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文楽のスーパースターが「台所事情」語る  竹本住大夫さん

2012/9/12 7:00
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日本経済新聞 電子版

 大阪生まれの大阪育ちの伝統芸能で、世界文化遺産にも認定された「文楽」が今、経済的に大きな危機に立たされている。橋下徹大阪市長が財団法人文楽協会への補助金、年間5200万円の凍結を表明したからだ。「文楽300年の火を消さないで」と先頭に立って訴えるのが人間国宝の竹本住大夫師匠。発売直後にチケットが完売する文楽界一の人気太夫だ。そもそもなぜ文楽には補助金が必要なのか? 「独立採算」は難しいのか? 伝統芸能の「台所事情」を率直に語ってくれた(2012年8月現在、住大夫師匠は病気療養中)。

――住大夫師匠は2012年で88歳。文楽は太夫が語り、三味線が演奏し、人形が遣(つか)われて物語が進行していきますが、中でも語りを担当する太夫は舞台を引っ張る要の存在です。文楽の世界では10代から修業を始めても、一人前になるのは50~60代が当たり前。気が遠くなるほどの努力の積み重ねが求められる。

竹本住大夫(たけもと・すみたゆう)
 文楽・太夫、人間国宝。1924年大阪市生まれ。2012年で88歳の最高齢かつ最も人気のある太夫。文楽史上、80歳を超えた現役太夫は初めて。大阪専門学校(現近畿大学)を卒業後、戦地へ。「太夫になるために絶対生きて帰る」と誓う。1946年に二代目豊竹古靱大夫(後の豊竹山城少掾)に入門。1960年に九世竹本文字大夫を襲名、1985年に七世竹本住大夫を襲名。1989年人間国宝。2005年文化功労者。(撮影:竹井俊晴)

竹本住大夫(たけもと・すみたゆう)
 文楽・太夫、人間国宝。1924年大阪市生まれ。2012年で88歳の最高齢かつ最も人気のある太夫。文楽史上、80歳を超えた現役太夫は初めて。大阪専門学校(現近畿大学)を卒業後、戦地へ。「太夫になるために絶対生きて帰る」と誓う。1946年に二代目豊竹古靱大夫(後の豊竹山城少掾)に入門。1960年に九世竹本文字大夫を襲名、1985年に七世竹本住大夫を襲名。1989年人間国宝。2005年文化功労者。(撮影:竹井俊晴)

 太夫になって65年になります。私は不器用で覚えが悪うて、節回しが下手で、悪声でね。それでよかったと思います。若い時分からひたすら基本に忠実に素直に勉強し続けるしか手がなかったんですわ。いい指導者に恵まれて、いろんな経験をして、60、70歳になって花が咲き、苔(こけ)が生えるのです。好きこそ物の上手なれと言いますけど、芸事が好きですさかい、今日までやってこられました。けど、この年になって橋下さんが大阪市長になられて、今、てんやわんやでんねん、文楽は。

――橋下市長は大阪府知事時代にも文楽への補助金を年3600万円から同2000万円に減額している。

 財政再建については、あの方の言わはることも分かるんです。要らんものは捨てて、新しく出直すと言う。だけどあまりにも芸術・文化を厳しく切り捨てられると、大阪の街の潤いというもんがなくなると思うのです。まして文楽というのは、大阪で生まれ育った芸で文化財で世界遺産です。文化使節として海外公演に行くとどこの国でも劇場は満員になります。せめて現状維持でと私たちは願っているのです。

――そもそも文楽は、1963年に興行主だった松竹が赤字に耐えられずに手放し、国と大阪府、大阪市が設立した文楽協会が運営を引き継いだ。協会によると2010年の収入は7億6588万円。うち興行収入が8割、補助金が2割で、ここから住大夫師匠はじめ技芸員たちの出演料や協会職員の給与が支払われる。橋下市長は「文楽は守るが文楽協会は見直す必要がある」とも発言しています。

 文楽は歌舞伎と違って、興行主やスポンサーがあるわけやなし。地方公演の運営も皆、協会がやってます。補助金がなくなり文楽に理解のある職員さんが減るとしたら、大打撃です。

――太夫、三味線弾き、人形遣いという文楽の技芸員は協会の職員ではなく、個人事業主だとか。

 全員が協会と1年契約を結び、1日いくらの日給制で給料が決まります。金額は外部や内部の委員会が人気や芸などで決めてまして、お互いいくらかは秘密です。東京の国立劇場、大阪の国立文楽劇場での公演が年間136日、それを12等分した分を毎月もろてます。年に2度ある地方公演も日給制です。それも最近は地方財政の悪化で公演日数が減ってます。正直、技芸員の給料はほんまに少ないですし、皆決して裕福な生活はしてないんです。

浄瑠璃を語る太夫、三味線、人形遣いの三業が文楽の舞台を作り出す。人形遣いは3人で一つの人形を動かす。世界的にも珍しい方法だ (撮影:竹井俊晴)

浄瑠璃を語る太夫、三味線、人形遣いの三業が文楽の舞台を作り出す。人形遣いは3人で一つの人形を動かす。世界的にも珍しい方法だ (撮影:竹井俊晴)

――かつて「最高の人形遣い」といわれた人間国宝の吉田玉男さん(2006年に他界)が、80代になられてもご自宅の老人ホームから電車に乗って国立文楽劇場まで通われていた姿をテレビ番組で見て驚いたことがあります。人間国宝でも、ボーナスも退職金も車の送迎もない?

