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「運は努力する者に来る」 国際協力銀行の奥田碩総裁
社会に出て行く君たちへ 先輩からのメッセージ

2013/4/2 21:37
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

1日、多くの若者が社会人としての新たな一歩を踏み出した。円高修正や株価上昇で景気にやや明るさは出てきたが、グローバル競争や人口減少など日本企業は依然厳しい課題に直面している。様々な苦難を超えてきた企業トップやその経験者、第一線の研究者らは、将来を担う人材に何を期待し、託すのか。メッセージを連載で紹介する。1回目は国際協力銀行(JBIC)の奥田碩総裁(経団連元会長)から。

■人生の偏差値を上げよう

奥田碩さん

奥田碩さん

日本は長くデフレが続き、成長が止まっているといわれています。社会人になる人たちはそうした時期に育ってきたわけです。しかし、海外に目を転じれば成長できる余地のある地域は数多くあります。今や世界はつながっていて、メーカーも各地で「地産地消」を推し進めています。日本に閉じこもってはいけません。どんどん海外に目を向けてもらいたいものです。

 学校の成績が良く就職後もおとなしい若者が増えたといわれる。「学校の成績だけでは…」と話す奥田氏の若手社員時代は違った。

今の新入社員には学校の成績が優秀で、偏差値が高い人はたくさんいます。しかし、これだけでは足りません。「人生の偏差値」を高めなければいけないのです。恋愛でも何でもいい。何かにとことん打ち込めば、失敗があってもそこから得られるものがあります。それが人生の偏差値を上げることになると思います。

私は生来の悪ガキでよく悪態をつき、上司とは意見を戦わせていました。トヨタ自動車販売に入社すると経理部に配属になり、3年くらいたって「総勘定元帳」の管理を任されました。各種取引や経費、幹部の交際費などの伝票を管理する担当です。その伝票にざっと目を通せば、社内の人やモノ、カネの流れが全部わかりました。

取引がわかりにくい伝票をみつけては上司だろうが役員だろうが、問い詰めました。社内では「生意気だ」と煙たがられました。しかし、こんな業務を10年間やり続けると、一種、経営者的な観点から会社を網羅的にみられるようになります。「ここを押せばこう動く」ということがわかり、その後大いに役立ちました。

 近年は「2~3年で会社をやめる若者が多い」とも指摘されているが、若手の転職や離職の傾向には疑問を呈する。

奥田さんの歩み
1955年一橋大学商学部卒、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社
経理部に配属
72年フィリピンのマニラ駐在員事務所で勤務
トヨタのエンジン工場立ち上げなどに携わる
82年トヨタ自動車取締役に
95年社長就任
97年社長直轄組織として若年顧客向けの新商品などを企画する「ヴァーチャル・ベンチャー・カンパニー」を発足
ハイブリッド車(HV)「プリウス」を発売
99年会長に
2002年経団連会長に就任
12年国際協力銀行総裁に就任

今の若い世代の人たちはすぐ転職したり、あきらめが早かったりするみたいですが、辛抱強くやってみることも大切でしょう。私が愛読する山本周五郎の作品に「ながい坂」という小説があります。下層武士の身から、学問と武芸に励み苦労して城代家老まで上り詰める話です。忍耐とか辛抱の大切さを説いています。ゲーテの「ファウスト」の中にも、「努力する者が救われる」といった趣旨の話があります。

これまでを振り返ると、つくづく自分は「運」がいいなと思います。ただ、運は何もしないでついてくるものではない。いろいろな場所に出向き、様々な人に出会い、多くの体験をするなかで巡り合うものでしょう。

今は物質的に恵まれていますが「苦労は買ってでもしたほうがいい」と思います。それが「人生の偏差値」の向上につながります。「いざとなれば死んでもいいくらいだ」、「人間なるようにしかならない」といった悟りみたいなものを私は持っています。まず、なるようにがんばる。最後まであきらめずに、時間をかけてもやり通す。そういう覚悟をもってすれば怖いものは何もないのです。そこから新しい境地にも立てる。他人の評価も気にならなくなるのです。

トヨタ時代は、中堅にさしかかる頃にフィリピンでも貴重な経験をしました。トヨタにとっては初めて海外でエンジンを作るプロジェクトでした。

フィリピンは当時、日本人エンジニアも2人くらいしかいない所で、左遷だとか言う人もいたみたいです。しかし、駐在員が少ない分、日本の本社から幹部が来たときには全部自分たちで応対しないといけないので、幹部たちの目に留まるチャンスが多くあります。モノは考えようです。

エンジンは「他のメーカーから調達すればいいだろ」という幹部もいましたが、自動車メーカーがクルマの心臓部にあたるエンジンなど「秘中の秘」の部品を、他社から調達することは「ありえない」と反対し、押し切って進めた記憶があります。

延滞されていた資金を回収する仕事もやりました。時の政権に近い回収相手でしたが、粘り強く交渉して、何とか切り抜けました。

 トヨタの社長時代はハイブリッド車など斬新なクルマづくりをトップ主導で展開。思いを貫く姿勢は若い頃から続いている。

今の若い人は周囲の目を気にしがちのようですが、「自分のやりたいことをやる」という思いがある方がいいと思います。私は反抗心も強かったため、言いたい放題でやってきました。仕事上ではほとんどストレスを感じたことはありません。ただ、先のことや結果ばかりにとらわれず、一生懸命、徹底して物事に取り組みました。簡単にあきらめない、あの人、あの会社には負けたくない、という気持ちを持っていました。

あとは健康に気を使って下さい。体力が弱ると、気力、知力も弱まってきます。世界を飛び回るにも体が基本です。

(聞き手は藤本秀文)

