンス文化の中心地として栄えたこの都市の政庁舎(ヴェッキオ宮殿)の壁画を競作するよう、レオナルドとミケランジェロに依頼が来た。1503年のことで、レオナルドは50歳を過ぎた円熟期にあり、ミケランジェロは30歳前の気鋭の彫刻家として、名声をイタリア全土にとどろかせていた。ちなみに2人ともフィレンツェ近郊の出身である。

2人に課せられたテーマは、フィレンツェ礼賛だ。そこでレオナルドは、1440年にフィレンツェ軍がミラノ軍を破った「アンギアーリの戦い」を選ぶ。これに対しミケランジェロは、水浴びしているところを急襲されたフィレンツェ軍が、ピサ軍に逆転勝利する1364年の「カッシナの戦い」を描くことにした。

2人は互いにライバルであることを認め合い、火花を散らし合った。そこへ翌1504年、地方都市ペルージャから、画家として一旗揚げようとやって来たのが、まだ21歳のラファエロだ。ちょうど2人の下絵が公開された時期であり、ラファエロはまじまじと巨匠たちの筆致を見つめたに違いない。

自然観察を好むレオナルドの絵には「馬」に乗る兵士が、人体表現を追求するミケランジェロの絵には筋骨隆々たる「裸体」の男が、描かれていた。結局は、2人とも自分の得意とする画題を選んだのだ。

これらの壁画は、何らかの理由があって完成することがなかった。しかし、このエピソードには、3人の画家としての特徴がよく表されている。東京大学教授の小佐野重利さんは、それぞれの芸術性を次のように解説する。

「レオナルドは『目』の人です。自然をよく観察し、自分の目で見たものを絵画に構成しようとしました。非常に実証主義的な精神の持ち主でもあります。これに対して、ミケランジェロは『目は心にある』と言い切った理想主義者でした。彼の本業は彫刻家でしたが、大理石の中に『イデア(理想の形)』があり、自分はそれを切り出しているだけだとも言っています。そして、この2人のいいとこ取りをしたのが、ラファエロでした。彼は天性の勘の良さで、本来相反する2人の先輩の画風を学び、自分のものとしたのです」。

この頃、レオナルドは『モナ・リザ』や『聖アンナと聖母子』も描いていた。ラファエロはこれらの作品も見て、「スフマート」というぼかし技法や、群像を三角形にまとめて安定させる構図を学んだと見られている。

~ルネサンスの三巨人はこんな人~

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564年)
頑固な生き方を貫いた人
 自分の才能に対する揺るぎない自信の持ち主。注文主としばしばやり合い、自説を簡単には曲げなかった。芸術への情熱にあふれる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)
自分の「目」を信じた人
 芸術家というより理論家。自然現象の観察と実証を重視した。謙虚な姿勢を持ち、高齢になっても若き専門家に教えを請う一面も。

ラファエロ・サンツィオ(1483~1520年)
人気者のスーパースター
 向上心旺盛、美男子で人当たりがよく、女性やパトロンに大モテ。人の使い方も上手で、一般的な社会人としても極めて有能だった。

■3者3様の生き方再会はローマの地で

3人が再び相まみえるのは、およそ10年後のことである。場所はローマ教皇の住むヴァチカン宮殿があるローマへと移る。

この間に3人の立場は大きく変わっていた。ミケランジェロは"史上最大の絵画"である、ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂の天井画を描き終えたところだった。ラファエロはやはり、ヴァチカン宮殿の壁画に取り組んでいた。当時は、ローマ教皇の仕事をすることが最大の栄誉とされていた。それに比べて、レオナルドは3年間のローマ滞在中に、たいした仕事をしていない。ローマ教皇からの依頼もあったが、完璧主義者のレオナルドの仕事が遅々として進まないので、不興を買ったともいわれる。そして、レオナルドはほかの2人のような栄達を見ることなく、ローマを離れ、終焉(しゅうえん)の地となるフランスへと向かうのである。

ローマに残った2人の性格は、水と油のように違っていた。求道的なミケランジェロは、弟子らしい弟子も持たず、いつも孤独に作品と向き合っていた。注文主との確執もしばしばあり、システィーナ礼拝堂天井画の完成予定をローマ教皇に聞かれたときも、「天井画が仕上がるのは、私の作業が終わるときです」と平然と言ってのけた。

一方のラファエロは社交好きの美男子で、その作品のごとく誰からも愛される性格だったらしい。若くして大勢の弟子を引き連れており、しかも弟子の育て方がうまかった。注文主の要求にも柔軟に応えたという。

まさに3者3様だが、共通点が1つある。それは3人とも生涯、結婚をしなかったということだ。「レオナルドが同性愛の傾向が強かったことは、ほぼ間違いないとされる。ミケランジェロは同性が好きというより、異性への関心があまりなかったようです」(小佐野さん)。

2人の性格は、女性を描くときのそっけなさからも見て取れる。唯一ラファエロは普通に女性好きで、多くの浮き名を流した。しかし身を固める暇もなく、37年の短い人生を駆け抜けたのであった。

3人の業績は大きすぎて、その全貌を捉えるのは容易ではない。ただ間違いなくいえるのは、強烈な個性を持った3人が生き抜いたルネサンス期のイタリアが、奇跡の時代を迎えていたということだ。

この人に聞きました

小佐野重利さん
 東京大学教授。1951年、山梨県生まれ。専門はイタリア15世紀美術史。東京大学卒。同大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。09年にイタリア政府から連帯の星騎士コメンダトーレ勲位章を受章。著書に『知性の眼 イタリア美術史七講』(中央公論美術出版)など。

(ライター 奥井真紀子)

[日経おとなのOFF2013年1月号の記事を基に再構成]


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