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朝ドラのヒロインを経験すると、なぜ女優として大成するのか
日経エンタテインメント!

2012/6/25 6:41
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 駆け出しクラスはもちろん、すでにキャリアのある女優でも、NHKの朝の連続テレビ小説のヒロインを経験すると、確実に腕を上げる。なぜならそこには朝ドラヒロインを待ち受ける「壁」があるからだ。そんな「朝ドラ道場」の中身を紹介する。

放送中の連続テレビ小説「梅ちゃん先生」のシーン。頻繁に出てくる家族での食事シーンでヒロイン・梅子(堀北真希、写真上・右から2番目)のまわりには高橋克実、倍賞美津子、片岡鶴太郎、大島蓉子といったベテラン演技派がずらり。1回15分という放送時間の短さもあって、とにかくヒロインは出ずっぱりだ。

放送中の連続テレビ小説「梅ちゃん先生」のシーン。頻繁に出てくる家族での食事シーンでヒロイン・梅子(堀北真希、写真上・右から2番目)のまわりには高橋克実、倍賞美津子、片岡鶴太郎、大島蓉子といったベテラン演技派がずらり。1回15分という放送時間の短さもあって、とにかくヒロインは出ずっぱりだ。

 戦後、食べる物にも不自由しながら、助け合って暮らす家族の中で、医者になる夢に向かって歩き出すちょっぴりドジな女の子――。

 NHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)の王道ともいえる要素がふんだんに盛り込まれた、今期の「梅ちゃん先生」が滑り出しから好調だ。

 ヒロイン・梅子を演じる堀北真希は、23歳の若さながら、学園ものや職業ものなど多数の連ドラに出演・主演実績があり、人気・実力ともに同世代ではトップクラス。朝ドラは主婦や高齢者など、民放の夜帯ドラマとはまた違った視聴者層から根強く支持されているだけに、今後は国民的女優としてさらにスケールアップしそうだ。

 2011年10月~2012年3月に放送された前作「カーネーション」のヒロイン・糸子役の尾野真千子も、映画「萌(もえ)の朱雀」(1997年・河瀬直美監督)での主演デビューから15年のキャリアを持つベテランだが、どちらかというと単館系映画のような個性派作品への出演が多く、お茶の間での知名度は高くなかった。糸子は梅子と逆に、やんちゃで気性が激しく、自分に正直な女性。その異色キャラが共感を呼び、後半になるほど視聴率は上昇、女優の知名度も一気に押し上げた。

 朝ドラの主演女優といえば、堀北や尾野のようにベテラン勢もいれば、無名に近い人もいる。ここ数年は前者が目立つものの、朝ドラの長い歴史の中でみれば後者、つまりブレイク前の起用が主流だ。

 「役者がヒロインとともに育っていく人が似合う場合と、役者としての表現力が求められる場合がある」。そう話すのは、「ちりとてちん」をはじめ多数の朝ドラに携わってきた、NHK制作局第2制作センター・ドラマ番組部の遠藤理史(まさふみ)チーフ・プロデューサー。職を得て成長していくヒロインと同じように、無名の女優が番組を通じて成長し、有名になっていく様子を楽しみにしている視聴者は少なくないという。

 朝ドラ出演をきっかけに多方面で活躍する女優は驚くほど多い(表1)。宮崎あおいのように、すでにヒット作の主演実績(映画「NANA」等)があった場合でも、朝ドラ後に大河ドラマ「篤姫」で歴代最年少主演を務めている。 理由の1つは、放送による露出が多いこと。健気(けなげ)に奮闘するヒロインの好イメージから人気が広がっていく面もある。一方で、制作舞台裏で女優自身が向き合う厳しい現実にも、飛躍の秘密があるようだ。いくつもの壁を乗り越える強さがないと、放送6カ月・撮影8カ月の長丁場は闘い抜けないといわれる。そんな“朝ドラ道場”で、女優はいかにして鍛えられ、磨かれるのだろうか。

表1 放送年の「前」は春・夏クール、「後」は秋・冬クールの半年。視聴率はビデオリサーチ関東地区。

表1 放送年の「前」は春・夏クール、「後」は秋・冬クールの半年。視聴率はビデオリサーチ関東地区。

■立ちはだかる“3つの壁”

図1 1次や2次の面接は5人1組で行われるため、テレビや映画ですでに有名な女優が同じ組になることもしばしば。「誰に決まってもおかしくない」(遠藤氏)という最終10人の段階になると、いきなり1人に決められず、2人に絞ってから決定ということも。

図1 1次や2次の面接は5人1組で行われるため、テレビや映画ですでに有名な女優が同じ組になることもしばしば。「誰に決まってもおかしくない」(遠藤氏)という最終10人の段階になると、いきなり1人に決められず、2人に絞ってから決定ということも。