■若手時代 「おかしいものはおかしい」

仕事では「苦労と言われることも苦労と思わなかった」という。会社で担当することが栄誉といわれる「総勘定元帳」の管理を入社約3年で任されたのは若くしての抜てきだったが、それに萎縮などしない。「おかしいものはおかしい」と上司にも直言する姿勢は変わらず、培った度胸は、その後の新興国での現地要人らとの折衝で、相手の懐に飛び込む要因にもなった。

一方で「独身寮で多くの仲間とよく遊んだ」と振り返る。「競馬などにはまり、そのストレスで血を吐くような思いをした」こともあったそうだ。「こういう失敗談もあとで思えばいい経験で役に立った」という。「よく働き、よく遊ぶ」を地でいったといえる若手時代だったようだ。

「変わるリスクよりも、変わらないことのリスクのほうが大きい」とトヨタの社長時代に社内で問い、ハイブリッド車「プリウス」の開発を加速させる。失敗を恐れずに先行技術に投資する胆力は若い時の様々な経験で備わった。

[日経産業新聞2013年4月1日付]

《DeNA創業者 南場智子さん》

■自分で決める勇気持とう

 新社会人へのトップからのメッセージ。2回目は女性起業家の草分けで、ソーシャル(交流)ゲームを新たなゲーム分野として根付かせたディー・エヌ・エー(DeNA)の創業者、南場智子取締役に語ってもらう。

南場智子さん

南場智子さん

貧困、環境、原発など国境を越えて考えないといけない問題に私たちは直面しています。会社などの組織や日本だけを見ていては、日本を救えません。

社会人の中で最も頭が柔らかい新社会人には、自分で課題を決め、成果を出すように戦略を練る目的達成型の思考を持ってほしいと思います。社会の変化のスピードは速く、過去の勝ちパターンに安住してはいられません。

  3人で立ち上げたDeNAだが、従業員が2千人を超える企業に成長した。今もベンチャー精神を持ち続けるよう説いている。

日本は教育の段階から、テストの成績など画一的な物差しで進路が決まりがちです。だがこれからの社会人は誰かの決めた物差しに追随するのではなく、自分で選択・決断しなくてはいけません。社内では「良質な非常識」と呼んでいるのですが、常識を疑うことが必要です。現状の枠組みが最善ではないと、常に問い続けてほしいのです。

当社では「発言責任」という言葉があります。「発言には責任をとれ」という意味にとらえがちですが、違います。ミーティングなどに参加している以上、自分が思ったことは遠慮せずに発言しなくてはいけないという意味です。

社員が私に「どうしますか」と聞いてきたら、「(あなたは)どうしたいの」と必ず聞き返します。自分で決断する勇気が重要です。

  DeNAは黒字化に5年かかるなど起業後は苦労の連続。だが、やめようとは1度も思わなかったそうだ。

「このチームで駄目なら仕方がない」と思えるほど尊敬できる仲間に囲まれていたことが、赤字続きでも踏ん張れた理由。戦友の感覚です。チームががんばっているのだから、自分が逃げるわけにはいかないと励まされた。

最近は起業を志す人が減っていると聞き、非常に残念です。社員みんなが安定を求める企業ほど、実際には不安定になります。確かに、起業に対する支援体制の充実が日本では必要です。ただ、起業したいと思った個々人が「自分は天才だ」と自負を持って進んで欲しい。その際、信頼できる人材を集めることが重要です。

  病気の夫の介護のため、2011年に社長職を退任した。取締役として仕事と介護の両立に取り組んでいる。

南場さんの歩み
1986年津田塾大学学芸学部卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社
88年マッキンゼーでいったん限界を感じ、米ハーバード大に留学
90年ハーバードで経営学修士号(MBA)を取得
99年ディー・エヌ・エーを従業員3人で設立し、社長に就任
2011年夫の介護のため社長を退任、取締役に

社長は120%社業優先でプライベートは犠牲にせざるを得ません。でも社長以外なら、仕事と介護や育児は両立できると実感しました。むしろ両立できる環境が、会社が成長する上でも重要ではないかと考えました。

産休・育休などの制度があっても取りづらいと思う女性は多いのが現実です。休む人は組織の短期的なマイナスを考える必要はありません。拍手で送り出す雰囲気を社内に作ることが、結果として個人や会社の活性化につながるはずです。介護や育児の時は堂々と迷惑をかけていいのだと思ってほしい。

(聞き手は榊原健)

■若手時代 辞めるつもりが成功

マッキンゼー・アンド・カンパニーを2度退職している。1度目はハーバード大学留学時、2度目がディー・エヌ・エー(DeNA)の設立時だ。

1度目は「逃げるように留学した」と振り返る。入社後、「仕事の効率が悪く、自分は役に立っていない」という思いがあった。帰国してマッキンゼーに再就職後も、最初のコンサルタント案件が不調で、次の就職先を探した。その矢先、当時の上司から「この案件を手伝ってから辞めてくれ」と言われた。

その案件が案外うまく進んだ。「辞めるつもりだったから、肩の力を抜いてできた」。仕事がすぐにできなくても気にしなくていいと知った。「他人がどう見るかなどではなく、目の前の仕事だけに気を向けてほしい」

[日経産業新聞2013年4月2日付]

 日経産業新聞の1面などで、1日付から「社会に出ていく君たちへ 先輩からのメッセージ」を掲載しています。3日付ではIIJ社長の鈴木幸一さんが登場。その後も、旭化成フェローの吉野彰さん、日本レーザー社長の近藤宣之さん、キヤノン電子社長の酒巻久さんが、将来を担う人材へのメッセージを語ります。


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