 そんなのありません。私は今年88歳でっしゃろ。それでやっとこの頃、遅い時間に舞台が終わったときはタクシーのチケットをくれるようになりました。行きは自前ですわ(笑)。今住んでるマンションは築30数年で、テレビや新聞の方が取材に来ると「へえ~」と皆さんびっくりしはります。もっと立派な家に住んでると思うたはるのでしょうなあ。でも借金はないし、文楽の勉強ができて、おいしい物を食べて、好きなところに行ける。これで本望ですねん。

 僕らの商売はおカネのことを考えてたらやれません。それは皆、百も承知でこの世界に入ってきてるのです。まず芸を覚えて皆さんに認めてもらう。これやったらいくらもらえるなんて思っていたらあきまへんわ。けど、補助金がなくなれば少ない給料がさらに減らされたり、若手の養成費を削減せざるを得なくなったりするかもしれません。

――そもそも文楽の世界は歌舞伎と違って世襲制はなく、家柄・血筋関係なしの実力社会。現在81人いる技芸員の約半数が、文楽とは無縁の家庭出身です。文楽研修生を経て舞台に立つ人もいれば、直接、太夫や三味線弾きに弟子入りする人もいるとか。

 私も今一人、23歳の子を預かっていて、1年はうちで食べさせていました。福岡大学を卒業したのですが、歌舞伎と文楽が好きで、親を3年がかりで口説いて弟子にしてくれと直接やって来ました。

 弟子はもう採らないつもりだったんですけどしょうがないなあと。「うちは『ゆとり教育』と違うで。ばか、アホとぼろくそに言うで」と。二言目には「嫌なら九州に帰れ、帰れ」と言うんですけど、辛抱してやってます。ほんまに文楽が好きで入ってくる子が今、研修生でも数人いて、楽しみですわ。三味線弾きも太夫も人形遣いも、とにかく人数が足りません。

――住大夫師匠は「鬼が住み大夫」と呼ばれるほど厳しい指導をされるそうですね。

住大夫師匠の楽屋で、「太夫の魂そのもの」ともいわれる床本(ゆかほん)を手に (撮影:竹井俊晴)

住大夫師匠の楽屋で、「太夫の魂そのもの」ともいわれる床本(ゆかほん)を手に (撮影:竹井俊晴)

 こんなこと私から言うたらいきまへんけど、文楽ってええもんでっせ。ようできてまっせ。それ分かってきたんは、60歳過ぎてからですな。厳しい稽古で怒られて怒られて、舞台で恥かいて、それでやっと語れるようになるんですわ。

 今はね、お客さんがみんな褒めてくれはりまんねん。それにみんな乗ってまう。大阪弁で「べんちゃら食うアホはない」と言いますけど。褒められたら褒められたで勉強せい。腐されたら腐されたで勉強せい。どっちに転んでも勉強せないかんと。

 新聞の評でも、当たり障りのないように皆書いてくれはります。それ見て喜ぶなと。始めとしまいにはお客さんが手たたいてくれはる。その拍手の音で聞き分けいと。「早う済んでよかった」という拍手か、「ほんまにご苦労さんでした」という拍手か。みんな、うぬぼれが強いですな。自分の弟子でなくても、「ばか、アホ、いつになったら分かるんじゃ。給料返せ」としょっちゅう怒りまんねん。

 国や大阪の補助に頼らなければ赤字というのは正直、情けないことです。私たちがもっと勉強して魅力ある舞台にせないかんのです。

――とはいっても、文楽人気は高い。東京公演の入場率は83~99%。住大夫師匠が出る時の部はすぐに売り切れです。人形を見せるには、歌舞伎よりも席の少ない劇場にならざるを得ないし、料金も歌舞伎の一等1万5000円に対して、文楽の一等は5800円と安い。

 ただ、大阪だとお客さんは昼は来てくれはるのですが、夜はやっぱり少ないでんなあ。タクシーの運転手さんにも「文楽は敷居が高くてなあ」と言われます。古典ばかりでなく、新作もどんどんやってそれが呼び水になったらええと思います。宇宙人や飛行船が出てきてもええのです。子供さんや若い親御さんに見てもろて、文楽というものを理解してほしいなと思うんですがね。

――劇作家の三谷幸喜さんが補助金見直しのためにも一肌脱ぎたいと、この夏文楽の新作を書かれ、大変な人気を集めました。

 この厳しい時代に文楽のための劇場があって、応援してくれはるお客さんがいたはって、長期公演ができる。こんな結構なことはありません。大道具さんや照明さん、切符を売ってくれはる営業さんや、みんなに支えてもろて、僕らは舞台に出てるのですから、感謝せないかんのです。

床本は太夫が舞台での語りに使う浄瑠璃本で、独特の浄瑠璃文字で書かれ、師匠から弟子へ代々伝わる (撮影:竹井俊晴)

床本は太夫が舞台での語りに使う浄瑠璃本で、独特の浄瑠璃文字で書かれ、師匠から弟子へ代々伝わる (撮影:竹井俊晴)

 文楽の太夫は義理、人情を語るのが商売です。その人間が薄情ではいけませんわな。舞台に出してもろて結構やな、ありがたいなと、そういう気持ちが芸に出てお客さんにも伝わると思うのです。

――文楽の将来に危機感がある。

 それでこんな難しい顔して舞台でやってまんねん。私が若い者にあまり厳しいので、孫には「おじいちゃん、そのうち背中からブスッとやられるで」と言われてます。私は「ブスッとやるほど根性あったら(叱られたことを)覚えるわ」と言うのです(笑)。

(聞き手は安原ゆかり)

[日経マネー2012年5月号の記事を基に再構成]


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