 朝ドラ主演を目指す女優の前に、まず最初に立ちはだかるのは、「オーディションの壁」。

 多くのヒロインは、1カ月がかりのオーディションを経て最終的に選ばれる(図1)。2000人前後のなかから書類審査を通った者は、5人1組で審査員やライバルの前で自己紹介するところから1次面接は始まる。何度もチャレンジする面々も少なくないだけに、「今回はこのメンバーね」と一瞥(いちべつ)し合うのが恒例。最終審査に残るのは10人ほど。ここまでくると、「若手のトップランナー」といっていいクラスだ。その10人は台本を手渡され、作品設定に準じて作られたセットに立ち、セリフありのカメラテストを受ける。

 「最後まで残る10人は、誰に決まってもおかしくない人ばかり。最終的な決め手は実力というより、今回の企画内容に合う人かどうかです」(遠藤氏)

 ヒロインに選ばれた後、演技経験の少ない人は演技の基礎レッスンを受ける。新人起用が続いた時期は、毎回これが通例だった。ほかにも新人・ベテランを問わず、舞台となる地方の方言指導や専門職のワークショップ、着物や時代背景に合わせた所作など、あらゆるトレーニングがある。 その後、晴れて現場入りしたヒロインを待ち受けているのが、「共演者の壁」だ。

 ヒロインの座を射止めて天狗(てんぐ)になっている場合ではない。民放ドラマの共演者なら同世代も多く、学校にいるような、あるいは職場の同僚といるような雰囲気の現場も少なくない。しかし、朝ドラは違う。共演者といえば、父・母・おじ・おば・祖父に祖母など、家族が中心。泣く子も黙る日本の名優がずらりと顔をそろえるなか、長時間を同じセット上で過ごすことになるのだ。

 しかも、他の家族ドラマや大河ドラマと違って、“座長”となる自分が、現場でいちばんの未熟者という事態も珍しくない。礼儀作法から芝居のイロハまで、先輩方に教わることも、叱られることも、まねることも多々あることだろう。朝ドラで新人女優が鍛えられる最大の要因はここにある。

■感覚は、毎週長時間ドラマ

 さらに、初日からクランクアップまで、万里の長城のごとく立ちはだかるのが「量の壁」だ。

 民放ドラマなら、1話約46分で3カ月13回放送したとして約10時間。一方で朝ドラは、1日15分だが週6回で90分、半年間全156話で約39時間。民放ドラマの4倍近い放送時間だ。

 週単位で見ても民放ドラマの約2倍の放送時間だから、女優は2倍の量の台本を覚え、2倍のスピードで撮り進めていく必要に迫られる。1話15分と短いだけに、サブストーリーや群像劇を長く見せることは難しく、その分ヒロインは画面に出ずっぱりの状態になる。

図2 実働15時間前後という日々が約8カ月。スケジュールによってはリハーサルの時間を取れず、いきなり本番というのも少なくない。木曜日はリハーサル日になることも。「広報活動」とは、ポスター撮影や各種媒体取材、ドラマゆかりの地でのイベント参加など。セリフを覚える時間を捻出するのはひと苦労だ。

図2 実働15時間前後という日々が約8カ月。スケジュールによってはリハーサルの時間を取れず、いきなり本番というのも少なくない。木曜日はリハーサル日になることも。「広報活動」とは、ポスター撮影や各種媒体取材、ドラマゆかりの地でのイベント参加など。セリフを覚える時間を捻出するのはひと苦労だ。

 初めて朝ドラに出演する俳優やそのマネジャーがたびたび口にするのは、「まるで会社に就職したかのよう」という感想だ。毎日NHKに通い、月曜には必死にセリフを覚えてリハーサルを行い、火・水・木・金に撮影。朝9時にスタートし、深夜0時をまわることはザラだ。土日は基本オフというが、ロケがある場合はここにあてられる。ロケがない場合でも取材やイベント出席など、次々舞い込んでくる広報活動が待ち構えている(図2)。このペースに驚くのは、新人女優よりむしろ、多くのドラマ出演経験を持つベテラン女優だという。 「芝居というのはある種の運動神経にも似て、毎日やり続けることで一気に伸びる瞬間があるし、しばらくやらないと感覚が鈍ったりもする。朝ドラは、毎日カメラの前に立って芝居をするのが8カ月続くわけですから、役者人生において貴重な体験になるのだと思います」(遠藤氏)

 ドラマ終盤戦を迎えたヒロインが、開始当初よりはるかに成長したように見えるのは、役作りやメイクによるものだけではなさそうだ。実際、初日とクランクアップのころでは「別人の表情を見せる女優も少なくない」(同)という。多くの候補者がしのぎを削る中からただ一人選ばれ、演技・方言・職業・所作など数々のトレーニングを積み、親より年上の名優に囲まれながら、民放連ドラより週に2倍多い台本を覚え、8カ月毎日カメラの前で芝居を続ける。この経験を通じて、台本の読み方ひとつから芝居に対する姿勢まで、あらゆる面で成長を促すのが、この“朝ドラ道場”なのだ。

 秋から放送される次作「純と愛」のヒロインは、22歳の夏菜(なつな)。朝ドラヒロインのオーディションに過去2回落ち、今回3度目の挑戦で選ばれたことを、3月の会見で笑顔で告白している。

(日経エンタテインメント! 木村尚恵、ライター 日高郁子)

[日経エンタテインメント!2012年6月号の記事を基に再構成]


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