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子ども・高齢者ら守れ 私たち目線で防災をリード

2014/3/8 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版
 避難所運営などをめぐる混乱が続いた東日本大震災から3年。首都直下地震や南海トラフ地震も懸念されるなか、男性にない視点で災害対応力の向上に取り組む女性が目立ってきた。

重りが入った妊婦体験ジャケットを着た女子大生らが息を切らして階段を上り、分娩室を模した教室で助産師の問診を受ける。「おなかが大きいと本当に大変ですね」。額に汗を浮かべた学生らは口々に語った。

災害時の医療活動について議論する医師の会合に参加する吉田穂波さん

災害時の医療活動について議論する医師の会合に参加する吉田穂波さん

妊婦や出産から間もない女性専用の避難所「母子救護所」を設ける全国初の防災訓練。仕掛け人の産科医で、国立保健医療科学院主任研究官の吉田穂波さん(40)は手応えを感じた。自らも9歳の長女をはじめ5人の子供を育てる母親だ。

2011年4月。被災地の医療支援で宮城県内の避難所を回るうち、女性の困難な状況を目にした。段ボール1枚を敷いた床で他人と身を寄せあって過ごし、着替えもままならない。

特に深刻だったのが、体調管理や授乳で配慮が欠かせない妊産婦だった。体調が悪くなっても、避難所に診療に訪れたのが外科医だったことから十分な処置を受けられなかった人もいた。

膝を交えて話を聞くと、それまで周囲に「大丈夫」と気丈だった妊産婦が、恥ずかしそうに体の悩みや不安を明かした。「母親だから我慢する、という気持ちは私もわかる。他人に『助けて』と言えない、迷惑をかけちゃいけない意識がある」と吉田さん。自身も、生後3カ月の長男を抱いて学会や勉強会に参加することがある。

「本来、幸せな顔の妊婦さんが被災地では粗末に扱われ、疲弊した表情がショックだった」。その後も月1回のペースで被災地に通い、「変えなきゃいけない」との思いが強まった。

12年8月、首都直下地震などの発生時に妊産婦を守る避難所が必要だと地元・文京区役所に訴えた。東日本大震災の被災地の実情をまとめた厚さ20センチ以上の資料を手に訴えると、担当者は熱心に耳を傾けてくれた。

妊産婦の防災訓練で、乳児の人形を抱える学生ら

妊産婦の防災訓練で、乳児の人形を抱える学生ら

避難所となる複数の大学や都助産師会にも協力してもらい、母子救護所の計画を作成。昨年秋に跡見学園女子大(東京・文京)で行った最初の訓練には文京区も協力し、助産師や学生ら120人が参加した。このモデルを全国に広げるのが目標だ。

被災地と同様に高齢化が進む地方でも、防災活動を女性がリードする例が目につく。

外所地震の供養碑の手入れに訪れた泉とし子さん(手前)ら

外所地震の供養碑の手入れに訪れた泉とし子さん(手前)ら

宮崎市で海沿いの平野部に位置する島山地区。江戸時代の1662年、日向灘を震源とする「外所(とんどころ)地震」の津波で約200人が犠牲になったと伝えられ、地区の一角には7つの供養碑が並ぶ。教訓を継承しようと、住民らが約50年ごとに建ててきた。

住民の防災意識はもともと高いが、東日本大震災を機に避難や炊き出しの訓練など活動が活発化した。中核は04年に結成した「自主防災隊」19人。主導するのは、うち10人を占める女性だ。

「女性は日々の井戸端会議を通じ、どこに誰が住んでいるかや、お年寄りの体調など地域のことを隅々まで知っている」。中心メンバーの主婦、泉とし子さん(66)はその理由を語る。

これまでの訓練では課題も浮かんだ。大地震による津波は約10分で襲うとされる。避難場所の高台までは約1.5キロ。高齢者を車いすやリヤカーで運んだ訓練で「全員の避難まで30分以上かかった。訓練すればするほど難しさが分かった」。

このため、泉さんらは地区内への避難タワー整備を市に要請。市は昨年末、公民館を約400人が避難できる3階建ての複合施設に建て替えることを決めた。自主防災隊は災害時、住民の誰がどの高齢者の避難を手助けするかも決めている。

東日本大震災女性支援ネットワークの活動報告会で話す浅野幸子さん

東日本大震災女性支援ネットワークの活動報告会で話す浅野幸子さん

2月。大学教員や市民団体関係者でつくる「東日本大震災女性支援ネットワーク」が都内で開いた防災トレーナー養成講座。同団体の防災研修コーディネーター、浅野幸子さん(41)は、東日本大震災で女性が直面した避難生活上の問題を参加者に紹介した。

「避難所に仕切りや更衣室がない」「トイレは男女共同」「生理用品が足りなくても、避難所の物資担当者は男性が多く言い出しにくい」――。

講座の目的は、災害時に男女がともに尊重される避難所運営や地域復興を考えられる人材の育成だ。11年5月発足の同団体には講演依頼も多く、これまでに全国約200カ所に講師を派遣、約1万2千人が聴講した。

浅野さん自身は大学4年の時、阪神大震災の避難者の支援ボランティアに「1週間のつもり」で参加したが、4年間続けた。00年に噴火した三宅島からの避難者支援にも携わり、06年ごろからは避難所の環境改善や女性支援に関する冊子を作るなど活動を広げてきた。

今月3日には活動報告会を開催。震災3年でネットワークは休止するが、浅野さんらは新団体をつくり活動を続ける。

防災分野で指導的立場の女性はまだ少ない。都道府県の防災会議でも女性委員は5.1%だけ。地域でふだん、子供や高齢者を見守るのは女性が多い。半面、女性は災害時に弱者の立場にもなりやすい。だからこそ、その視点は災害対応力の向上に欠かせない。

「災害時に女性たちが責任ある立場で活躍できれば、多くの災害弱者の避難生活を改善できる」。浅野さんは確信している。

(堀越正喜、平野慎太郎)


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